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◆ イメージ

 「サイモントン療法」とか言う治療法が癌治療に効果を上げているそうだが、ここでの「イメージ」とはその類ではない。
 僕が病院にお世話になる様になってから八年が過ぎた。無論、ドクターに対してもだが、特に看護婦さんには感謝している。失明宣告を受けての入院生活や、週三回の人工透析が、暗い気持ちになったり苦になったりしないのも、看護婦さんとの楽しい遣り取りのお陰である。僕の家内も看護職にあるので、その労働の厳しさや条件の悪さについては、ある程度知っているつもりではあるが、今回、ここで発言のチャンスを頂いたので敢えて書かせてもらうことにする。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「おじいちゃん、血圧、測りましょうね」
 病院のロビーや病室で、こんな風にとても優しく言う声がよく耳に届く。それを聞いて、時々僕は疑問に思うことがある。そう言われた本人は本当に嬉しいのだろうか。果たして僕だったらどうだろうか。僕だったら、きっと嫌だと思うに違いない。僕にはちゃんとナマエと言う名前がある。
「ナマエさん、お元気?」
 と、声をかけられた方がずっと気持ちがいい筈である。きっと「おばあちゃん」と呼ばれた老婦人にも「花子さん」とか「沙由梨さん」とか「安奈さん」とかの、親が願いをこめてつけた名前がある筈なのだ。もしも、その年老いたご婦人の名前を知っていたのなら、「おばあちゃん」とは呼ばないでほしい。もしも、いつも美しい看護婦さんに「おじいちゃん」と呼ばれていたお年寄りが突然、本名の「清次郎さん」なんて声をかけられたら、突如として曲がっていた腰がしゃんと伸び、目が生き生きと輝き始めるのではないだろうか。
「くそじじい」
 と言われて、普通の人なら怒るだろうが、老後の僕だったらどうだろう。「くそ」に対して怒るのか、「じじい」と言われたことに怒るのか。自分がとてもプライドが高く、扱いにくい人間だと実に自覚しているので、「くそ」と言われるのは仕方ないとは思うだろうが、「じじい」との言葉にはどう反応するだろう。やっぱり嬉しくないだろう。優しく言おうが、怒鳴ろうが、「おじいちゃん」も「じじい」も「清次郎さん」と呼ばれたい本人には、やはり嬉しくない筈なのだ。
「血圧を測りましょうね」
 こんな言い方をする看護婦さんが多い。勿論、それは善意に満ちた優しさによる言い方であるのはよく分かっている。だが、ただ「病人」のレッテルを貼られただけで、僕は別に幼い子供になったわけではないのだ。どうして当たり前の言い方をしてくれないのだろうか。何度も話を交わしても、きっとこの看護婦さんは僕のことをよくは見てくれていないのだろうと感じてしまう。この人は自分の「知識」の中の患者を見てはいるが、実際に目前にいる患者は見てはいないのだろう。
 果たして患者は病院に「病気」を診てもらいに行くのか、それとも「人間」を見てもらいに行くのだろうか。一体、人間はどの部分で生き生きとして生きられるのだろうか。どの部分がその人を輝かせているのだろうか。どんな不治の病に冒されてはいても、最後まで目の輝きを失わない人がきっといる。その人を支えているのは何だろう。そのバックグラウンドを観て欲しい。逆に、健康なのに目の輝きを失っている人もある筈だ。その人の人生に何が起こっているのだろう。
 ここで治療の威力を発するのはCTスキャンでもなく内視鏡でもない。「イメージ」なのだ。患者が本当に見てもらいたいのはラベリングされた「病名」でも「病気に対する知識」でもなく、その人の人間全体なのだ。貴方の一言がその患者を生き生きもさせ、また、気力を失わせる結果にもなり得るのだ。
 病気に避難場所を求める人達がいる。ある意味で病院はそんな人達の「かけこみ寺」なのだ。そして、その避難場所は居心地があまり良くても困るのである。患者はいつまでも、自分を甘やかしてくれる暖かい毛布に包まれていたいからだ。その特製電気毛布の商品名が「病気」なのだ。

1991 02 25

 

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