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◆ 主人公は盲導犬ではありません  −エム ナマエ−

 盲導犬アリーナと暮らすようになってから十年が経過している。その間、盲導犬を取り巻く環境はかなり改善されてきた。メディアや各方面による啓蒙活動のおかげであろう。

 ホテルやレストラン、喫茶店等で入店を断られ、空腹を抱えて街をうろつくなんて心配も少なくなった。タクシーや劇場等で盲導犬を拒絶され、目的を果たせずに終るなんてことも激減している。だが、それだけで問題がすべて解決したわけでもない。一般の人が盲導犬について知識を得ることによる弊害もあるのだ。盲導犬使用者の僕にとって最大の願いは「当たり前」に歩くことにある。

 僕が盲導犬歩行をしているときの最大の困難は、街で声をかけられることにある。危険回避や緊急避難のケースは別にして、普通はあまり声をかけられない方が有り難い。盲導犬を見かけても、黙認してもらうことが最も望ましいのだ。

 盲目による困難はアイマスクをかけて街を歩けば明らかだろう。だが、盲人であることを正確に理解してもらうのはかなり難しい。それには一定期間以上、視力ゼロを体験してもらわなければならないからだ。突然の失明による衝撃と混乱は大きなものに違いない。僕だったら間違いなくパニックになっている。唐突で永遠の暗闇は、どんな人物の理性だって失わせる。僕のように時間をかけて失明したケースでさえ、右も左も上も下もわからないような状態に陥った。光がわからないから昼も夜もわからない。時間の感覚が狂ってしまう。僕の場合は宇宙遊泳のような感じだった。だが、人間には「慣れ」という優れた習性がある。時間が経過して、見えないことが当たり前になると、そこを生きる勇気と知恵が生まれてくる。見えるとき一の価値しかなかった情報に十の価値を見つけようとする。これが盲人としての本当の第一歩となるのだ。

 想像力、記憶力、判断力、勇気、楽観は僕が盲人として生きるうちに強化した最大の道具である。盲目を援護射撃してくれる強力な武器といってもいい。これらを総動員し、融合させ、僕は盲導犬と歩く。犬も記憶力と予測力に優れ、抜群の聴力と嗅覚を誇り、おまけに忠実と愛情という秘密兵器まで備えている。それを徹底的に訓練して育てあげたのが盲導犬だ。じゃあ、すべて盲導犬にお任せでいいではないか。一般のお方はそうお考えになるであろう。だが、そうはいかない。犬には欠点もある。気紛れ、気分屋、遊びたがり。これらをコントロールし、君は職務に就いているのですよ、と自覚させながら命令する。右、左。いけ、止まれ。ときには褒めてやる。よしよし、OK。こうしてお互いに気持ちを合わせながら、盲導犬の動きを観察し警告して目的地に向かうのである。どれほど盲導犬が優れた生き物でも、すべてを判断し命令する僕が主人公なのだ。だが、テレビで盲導犬を知った人々にそのポイントは伝わっていないようだ。テレビの取り上げ方に問題があるのだが、スター扱いされるスーパードッグの盲導犬と歩く僕には迷惑な話である。

 盲導犬アリーナは愛らしい。それは僕の自慢でもある。だから褒められれば嬉しい。これも素直な感情だ。だが、僕はペットとお散歩をしているわけではない。盲導犬の動きと街の音に神経を集中させ、自分の所在地をナビゲートしている。その盲導犬に声をかけられることは、それら一連の動作を防害されることに他ならない。これがどれほど危険であるか、説明は不要であろう。

 最後に、盲導犬に対する同情は無用である。盲導犬は盲導犬として扱われてこそ誇らしく、そして幸せなのだ。そのことは十年間アリーナと暮らしている僕が保証する。

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