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■ 何かが心に引っかかる

◆ 不思議なラジオ広告
 ふと気がつくと、ラジオから街のざわめきが流れ出し、
「そのお金の70パーセントは、自分の住む町を、少しでもよくしようと頑張っている人たちを応援するために使われています。自分の町をよくする仕組み、赤い羽共同募金です」
という言葉が聞こえてくる。マジメなような、謝っているような、あまり明るくない語り口の女性の声。たとえていうならば、とある電機メーカーの暖房器具事故についての謝罪広報や、電力会社の原子力発電所の修復報告などに通ずる、あの曖昧なる口調である。だから、気分を愉快にしてはくれない。むしろ、湿り気が多くて取り残した耳垢のように気持ち悪いし、答えられなかった答案のように心に積もるものがある。

◆ 意味わかんない
「そのお金の70パーセントは」
 ラジオ広告は、こう始まる。けれども、どうして70パーセントなんだろう。では、残りの30パーセントは何に使われているのだろう。もしかして、無駄遣い?まさか、そんなことはないだろうと思いたい。でも、人を疑心暗鬼にして、余計なことを考えさせてしまう摩訶不思議なコピーである。
「自分の住む町を、少しでもよくしようと頑張っている人たちを応援するために使われています」
 と語りかけてくるが、少しでもとは、どの程度のことをいうのだろう。そもそも、誰だって、自分の国や町をよくしたいと考えている。そのために頑張っている。むしろ、そうでない人を見つけることの方が難しい。そして、応援とは、どの程度の援助なのだろう。痩せ馬が坂道で重たい荷車を引き上げていて、それを後ろから全力で支えている人がいて、その人の背中を指一本で押してやる程度の応援なのか、それとも、その荷車に百万馬力のハイパワーエンジンを装備するような応援なのか、はっきりしない。
「自分の町をよくする仕組み、赤い羽共同募金です」
 こうした言葉で毎日のように広報するのは、もしかして赤い羽の人気が落ちているのかな。募金が集まらないのかな。それとも、自分たちが信用されていないという不安でもあるのかな。とにかく、あれこれと気になって仕方のない広告なのだ。

◆ 不思議な募金
 そもそも、集まったお金の再分配については、税金と同様の疑わしさがつきまとう。誰に決定権があるのだろう。何を基準に決めるのだろう。たとえば、赤い羽でネット検索をかければ、それなりに納得させられてしまう項目や記述が並んでいる。けれども、税金の無駄遣いについても、役人はそれなりの理由を並べ立てるだろう。いかに、その使途に正当性があるか力説するだろう。そして、その決定に民は従わざるを得ない。この赤い羽共同募金についても、同じような印象を受けてしまうのだ。

◆ 赤い羽の残酷イメージ
 昔、庭でニワトリを飼育していた。鶏卵を食べるためである。ニワトリはボクのペットにもなってくれた。けれども、いつの間にか、ニワトリは消えてしまった。父親が締めて、食べてしまったのである。もちろん、ボクも知らずに食べさせられた。
 赤い羽は、ニワトリの白い羽を、わざわざ赤く染めているのだが、ボクには血染めのイメージがあって、どうしても殺されたニワトリを連想してしまう。考えてみれば、赤い羽はあまりいい趣味ではないような気がしている。いや、緑の羽も、猫に殺されたインコの羽のようで、やはり悪趣味ではあるが。

◆ 募金シーズンのお守り
 募金シーズンになると、駅前などで、騒々しくも黄色い波動で四方八方から声をかけられる。繰り返し、
「ご協力、お願いしまあす」
と、やられる。うるさい。ボクなどは、耳まて盲人にされてしまう。
 小学生のときは、教室で赤い羽を買わされたような記憶がある。とにかく、募金シーズンになると、この赤い羽を胸に飾らない限り、
「お願いしまあす」
の集中攻撃を受けてしまう。そして、胸に赤い羽の存在さえあれば、
「私はいい人です」
というような顔をして世間を渡れることになる。そういえば、擦れ違う人たちも、胸に赤い羽があるかなしかで、その表情に目に見えない変化が生じていたように思えた。いや、この自分だって、
「お願いしまあす」
と叫ばれれば、胸の赤い羽を相手に見せ付けてやったものである。
 さて、戦後が遠くなった現在、既に赤い羽の役割は終了しているのではないだろうか。むしろこれからは、いかに税金の無駄遣いをなくすか、その方向にエネルギーを向けるべきであろう。
 さて、あのラジオ広告にも、募金が使われているのだろうか。不思議な告知のおかげで、いろいろなことを考えさせていただいた。ありがたいような、迷惑のような。
2008/12/21

 

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