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◆ 青春の憲法

 哲学か美学を学びたかった自分が、親の意向でうなだれて入学した法学部。それでも十八歳の青春には法律は万人の理想と幸せを実現する優れた道具として映っていた。

 宇宙には絶対の法則が存在する。星の巡りも、生命の誕生も死も、その法則によって支配されている。宇宙の法の前では人間世界の法律なんて、まるで無力でしかないのだ。人間の作る法律とは、権力の相対的な拮抗によって運用され、民間の私利私欲の間で作用しているだけのものとしか思えてならない。

 しかし、法治国家に暮らす我々は、その法律がどのようなものであれ、従わなくてはならない。それが国民の義務なのである。だからこそ、立法府に誰を送るのかに重大な意味が生じてくる。どんな立方がなされるのか、すべては選挙の結果に委ねられているのだ。そして司法にも行政にも、国民の目が常に注がれていなければならない。法治国家においては、いやがおうでも我々の運命は法律によって左右されてしまうからだ。そして、真実の民主主義は独立した個人によって初めて実現される。独立とは、いかなる組織からも欲望からも自らを自立させることである。まずは個人の独立が確立され、その個人が選挙に参加することによってこそ、国家の独立も市民の権利も保証されるのだ。

 と、つまらないことばかり書いてしまったが、ぼくは以前、法学部の学生だったことがある。そして法律に失望した。法律論が単なる技術論にしか思えなかったからである。善意による法律の番人になれれば。青春の情熱はそんな願いを抱いたこともあった。しかし、法律の技術論より、人間であるための学びにぼくは熱中したのである。

 真実の正義と最大多数の最大幸福を目指す国家。それを実現すべく憲法が存在する。しかし、拡大解釈とコモンセンスに貧弱な司法の前で、それは本当に機能しているのだろうか。ぼくは護憲論者でも改憲論者でもない。しかし、解釈によってどうとでもなる明文化された憲法より、理念と理想と哲学に支えられた不文律にぼくは魅力を感じるのだv。

 「社会新報」掲載

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