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★ 私の名前はナマエです 不思議な名前で全員集合

生江会


◆ 三井ビルの最上階
  三井ビルの高速エレベーターは、垂直移動の新幹線。あっという間に54フロアの最上階。
◆ 生江の会の発足だあ
  2009年12月26日の土曜日、18時に三井ビルの最上階は三井クラブにて『生江の会』の発足である。幹事は隆之、有二、明、雅則。みんな苗字が名前、いや違う、生江である。
◆ 幹事はこんな感じ
  隆之は三井ホーム社長。有二は日本を代表するルポライター、なまえゆうじ。明は日本福祉大学教授。雅則はご存知、アホのエム ナマエのことである。
◆ なんで集まったのか
  この会の発足について書くとなると、長くなる。まず、生江隆之は桐朋学園創始者の二代目で、現三井ホーム社長。彼とボクとは慶應義塾日吉キャンパスの体育の授業で出会った。彼は文学部。ボクは法学部。けれども、体育の授業は合同だったのである。
  1967年以来、42年以上の隔たりがあったが、ボクの旧友、建築工学の重鎮、深尾博士が、三井ホームの生江隆之社長は慶應義塾で生江と同期だぞ、と連絡をくれた。で、どうして判明したのか、というと、来年オープンの青木裕子の軽井沢朗読館の建築を指導したのが深尾教授で、サポートしたのが三井ホームであったからだ。
  その縁で、青木裕子アナウンサーと隆之氏とで、経堂の寿矢で会食をした。そのカウンターでの会話で判明したのが、ルポライターなまえゆうじが隆之の高校時代からの友人であったこと。そして、以前から交流のあった明を誘いこみ、生江の会を発足しよう、という運びになったのだ。
◆ 絡まり合う糸
  日本福祉大学の生江明教授は、ボクがまだ若いイラストレータだった頃、個展会場で
「私もエム ナマエなのよ」
といって挨拶してくださったご婦人のご子息である。そしてまた偶然なことに、この明氏が、ボクの幼馴染の「いせや」の山下嘉和の高校時代の友人であったのだ。本当に不思議なことだが、みんなどこかで繋がっていた。
◆ 生江一族の陰謀
  さて、なまえゆうじはミクシーで「生江一族の陰謀」というサイトを率いている。メンバーの方々に呼びかけたところ、総勢14名のメンバーが、ここ三井クラブに終結した、というわけだ。
◆ 生江の名前で苦労
  結婚して生江姓を名乗っている人もいるから、すべてではないにせよ、生江、つまりナマエという名前で生きるということは、それだけでひとつの個性を作り上げる。ミュージシャンの名前匠氏は、
「こんな名前はいやだ」
と父親に伝えたら、
「テレビに出ている、なまえゆうじ氏も、画家のエム ナマエも、みんなナマエという名前で活躍しているぞ」
といわれたそうだ。
◆ DNAの呪い
  それにしても、やっぱりDNA。饒舌なこと、自己主張の強いこと、芸術家であること、薄毛であること、酒に強くないこと。どれも共通点である。話によれば、先代は身長は高からず、であったそうな。残念ながら、ボクは当代にして、まだ身長が低いまま。
◆ はい、チーズ!
  皆で集合写真。生江明教授の夫人はカメラマンであるとか。けれども、集合写真だから、シャッターはクラブのボーイさん。
  なまえゆうじ氏はご著書をプレゼント。隆之社長はディズニーランドのパスポートをプレゼント。彼はその仕事もしているのだ。ボクも持参していった言葉の絵本10冊を皆さんにプレゼントした。サインもさせていただいた。迷惑だったかもしれないが。あはは。
◆ また会う日まで
  三井ビルの前で解散。ボクはなまえゆうじご夫妻と小田急線で帰る。またどこかで集まって、お互いの饒舌を披露したいものである。再会を願う。
2009/12/31 エム ナマエ

 

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