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◆ 私のライフワーク 常識への挑戦

 僕の肩書きは作家と同時にイラストレーター。ときとして、それに全盲という注釈がついたりする。僕はそのことにあまり抵抗はない。全盲のイラストレーターが存在することで障害者の可能性について、もっと大勢の方々に気がついて欲しいからだ。失明して捨てていた絵を再び描き出した直接の動機は、自分に見えない作品でも人が喜ぶことを知ったからだ。目が見えないのにまあ、よく描けましたねと、褒めてもらうためではない。だが、マスコミの最初の興味はそこいらあたりにあったらしい。ところが実際に作品展を開いてみると、訪れる人々の反応は違っていた。まず、作品を評価し、その後にこれらが全盲の人間の手によることを知って驚くのだ。僕が絵を再び職業にすることを決心したのは、この頃だったと思う。
 最近、街角のあちらこちらに僕の作品が見られる様になった。広告関係者でも僕の名前を知る人が多くなった。そういった人々の集まりで、たまたま僕が全盲であることが公表された。一瞬、会場は静寂に包まれたと聞く。僕はどよめきでも起きたかと想像したのだが、実際の反応はそれ以上であった。一般の人々は全盲のという但し書きに関心を持つが、広告業界では飽く迄作品本意であって、作者がどういう状況にあるかは最初からまるで興味がないのだ。すでに僕はプロのイラストレーターとして認められ、生活を支えている。もう、僕が全盲であることに左右されることなく。だが、やはりいつかどこかで僕が全盲の作者であることを知ってもらいたい。その意図は障害者に対する一般的な常識を破壊したいからだ。
 健常者と障害者という戦慄すべき両極的な図式がある。障害者印のハンコはどなたが押すのだろう。その人、アキメクラじゃないのか。一体この両者を隔てる境界線はどこに引かれているのだろうか。身体的障害者や知的障害者と、障害者も様々だが、同時に世間では思いやり障害者や想像力障害者が健常者として幅をきかせている。そのために、狭い歩道では無神経な自転車放置が車椅子の通行を阻み、盲人を危険な局面に追いやる。駅前広場では放置自転車の山が災害時の人的被害を広げるべく待機している。これらの現状は全て影の障害者達によるものである。
 障害者は劣った、面倒をかける、役に立たない存在と考えられがちだ。健常者は全てにおいて優れていると思われがちだ。健康な精神は健康な肉体に宿るなんて、とんでもない既成概念が横行している。真っ赤な嘘である。福祉現場でも真実に気がついていない人々がある。常識の嘘が壁となっているのだ。つまらない常識が、どれだけ様々な可能性を剥奪していることだろう。真実は全ての人間に無限の可能性と価値を与えている。そこに光あふれる二十一世紀を開く鍵が秘められているのではないか。常識のスポットライトの影になっている可能性の全てに光を与える仕事。この原稿で、あえてそれを自分のライフワークと位置付けしてみたい。

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