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■ 2008年12月8日から21日までの出来事あれこれ

◆ いつも日記をつけているのです
 失明したら頭脳がノート。だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、大切な事柄から瑣末時までを思い出し、神経質なほどマジメに日記をつけてます。音声パソコンを入手した当時、ただのスケジュール表だったものが、いつの間にか毎日の記録となっていました。運動、万歩計、透析データ、食事と、健康維持のためにも大切なものとなったこの習慣も、始めてからもう20年になろうとしています。
 けれども、世間で流行しているようなブログのように、人様に読んでいただけるものではありません。ただ、2007年の8月12日から遊びで始めた十七文字が、それぞれの季節や出来事のヘッドラインになるので、ここに紹介させていただいてきました。

◆ 漱石や荷風になれるはずもなく
 本当はひとつひとつ、丁寧な記事に仕上げたいことばかりなのですが、十七文字や日記の切れ端の紹介で、現在を生きるボクたちの暮らしを浮かび上がらせてみたいと思います。
 エム ナマエの日記なんぞ、夏目漱石や永井荷風にでもならない限り、死んでみたって永久に披露するチャンスなんぞもあるはずもなく、こうして自分に命のある間だけ、毎日の記録を粉砕して、かけらを集め編集して、その一部だけをホームページに掲載し続けることにしたのです。どうか、よろしくお付き合いください。


◆ 今回は2008年12月8日から21日までの日記
 のダイジェストですが、この期間、個人的には、大変に辛い事実を受け止めなくてはならないことになりました。詳細は、改めてひとつの記事として、皆様にお知らせしたいと思っています。
 2009年から、このコーナー、絵夢助人さんのおかげで、リニューアルされました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。2009/01/01

1208・月・ジョンレノンの命日・開戦記念日・
 目覚めたら、FM-J-WAVEでジョンのハッピークリスマスがかかっている。朝のニュースはやっぱり麻生太郎の支持率急降下。そもそも、この人には国家のリーダーとしての資質が決定的に欠けているのだ。
「内閣のタイをなしてない」
 アナウンサーが伝えている。あれれ、この場合、テイをなしていない、が正しいのではないだろうか。内閣は鯛ではないのだ。けれども、麻生太郎さんの場合は、緊急且つ迅速に覚悟してまな板の鯛になるべきかもしれない。そして、この場合はテイではないのである。
 コボちゃんがアルルとの散歩から帰宅して、昨日の火事の報告をしている。飼い犬のことが気になる。無事に逃げることができただろうか。
 昼間、やなせたかし先生へのプレゼント作品の彩色。発送は明日。夜、透析からの帰路、空気が冷たい。最近は星がきれいといっていたが、今夜はどうだろう。コボちゃんが、黄色くて明るい星が出ているといっていたが、木星ではないだろうか。時間から考えても、金星でないことだけは確か。
 NHKニュースによれば、玉置宏氏がラジオ名人寄席で著作権侵害をしていたと報じていたが、これはうすうす予感していた。番組が玉置氏のコレクション自慢になっていたからだ。けれども、落語ファンには貴重な企画だったので、番組が消えたのは惜しい。NHKの膨大なアーカイブから、優れた落語番組をもっと企画して欲しい。マッサージチェアでラジオ深夜便の藤沢周平作品の朗読、『用心棒・日月章」を聴いてから眠る。
▲ 支持率が景気と共に落ちていく
▲ 一等星希望を重ね帰り道

1209・火・
 山下賀正先生の処置により、脳味噌の血流が上がったはずなのに、頭の回転が悪く、ボクはマンネリで苦しんでいる。締め切りをひとつ延期してもらった。
 とあるラジオCMで
「お気楽にお電話ください」
と伝えているが、
「お気軽にお電話ください」
が正しいのではないだろうか。日本語は難しい。
▲ マンネリの頭はシャッフルするっきゃない
▲ 列島に砂糖をかける冬小僧

1210・水・
 朝のラジオをBGMに、ラジオ深夜便の年鑑表紙イラストレーションの下絵。集中できた。19度と暖かいのも気持ちがいい。天気は仕事に大きく影響する。メールあれこれ。Tさんの持続点滴が始まった。早い退院を祈る。
 透析中、ラジオはずっとFM-J-WAVE。グルーブラインは笑う。ジャムザワールドのシャッフルクイズの答えは「アメリカンインターナショナルグループ」でした。純粋に記憶力と思考力だけで問題を解くのだから、ボクにとって、このクイズは暇潰しと同時に、いい頭の体操。
 透析より帰宅して、ホームページ執筆は日記のリライト。TBSのラジオブックスは田辺聖子作品だから、やはり引き込まれる。赤ワインを飲んで傾聴。メディアは不景気をあおるネタばかり。企業は理念や理想を失っている。大恐慌から戦争が始まった。ニューディール政策は世界大戦という形で収まったとは穿ち過ぎの推測だろうか。コボちゃんに戦争の歴史や天皇家の話をする。そこから映画『ブリキの太鼓』の話題に発展した。それにしても、不安でなかった時代なんて、あった例し・ためし・がない。未来はいつも不明なのだ。天気も同じ。晴れても曇っても、人は今年の天気を憂う・うれう・。ニュースは激動する世界を報じるが、 異常ばかりが強調される。けれども、いつだって世の中は普通じゃないのだ。まわりを見るがいい。みんな、どこかおかしい。サンプルや標本になる「普通」なんて、どこにも存在しないのだ。
 歴史を振り返れば、古今東西、誰もがみんな苦悩し、問題を抱えてきた。
▲ 荒れ狂う波打ち際で朝を待つ
▲ 今朝もまた目覚めることの奇跡かな
▲ 幸せは冬のまどろみサンルーム

1211・木・
 コーヒータイムにクリスマスツリーを点灯して、アドベントカレンダーを開く。これが毎朝の楽しみ。ドアチャイムでドアを開くと、クロネコの高橋さん。
「新巻鮭が届きましたよ」
ときたもんだ。Hさんより新巻鮭が届く。すごい。コボちゃんと感動。こんなのいただいたのは初めて。それにしても、コボちゃんに解体できるだろうか。そう案じていたら、丁寧なことに既に切り身になっている。ありがたい。
 喜んでいたら、青木弘子さんから電話。キンさんと連絡がつかないという。電話が普通になっているので、弘子さんが彼の家にいくと、ガスも電気も止められていた。すぐに警察を呼ぶことになる。いたたまれない、不安な気持ちで待機していたら数時間後、キンさんが亡くなっていたことが判明する。
 電話もガスも止められ、それでも近所はもちろん、行政も彼の死に気づかなかった。いや、この自分だって気がつかなかったのだ。彼と最後にしゃべったのは9月27日のこと。それから、たとえ彼が電話にも出ず、返事をしなかったにせよ、留守電にメッセージを入れるくらいのことはしていればよかったと悔やむ。仲良しだった西島三重子さん、ニューヨークつながりの田辺靖始さん、下村健一氏に知らせる。ウーちゃんがキンさんの家にかけつけた。コボちゃんもいくことになっていたが、青木夫妻が警察にいくことになり、結局コボちゃんはいかないことになる。ボクは仕事に手がつかなかった。頭が重く、胃袋が痛い。年賀状の文章を途中まで考えたが、まとまらず。それどころの気分ではなかった。キンさんのことを考えると、いきなり深い悲しみと後悔がわいてきた。ニューヨークのことを思い出す。彼と青木岳志カメラマンが助けてくれたからこそ、ニューヨークの奇跡が起きたのだ。キンさんの冥福を祈る。
 思い出したことは、今朝の夢。死骸の上に建てられた家を友人が買うというストーリー。おかしな夢だったが、キンさんが見せたのかもしれない。まだ成仏はしていないだろう石原均というアーティストの逝去で一日が暮れていった。
▲ 逝去知り合わさる両手年の暮れ
▲ 友人を独りで死なせた冬の夜

1212・金・
 夜、透析病院へボクを迎えにきたコボちゃんに、石原均さんの最後について、いろいろと聞かされる。命日は12月8日となる。8日は釈尊とご縁のある日。本当は12月の上旬ということだが、寺のご子息、青木岳志さんの思いで、8日となったのだ。自然死ということだが、電気ガス水道電話を止められ、生きる気力を失ったのだろうか。奇しくも石原均さんの命日がジョンレノンと同じ12月8日とされ、キンさんとジョンがボクの中でニューヨークの日々と重なった。
▲ ジョンレノン石原均ニューヨーク
▲ 大雪にガス水道を止められて
▲ じわじわと悲しみ悔やみ湧いてくる

1213・土・
 電車と地下鉄で早稲田へ。2時からと思っていたら、2時半開始だったので、最初はずいぶん人がいないなあと心配になってしまったが、ボクが時間を間違えただけだったのだ。開演直前、あっという間に満員となった。
 −追悼シンポジウム−「筑紫哲也をどう継ぐか―その人・思想・行動を見つめ直す」 主催 早稲田大学大学院公共経営研究科、同大学メディア文化研究所
場所 早稲田大学 小野記念講堂
パネリスト
桂敬一(元東京大学社会情報研究所教授)
下村健一(報道キャスター)
森治郎(早稲田大学メディア文化研究所客員教授)
吉岡忍(ノンフィクション作家)
司会 田勢康弘(早稲田大学大学院公共経営研究科教授)
 聴講してよかった。筑紫哲也氏に始めてお会いしたのも早稲田の大隈講堂だったことを思い出す。昨年、無言館の成人式で並んでプレゼンテイターをさせていただいたことが昨日のことのようである。あの直後、筑紫さんは肺癌のカミングアウトをされたのである。
 傾聴に値するシンポジウムだった。改めて時代を俯瞰できたような気がする。パネリスト全員が熱かったが、中でも、ヒューマニストのケンちゃんがシャープな側面を見せていたのが印象的だった。ボクの収穫は「熱狂」と「冷却」というふたつのキーワード。ケンちゃんこと下村健一氏はいう。キャスターとして、常に自分は「冷まし屋」を演じてきた。彼もまた、筑紫哲也を継ぐひとりかもしれない。
 終演後、元TBSアナウンサーのケンケンこと、見城美恵子さんのご子息なつる君が偶然にも主催者メンバーで、挨拶にきてくれた。「ニュース23」で筑紫哲也さんの相手役だった浜尾明美さんと下村健一氏、奥さんの和子さんとも談笑。打ち上げに誘われたが、幼馴染との約束があったので、早稲田大学から高田馬場まで歩く。この道は小学校時代に歩いたきりで、大人になってから歩くのは初めて。ずいぶん距離があった。一緒に歩いていて、偶然に同じ鼻歌や同じ話題を口にするとき、
「ああ、夫婦だなあ」
と思うことがある。
 夕方、「とん太」の前で「いせや」の山下佳和君夫妻と待ち合わせ。極秘情報ではあるが、小三治師匠によれば、「とん太」は日本一のとんかつを食べさせる店。そして、本当にうまい。牡蠣フライも絶品だが、今夜のロースカツは特別にうまかった。キャベツにだけソースをかけ、といっても、このソースだってオリジナルでうまいのだが、そして、トンカツには何もかけず、何もつけず、夢中で食べる。1万歩歩いたわけだから、空腹で、さらにうまいわけだ。「とん太」のトンカツの後味は、油物を食べたとは思えないほどの爽やかさがある。喫茶店でコーヒータイム。7歳のときからの幼馴染の山下君に友人を失った話をする。友を失うことは悲しい。
 帰宅したら歌手の西島三重子さんから電話があり、キンさんの遺作店の話となる。
▲ 古里を歩くしるべは妻の肩
▲ 古里で幼馴染と飯を食う

1214・日・
 冷たい雨の中、クオリスで斎場へ。キンさんの涙雨かもしれない。チャコちゃんがキンさんの遺影を抱いていた。青木岳志ご家族、ご両親に挨拶。お父上は新潟から上京され、読経をしてくださるのだ。西島三重子さんのご亭主のウーちゃん、黒井健、元サンリオの小林さん、アニメーターの森さん、公文出版の原健太郎さん、おやつのカールのキャラクターをデザインした彦根さんなど、ゆかりの深い友人が集まった。キンさんのご遺族に
「独りで死なせてごめんなさい」
と謝罪したら、涙が落ちた。棺のキンさんに声をかける。ボクらを結びつけ、今は天上にいる東君平さんによろしくといったら、また涙が出た。青木岳志カメラマンのお父さんの読経で焼香、合掌。
 夕方、有志による「石原均遺作展実行委員会」が設立される。
▲ 友を焼く煙にかかる涙雨

1216・火・
 慶應義塾病院でMDCT64スライスで冠動脈の検査。造影剤使用。検査技師や看護婦さんが実に気持ちのいい人たちで、親切で丁寧で、おまけに誠実。緊張する検査だったが、落ち着いて受けられた。東京のどこかの医大の検査技師とは大変な違いである。帰り道、新宿のデパートで崎陽軒の焼売を買う。不景気といわれる割には人出があった。
▲ 不景気の師走のデパートウォッチング

1217・水・
 朝食のとき、あまり食欲が出ない。造影剤の影響か、味覚が少しおかしい気がした。透析を午前中に変更したのは、造影剤除去のため。透析中、胸痛あり、心電図をとるが、異常なし。Oドクターが酸素吸入を提案。けれども、胸痛はとれず、胃袋に原因があるかもしれないと、ボクは考えた。胸の痛みは不安を誘う。
▲ 今日もまた命延ばしに雨の中

1218・木・
 昼間、手書きで暮れの礼状を書く。絵とサインも。枚数が多いので、時間がかかった。
 午後5時、外出。急いで歩く。昨日の胸痛が嘘のように元気よく歩けたのが嬉しい。ホール入り口で津田塾OGの青木裕子アナウンサー、津田塾フレッシュガールの上田史織ちゃんと待ち合わせ。5分間の遅刻。入り口で奄美大島の女性を青きアナウンサーに紹介される。彼女たちはてるみさんに大島紬の衣装を準備しているのだ。そのひとりは知り合いだった。世間はせまい。
 午後6時半開演、二木てるみリーディング。四谷紀尾井小ホール。二木てるみの朗読は美しい。まるで名作映画を観るような気分で傾聴。その世界に引き込まれた。ホールで、てるみさんと挨拶。大島紬を着た彼女とみんなで記念撮影。帰路、小田急線の車内で乗客にぶつかるが、親切な人で、ボクを優しく導いてくれた。思わずお礼をいう。名優は時間の果てに生まれる。今夜は二木てるみのために存在する。そんな余韻の残る夜となった。
▲ 名優の語り映画を観る思い

1219・金・
 徒歩で駅に向かう途中、ボクのステージを見たことのある女性から声をかけられて、立ち話。電車で信濃町。右足の裏が少し痛いのは、毎日よく歩いているせいか。
 慶應義塾病院、四津良平教授から受診。あまり待たずに診察してもらえた。四津は少し疲れていたみたいだったが、いつもと変わらず丁寧な診察をしてくれた。MDCTによる冠動脈の内空評価は困難とか。ただし、末梢の血管まで血液が到達しているので、大きな問題はないだろうとのこと。それでも、来年すぐに心臓エコー検査をすることになった。診察の予約をする。スーパードクターと異名をとる四津ではあるが、彼はゆっくり丁寧に仕事をする。日本一外来患者が多いのに、検査技師にせよ、医師にせよ、慶應義塾病院にはゆとりがある。すべての検査技師は、この姿勢に見習うべきなのだ。患者の不安と苦痛の除去。その実現が医療最大の使命であるはずだ。
 帰宅して焙煎工房の高山さんにコーヒーの注文。うまいコーヒーは一日を贅沢に開いてくれる。
▲ 友のいるありがたき日々手を合わす

1220・土・
 昼、絵夢助人さんによるビディオ撮影。ホームページで年賀の挨拶をする。
 2時半開演、キッドアイラック・アートホールにて、青木裕子の宮沢賢治作品朗読会。座ると、米国文化研究で高名な小林恵さんから話しかけられた。深尾精一教授とも談笑。
 『どんぐりと山猫』は笑った。小澤章代さんのスピネットが美しくも愉快。
『黄色のトマト』は『グスコーブドリの伝記』の原型のひとつではないかと感じた。ペンペルとネリはブドリとネリなのだ。悲しくて美しい物語。『雨にも負けず』の朗読が小澤章代さんのスピネット演奏と重なり、見事なハーモニーとなっていた。
 地階のブックカフェで打ち上げ。隣は絵門ゆう子さんの元マネージャーの秋山さんと深尾精一博士。紅白の司会をした目方アナウンサーもきていた。詩人の正津勉氏もいる。神戸の風月堂の安村さんもいらしていて、またゴーフルが食べたくなる。やがて窪島誠一郎先生が現れる。昨年の成人式のお礼を伝え、筑紫哲也氏の死を悼み、硬く握手を交わした。それからは文芸サロンのように濃密な会話となる。正津勉氏と窪島さんのやりとりがおかしい。「ラジオ文芸館」について、窪島さんとは意見の一致があって嬉しかった。無言館運営については苦労なさっているらしい。やはり、田中康夫知事の不在も影響があるのではないかとボクは考えている。
 コボちゃんに迎えにきてもらい、青木アナウンサーも一緒にクオリスで帰る。アルルがボクと並んで座っていた。帰宅したら、「ラジオ文芸館」も青木裕子アナウンサーの朗読で、林芙美子の作品『風琴と魚の街』の再放送だった。これは忘れられない作品である。
 朗読の愛好者が増えることは文化向上のバロメーターになるだろう。
▲ 地下室に文化の香り冬の夜

1221・日・冬至・
 チャイコフスキーの「胡桃割り人形」をBGMにして、終日机に向かった。冬至というのに、外は暖かく、最高気温は19度と驚く。暖房の必要がなくて助かる。
 NHKラジオでケータイ短歌特集をやっていたが、テレビと一緒の特別企画だったので、夜中なのに騒がしく、すぐにラジオを消して寝てしまう。世田谷一家惨殺事件からそろそろ8年が経過しようとしている。宮沢一家のご冥福を祈ると同時に、重大事件の時効撤廃を願う。
▲ 不景気に南風吹く師走かな



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