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■ 主人公は誰だ

◆ 友人からの頼まれ原稿
 友人から機関紙に何か書いてくれとの依頼があった。このタイミングである。そこで選挙のことを改めて考えてみようと、十数年前の日記を読み返してみた。これはその一部抜粋に加筆修正したものである。今こそ、個人の自由と独立を確立すべく、この政治的チャンスを活用していただきたい、てな青臭い情熱にかられ、以下のような稚拙な文章を書いてしまった。

◆ 十数年前の日記から
 ひとりだけ違っていい自由。ひとりで決められる勇気。民主主義の根底にあるのは個人の自由と独立である。個人が個人の判断と責任で議員を選び投票する。その結果、議会へ代表者が送られる。民主国家が実現する。しかし、選挙の実態はどうであろうか。そもそも投票の動機が個人の決定からではない。組織票がそのいいサンプルだ。個人の責任と判断が根本の選挙で、組織票などが許されていいはずがない。しかし、現実は組織票によって選挙は大きく左右されている。これは理想的民主国家の実現の前で、大きな障壁となっている。
 民主国家は、自分が国家の主人公であるという自覚から始まる。けれども、組織や団体の一部としての投票行動は、主人公という権利の放棄につながる。自分さえ、もしくは自分が所属している地域や組織さえよければいい、という考え方は民主国家を堕落させる。個人がすべての利己的な欲望から解放されるとき、理想の国家が誕生するのである。
 まず、個人は個人の責任に目覚めるべきであろう。そうあれば、結果を他人や政治のせいにすることは起こらない。けれども、マスコミは政治や官僚の悪を指摘はするものの、衆愚を論じない。読者や視聴者を敵にすることを恐れ、正しい論議を避ける風潮にある。けれども、選挙を人気投票にしてしまう大衆の無知と無責任こそ、民主国家の崩壊を誘うものなのだ。国家があって個人があるのではなく、個人があって国家が存在する。その原点を忘れてはならない。

◆ ボクがわざわざ書かなくとも
 こういう原稿は恥ずかしいものである。ましてや、こういうタイミング。ボクがわざわざ書かなくても、もっと優秀なる頭脳が、いくらでもステキに鋭く現在をえぐっている。
 ただ、自民党の総裁選挙を、あたかも国民投票による大統領選挙ではないかと受け取りたくなってしまうようなマスコミの取り上げ方には疑問を抱いた。批判するにせよ、持ち上げるにせよ、あれほど大々的に取り上げれば、当然自民党の宣伝になってしまう。と、そんな余計な心配をしてウォッチングしていたら、アニはからんや、イモウト知らずや。新しい首相の支持率は、ご本人の希望通りにはいかなかったようで、そろそろ国民も騙されることに免疫ができてきたらしい。いい傾向である。
 おそらく、ありとあらゆるマスコミが、次の選挙のあれこれ予想や分析をしているので、ボクが何かを書いたとしても、ゾウに蚊がとまったよりも微細なる刺激にしかならない。ただ、様々な議論のある中、ひとつだけボクの考えを述べさせていただきたい。つまり、仮に政権交代が実現されたとして、民主党に政権担当能力がないという議論を耳にするが、これを次の選挙の論点にするのは当たらないと考えているからだ。

◆ 国会を伏魔殿にしてはならない
 自分の周囲を観察しても、世の中の順序が逆になっていることは明々白々である。人間の口に入れてはいけない物が食品として流通していることだけを取り上げても、その現実を証明できる。そして、現状の責任が役所にあることもまた明白な事実である。けれども、役人は罰せられない。
 どうしてだろう。それは法律が役人を罰しないように作られているからだ。当たり前の話である。立法府による法律の原案を役人が書いているからだ。難解な文章で、ほんの一部の人間にだけ理解できる文面で、ぐっちゃぐっちゃにこんがらがって、主流がいいように解釈できるよう、不可思議な漢字という外国語を中心にして、法律を明文化しているからだ。
 一般の人が、どれだけ六法全書を読み物として認められるだろう。法律は、頭脳優秀なる高級官僚だけが使いこなせるように作られているのだ。これは大昔から変わらない。世襲にまみれた現与党は別にして、国民の代表が地の底から国会に上がってきても、そこが魑魅魍魎の役人たちの住処であれば、国民の立場に立脚した法案など、作成できるはずもない。
 いつから国会は霞ヶ関の傀儡となってしまったのであろう。いや、長く続いた政権と行政は強く結びついているに違いない。とにかく一度、この堅固なる絆をぶち壊し、役人の安穏たる生き様に鉄槌を下す必要があるのだ。くどくどは書かない。けれども、昨年の参議院選挙の結果が明らかにしたように、政治のバランスが変われば、役所の地下室に埋もれている役人の不始末を白日の下に明らかにすることができるのだ。
 ここはひとつ、安穏たる役人たちのハートを刺激して、逆さまになっている世の中の順序あれこれを、正常な状態に戻すべく、国民個人ひとりひとりに与えられるチャンスを最大限に活用したいものである。少なくとも、選挙のタイミングがいつであろうと、たとえそれが連休の真っ只中になろうとも、国民全員が選挙に参加して、日頃の思いを投票行動に反映させたい。 2008/09/28

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