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★ エム ナマエの公開日誌 − あれこれ出来事 思いはいろいろ −

■ 2009年2月16日〜22日
 いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。
 音声パソコンを入手した当時、ただのスケジュール表だったものが、いつか毎日の記録となっていました。筋力運動、万歩計、透析データに食事の記録。健康維持のためにも大切なこの習慣も始めてからもう20年。
 けれども、世間の皆様がされているようなブログとは違い、わざわざ読んでいただけるものではありません。ただ、2007年の8月12日から遊びで始めた十七文字が、季節や出来事のヘッドラインになるので、ここに紹介させていただいてきました。
 毎日の出来事。去来する思い。本当はひとつひとつ、丁寧な記事に仕上げたいのですが、イカサマ俳句にマヤカシ川柳。これら十七文字や日記の切れ端で、現在を生きるボクたちの暮らしを浮かび上がらせてみたいと思います。
 夏目漱石や永井荷風ならいざ知らず、ボクの日記なんぞ死んでみたって永久に披露されるチャンスなんて訪れるわけもなく、こうして自分に命のある間だけ、毎日の出来事や思いを粉砕して、かけらを集め編集して、ホームページに掲載し続けることにしたのです。
 さて、近頃ここいら最近の1週間。出来事あれこれ、思いはいろいろ。どうか、よろしくお付き合いください。エム ナマエ

0216・月・
 朝、6時半、コボちゃんアルルと帰宅。いつもの朝の運動と日記。コーヒータイムでバレンタインにもらったチョコを食べる。青木ファミリーの手作りチョコはビターでうまい。馬場さんのナマチョコはプロ級の腕前。
 中川財務大臣が泥酔。Gセブンでベロンベロンの記者会見をして、世界中の笑いものになるが、あれは風邪薬の影響だと苦しい弁明。
 いきなり寒くなった。やはり春は遠い。夜、ヒラリークリントンがやってきたらしい。
▲ テーブルの赤白ワイン風邪薬
▲ 永田町ひらりひらひらクリントン

0217・火・
 いつもの朝の運動と日記。アルルに御飯、コーヒータイム。ホームページ記事を推敲して、絵夢助人さんに送信。
 気温は低いが日差しが暖かい。経堂、下北沢、渋谷駅で東急に乗り換え。乗り換え通路で岡本太郎の壁画「明日の神話」をコボちゃんに説明してもらう。岡本太郎は大好きなアーティストのひとり。コボちゃんに説明してもらうが、あまりよく分からない。
 ひさびさ、東横線に乗る。昔はこれで日吉まで通ったもんだ。それも4年間も。学芸大学の駅前は賑やかで洒落ていて、それでいて庶民的。下北沢の賑わいとも違って、また魅力的。興味をひかれる匂いで満ちている。
 千本桜ホールはすぐに分かる。立川プロの佐藤さんが声をかけてくれる。開場時間前に劇場で幼馴染の山下夫妻と待ち合わせ。
 学芸大学、千本桜ホールで、下町ダニーローズ第10回公演『文学狂男・縛り首の季節』。立川志らくの才気あふれる舞台。なべおさみも柳家一琴もよかった。舞台の設定はシンプル。衣装や小道具のアイディアもいい。出演者は少ないが、その少ない演者が不思議な絡まり合いとなり、ユニークな芝居に展開していく。笑いも感動も、そして感慨もある。終演後、柳家一琴師匠、立川志らく師匠と言葉を交わす。立川一門の前座さんたちが働き回る様子がいい。
 午後6時になったら、カレーハウス「シンク」にいく。開店前だったが、入れてくれた。待望の牡蠣のカレーライス。ナマビールもカレーもうまかった。特に麦の入った御飯がうまい。夢中で食べた。その後、コーヒー『美学』に入る。洒落た店。コーヒーもうまそうだったが、料理の匂いがいいので、シャルドネの白ワインとラタトゥーユを食べる。これもうまかった。山下は駅前で富士宮焼きそばを買ってきてくれた。
 帰宅途中、再び渋谷の岡本太郎の壁画前にいく。今度は山下夫妻が絵を説明してくれるが、やはり絵を言葉で伝えるのは難しい。ボクの岡本太郎のイメージをコラージュして、ボクなりの原爆絵図を創り上げた。それにしても、誰も壁画の前で立ち止まらないのが残念。この場所でいいのだろうか。広島の平和公園へ移動した方がよいような気がする。
 帰宅して、いきなり筋力運動。エネルギーが余っているのだ。富士宮焼きそばを肴に赤ワイン。山下のパリ滞在の土産物のお洒落なチョコレートを一口食べる。とろける甘さ。ニュースは中川財務大臣辞任。
▲ 襟立てて壁画の前を急ぎ足
▲ 暗転でタイムトラベル芝居小屋
▲ ゴックンで私大臣辞めました
▲ヘロヘロで世界まる出し笑い者

0218・水・
 朝、FM-J-WAVEでIBBYのことをやっていた。国際児童図書評議会、インターナショナル・ボードオンブックス・フォーヤングピープル。1953年、スイスはチューリッヒで設立された。日本支部、JBBYは恩師の渡辺茂男先生が創設に活躍された。当時、ボクも理事のひとりだったが、視力低下のため、リタイア。その後、日本大会が催された。アンデルセン大賞は小さなノーベル賞ともいわれ、日本では安野光雅、まどみちお、赤羽末吉画伯が受賞されている。今、渡辺先生も赤羽先生も遠い空へ旅立たれた。普段はBGMでしかないラジオから、ボクの心の池に石を投じ、波紋を広げる言葉が飛び出してくる。
 愛猫キロンを膝に乗せてマッサージチェア。日差しが暖かい。コボちゃんに『犬身』を読んでもらう。
 夕方、デイキャッチの川柳に挑戦したが、まるでかすらず。ボクのはピント外れなのだと思う。第一、投稿者の皆さんは本当にレベルが高い。
 透析より帰宅して、またまたシオンのカレーライス。半分だけちょーだいと伝えてから食べたが、やけに量が多い。ぺろりと食べて、大盛りだったね、といったら、あれで全部だという。コボちゃんはボクに好物のカレーを全部食べさせたのだ。昨日から「シンク」のテイクアウトカレーライス三昧。野菜もチキンもうまかった。
 TBS、ラジオブックスにまたまた黒柳徹子が出演。ラジオドラマ「やんぼう・にんぼう・とんぼう」を語っていた。ボクにとっても、懐かしい話題。
ボクはこのドラマで黒柳徹子のファンになったのだ。55年昔の出来事である。
 コボちゃんと佐原の実家の話題。田舎の口臭の匂いがした、といってたので、それはどうやら「田舎の香水」のことらしい。
 性の奴隷にするといって隣室の女性を拉致し殺害、死体損壊と遺棄の罪に問われた男に無期懲役の判決。予想された死刑判決は出なかった。ボクは考える。被告にとっては、死刑よりも無期懲役の方が重い刑罰ではなかろうかと。彼はこれから死ぬまで、自分の中の悪魔と対話し、おのれの犯した罪のむごたらしさに怯えおののきながら生きていかねばならないのだ。死刑を廃止して、終身刑の導入を願う。
 ベッドに入った瞬間に熟睡。毎日が矢のように過ぎていく。けれども、その毎日に語り切れないほどの出来事が満載されている。この宇宙。この地球。この人生。我々はどうしてここにいるのだろう。

0219・木・雨水・
 起きて松沢小学校講演準備。何回かに分けて原稿を書く。推敲して録音。頭に入れる。
 石原均追悼展看板文字と彩色。文字の練習はOK。けれども、彩色は現場ですることになる。本番では6枚を一気に書く。そのうち、5枚はなんとか使い物になりそう。
▲ 謹んで追悼展の文字を書く

0220・金・
 関東では雪がちらついている。未明より起きて講演準備。準備した原稿をコンピュータで繰り返し読む。
 クオリスで学校へ。プレハブの校舎に子どもたちの声が反響して、賑やか。校長室からはエレベーターで図書室へ。車椅子の生徒がいるのだ。14時半〜16時、松沢小学校にて保護者対象で講話。道徳の地域公開授業。ボクの考えたテーマは「人生サバイバル」と「奇跡を招き入れる生き方」。講演が終わって、言葉の朗読とホワイトボードに絵をかくパフォーマンス。熱心な先生や母親からの質問に丁寧に答える。
 いつか、外は晴れていた。急いで帰宅して、着替え。いつもの透析。ニュースは中川財務大臣、へろへろ会見の後、バチカンを視察したとのこと。どうして政治家の場合は観光が視察になるのだろう。
 帰宅すると、いろいろとメールがあったが、返信は明日にする。本日はひさびさの講演で疲れた。やはり、どこかで緊張しているのだ。人前で語ることは、裸になるのと同じことだから。
▲ 雪の朝昼は光の春となり
▲ プレハブの校舎を照らす子らの声

0221・土・
 朝寝坊。起きて日記。BGMは土曜ワイド。午後からの土曜ワイドは永六舗寄席ということで楽太郎、米丸、ミッキー亭カーチスが出演。石原均追悼展緊急記事を書く。
 ラフな形で外出。それが災いしたのかもしれない。下高井戸から京王線と都営新宿線で神保町。都営地下鉄の出口で身障者手帳の提示を求められる。好き好んで盲人の真似事をしているはずがないのに、わざわざ身障者に負担をかける要求は人権侵害行為だとはボクの超個人的見解。小額の運賃を半額にするため、わざわざ不自由な形をとるわけがなく、地方公務員の権威を振りまきたいのだろうかと考えると腹が立った。その昔、伊勢神宮の守衛や、丸善デパートの守衛に盲導犬のことでいじめられたが、弱者と見ると、いじめたくなるやからがいるのは許せない。おまけに、お役目という免罪符があるので、いくらでも威張ることができる。おい、駅員。勘違いするな。ボクは本来だったら、ひとり分の運賃で電車に乗りたいのだ。ふたりでひとり分の運賃を払うのは、どうしたって介助が必要だからだ。決して運賃を安くしてもらっているわけでも、まけてもらっているわけでもないのだ。そもそも、そんなに偉くなりたいのだったら、視覚障害者のホーム転落事故を防止するよう、十分な対策をとってからにしてもらいたい。年間に何人が犠牲になっているのか、知らないわけでもないだろう。都営新宿線の神保町の駅員のアンポンタン、そこをよくわきまえて、障害者苛めは二度とするではないぞ。
 檜画廊に到着すると、ギャラリーはもう満員。みんなで忙しく立ち働いていた。画廊オーナーで女優の檜よしえさんがボクを安全地帯の椅子へ座らせてくれる。石原均追悼展の搬入メンバーは豪華だ。スタジオクラスターの青木岳志カメラマンとそのスタッフ。奥さんの弘子さんと次女のチャコちゃん。旧友で絵本作家の黒井健。そのお嬢さんでアーティストのナギちゃん。バルセロナでのコンサートを成功させたばかりの歌手、西島三重子とご亭主の竹之内信広さん。フリーエディターで、展覧会準備事務局の小林潤子さん。アニメーターの森まさあき氏。そして、ボクの奥さん、コボちゃん。ボクがアホのようにただ座り、みんなの立ち働く動きや会話に耳を傾けていると、画廊の檜さんと、野原由美子さんがトンカチ片手に口から釘を機関銃のように吐き出しながら、トンテンカンと槌音を響かせている。途中、弘子さんが何の仕事をしていないエム ナマエを気の毒がって、無題の作品にタイトルをつけてくれ、とか、長女のジュンちゃんの作った募金箱に触らせてくれたり、暖かい心遣いをしてくれる。やがて、石原均のユニークな凸凹イラストレーションでギャラリーが賑やかに飾られた。今度は看板だ。ボクが盲滅法に文字を書いた紙を、おろおろと提出する。6枚あったうちの5枚だけを持参したのだ。1枚は失敗したのである。それを皆さんに見て、選んでもらう。ここはやはり、日本有数の絵本作家、黒い健に判断を委ねた。彼は2枚を選び、それに彩色を加え、看板として完成させていく。たとえば、凸凹というような文字を、色をさすことによって、よりビジュアルな文字に仕上げていくのだ。できた。誰かがサインをいれたら、という。たとえば、ケンとエム、とか。スカイラインのケンとメリーじゃあるまいし、とボクらは遠慮する。キンさんの手がけた仕事、絵葉書、絵本。それらをレイアウトしたら追悼展会場は完成した。キンさんが、この様子を見たら、どんな気持ちを抱いただろう。いや、盲目のボクには、画廊の中を忙しく立ち働くキンさんの声を聞いたような気がしてならない。失明して以来、檜画廊で個展を開くたんびに、キンさんは飾りつけを手伝ってくれ、そしてキャプションや看板をボクのために書いてくれていたのだ。キンさんが憧れていたという檜画廊。そこで開かれる自らの個展会場に本人だけが不在なのが本当に心残りである。せめてキンさん、この展覧会の間だけは、十万億土から娑婆へ引っ越してきていてもらいたい。
 中華レストラン、揚子江でご苦労会。満腹で帰宅したら、イヌネコが大歓迎。「ラジオ文芸館」を聴く。伊藤アナウンサー。最近、やけに忠臣蔵、討ち入りをテーマにした作品の朗読が多いような気がする。NHKに何か意図があるのだろうか。赤ワインを飲んで、すぐに眠る。
▲ 冬に散り梅と咲いてる追悼展

0222・日・ニャンニャンニャンでネコの日・
 起きていつもの朝の運動と日記。ホームページに石原均追悼展速報を書く。それらをまとめ、追悼展のお知らせとしてBCCで配信。
 目黒区民センターにいく途中で迷う。下村健一氏とケータイで連絡を取り合い、やっと到着。
 13時より14時半まで、目黒区民ホール美術館で木村裕一とケンちゃんのトークショウ。ボクも壇上にあがることになっていて、あせる。このふたりの○村○一とは長い付き合いなので、ボクがジョイント役を演ずるという冗談が本当になってしまったのだ。
 下村氏の奥様からはこんなメールをもらっていた。
「目黒区の区民センター内にある目黒区美術館で13時30分から14時半まできむらゆういち先生と夫が「こどもは遊んで大きくなる!」という題でトークを行う予定でいます。まだ、何の打ち合わせもしていないのですが。娘の通っているチャイルドアートセンターという木村先生が始められたアートの教室をお弟子さんである大木先生という方が引き継ぎ、今回10周年(だとおもったのですが)になるので、記念としてイベントをやることになったものであります。」
 トーク終了後、絵本作家の入り江杏さんと談笑。彼女は、わざわざボクに会うためにきてくれたのだ。一緒に絵本を作りたいと打ち解ける。明るい人柄の奥に、運命に立ち向かう力強いものを感じた。時効廃止を訴える運動に協力したい気持ちがわいてくる。下村健一、木村裕一、ふたりの○村○一氏と一緒にいると、いろいろな縁が浮かび上がってくる。この会場でも貴重な出会いや再会があった。
 木村裕一氏の横で、絵本「あしたのねこ」にサインをさせていただく。下村健一ご一家とコーヒータイム。木村裕一氏にフジテレビの番組スタッフを紹介される。ひさしぶりに木村裕一氏のお姉さんともご挨拶。彼女はアニメ「あらしのよるに」のプロデューサーだ。あの映画の音楽が感動的だったのは彼女の仕事である。
 デニーズで食事。ここのサーロインステーキは安くてうまいのだ。帰宅してマッサージチェアでTBSラジオの爛漫寄席。NHKラジオの文化講演会をBGMに赤ワイン。すぐに眠る。
▲ 美しき絆で編んだタペストリー

 

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