『言葉の館』 新しいコーナーです
道に迷って歩いていると、古いレンガの建物が現れる。それは言葉の館。さあ、遠慮しないで玄関をくぐろう。目の前の長い廊下は、いろいろな部屋につながっている。それぞれの部屋には、いくつもの扉が並んでいて、それぞれの言葉が刻みつけられているはずだ。もしかすると、その扉は新しい世界に通じる入り口かもしれない。
けれども、ひとつだけお断りしておきたいことがある。扉の中身は言葉の解説でもなく、解答でもない。この館にちりばめられている言葉たちは、いろいろな形でこの館に落ちてきたもので、考えて書かれたものではないのだ。それはヒントであったり、インスピレーションであったり、遠くから聞こえてきた言葉であったり、突然思い出したりしたものであった。その人にとっての真実は、他の人にとっても真実とは限らない。また、自分にとっての真実が永久に真実とも限らない。言葉を見通す力は個人のもの。そこに見えるものも個人のもの。ボクもときどき館を訪れて、繰り返しこれらの言葉を読み直してみたい。もしかしたら、同じ言葉から、まるで違うことを思うかもしれないのだから。
■ 勇気の出てくる部屋 |
ひとりだけ違っていい 自由。 ひとりで決められる 勇気。
君とボクとで同じ鼻。でも、ちょっと形が違うじゃないか。君の鼻は高くて美しい。ボクの鼻は丸くて大きい。同じ鼻でも違う鼻。でも、違うからボクは君の鼻が好き。
同じお目目と同じ鼻。同じお耳と同じ口。けれどもぜんぜん違う顔。ねえ、おかしいだろ。
よく見れば、同じようで同じでない。同じお目目でも、大きなお目目と小さなお目目。まつげの長い可愛いお目目。まつげの見えない鳥のお目目。よく見えるお目目と、見えても見ない勿体無いお目目。違うよ、違う。みんな違うよ。
それなのに、どうしておなじでいたがるのだろう。同じ顔でもないし、同じ身長でもないし、同じ体重でもないくせに。そして、同じでないのに同じふりをして、ちょっとでも違う相手を見つけたら、違う違うといじめるんだ。おかしいよ。そんなの絶対おかしいよ。
みんな同じでないと、不安で不安でたまらなくなるやつがいる。そういうやつがいると、同じでないやつを世の中から消してしまおうと悪巧みをする。やだねえ。そういう世の中のとき、戦争になったりする。こっちの同じやつらと、あっちの同じやつらが、お互いが違うからという理由で、お互いを世の中から消してしまおうと鉄砲をぶっぱなすんだ。やだねえ。
そんなとき、ボクは違うぞ。ボクは戦争なんかしないぞ。そういったら、どうなるだろう。真っ先に世の中から消されるかもしれない。だから、たぶんボクはだまっている。違うことを考えているなんて、決してそんなことありません、というような顔をして、とぼけるんだ。そんな自分が悲しくて、死んでいるように生きるんだ。
いやだ、いやだ。暴力はいやだ。違うことを許されない世の中もいやだ。
本当の自由と、本当の勇気が認められる社会。もしも今がそういう社会だったら、この社会を全力で守っていこう。おかしな法律やおかしな規則ができる前に、この自由な社会を守っていこう。今だったら、勇気も自由も認められる。
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■ 勇気の出てくる部屋 |
今日という日は、 あなたが いちばん若い日です。
「どうしてあたしたち、もっと早く知り合わなかったのかしら…」
「なんで早く教えてくれなかったんだよ!」
「手遅れです」
「今ごろ始めても遅いわよ」
「アホ。やっと気がついたか」
「俺、今日から禁煙だ」
そうだ、そうだ。誰でも今日がいちばん若い日なんだ。だから、今からやれば、これ以上早くはやれっこない。過去のことはやり直せないし、未来のことは保証できないしさ。だったら、今しかやるときないじゃん。何よりも確実なことがある。それは、今という瞬間、そこにあなたが存在すること。過去のことをくよくよいう人は、今だってやる気なんかない。そういう人は、いつまでたっても始めない。そりゃあよく分かりますよ。その代表選手がこのボクだもん。あはは。ほんじゃね。
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■ 孤独ではなくなる部屋 |
きみが どんなに孤独でいようと、 いつでも きみは見守られてる。
今、誰か、ぼくのことを考えていてくれるのだろうか。それとも、ぼくを思い出す人なんて、どこにもいないのだろうか。寂しくて眠れない夜。ひとりぽっちで不安な夜。どうして自分は、ここにいるのだろう。どうして自分は生まれてきたのだろう。誰も思い出してくれず、誰からも忘れられて、誰からも大切にされていないのに。
ともすると、こんな気分になることがある。ほんのさっきまで、沢山の友人に囲まれ、楽しく談笑し、美しい酒を飲んでいたのに。みんなと別れて、独りの自分に戻った瞬間、自分は宇宙でいちばん寂しい人間のような気分になってしまうのである。
すべては芝居のような、銀幕を通過していく映画のような、本当の言葉なんかひとつもない華麗な嘘の連続体と語り合っていたような、むなしい気分になっているのだ。
本当に信じられるものはどこにあるのだろう。どこまでも信じられる人はいるのだろうか。合掌して祈り、救いを求めて叫んでみても、孤立した心に見えてくるものは何もない。
絶望的な孤独がぼくの全身を包みこみ、合わせた両手が冷たく震えた。
「やあ、いらっしゃい。よくきたね」
振り返っても、誰もいない。何も求めず、何も語らず、ひたすらにぼくを抱きしめてくれる人なんて、どこにもいるはずがない。
「君は、ただいるだけでいいんだよ」
そんなやさしい言葉は、どこからも聞こえてはこない。
心の寒さに、思わずぼくは目を閉じて自分を抱きしめた。すると、誰かがぼくの手にそっと触れたのだ。
誰かがいる。ぼくを見つめている誰かがいる。それも、すぐそばに。息がかかるほど、すぐそばに。
それはぼくのよく知っている人だった。遠い昔、春の野原で、ずっとぼくを見守っていてくれた人。遠浅の海岸で引き潮からぼくを救ってくれた人。失恋の朝、ぼくに大きな虹を見せてくれた人。朽ち果てた建物で、ぼくの肩に手を置いてくださった人。幸せなとき、危険なとき、嬉しいとき、悲惨なとき、いつも一緒にいてくれた人。秋の京都にも、乾季のサバンナにも、春の伊勢神宮にも、真冬のヨーロッパにも、いつもぼくを待っていてくれた人。その人を感じた瞬間、ぼくは純粋な幸せに満たされていた。もう、それだけでいいと思った。
今でも、ぼくはときどき絶望する。そしてまた、その人に会いたいと思う。
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■ よりよく生きる部屋 |
どんどん 忘れていい。 本当に必要になれば、 それは ひょっこり顔を出す。
コンピューターに記憶容量があるように、人間だってすべてを覚えておくわけにはいかない。そんなことしてたら、疲れて仕方がない。
だいたい人間は忘れる生き物だからこそ、生きていけるのだ。考えてみるといい。覚えていればいるほど、人からは嫌われる。それほどに人間は嘘をつき、他人を裏切って生きているのだ。
勉強してから眠るといいらしい。覚えたばかりの記録を頭脳が整理して引き出しにしまってくれる。夢を見るということは、どうやらそういうことらしい。覚えたことを夢に見て、それで記憶は成立する。
忘れていいと思えれば、気楽なものである。覚えなくていけないと考えるから勉強が苦痛になる。忘れても大丈夫なら、覚えるのも無責任なものだ。
けれど、本当に必要なときに必要なことを思い出せるものだろうか。これは保証できない。たとえば大事な試験なんかのときである。すごい難問の前で、答えがひょっこり顔を出してくれる。まあ、常識的には期待できない展開だろう。けれど、ちょっと考えたい。そもそも入学試験や入社試験など、それほど大切な関門であろうか。もしかしたら、違うんじゃないかな。名前だけの大学や、すぐに倒産してしまうかもしれない会社に合格するかどうかなんて、一喜一憂するような重要な問題ではありゃしない。大切な人生を左右させるには、あまりにレベルの低い選択といえるんじゃないかな。
人生にはもっと切迫した瞬間がある。目の前に炎があるとき、落ち着いて消火器の使い方を思い出せるか。真夜中のご帰宅で、マンション玄関の暗証番号を忘れたらどうするか。夫婦喧嘩の翌日が結婚記念日だったことを知っていたか。大切なお得意さんの名前を度忘れしたことがなかったか。携帯電話を落としたとき、大事な人の電話番号を覚えていたか。
成功するか失敗するか。死ぬか生きるか。人生には勝負の瞬間がある。本当に必要なときに、必要なこと、というのはそういうときの重要なヒントやキーワード。こいつを思い出せるかどうかが人生で勝利するポイントとなる。どんどん忘れて、それでいて思い出せる人というのは運のいい人、心がけのいい人、生まれつきそういう人。だから心配しなくていい。運を天にまかせる。忘れようが覚えていようが、そんなこと人間の、どうこうできる問題じゃないのだから。
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■ 勇気の出てくる部屋 |
いつか誰でも 壁にぶつかる。 そしてそこから ドラマが始まる
通行人や脇役にピンチはやってきません。トラブルは主人公にだけ与えられます。今、壁にぶつかっている自分は、人生というドラマのヒーローなのです。
主人公が事件や困難や壁にぶつからないドラマなんて存在しません。そして主人公は決して逃げたりしません。トラブルが大きくて困難なほど、ドラマは面白くなり、主人公は輝いてきます。もしも主人公がトラブルから逃げれば、主人公は主人公でなくなってしまいます。けれども、自分の人生というドラマでは、自分以外の誰が主人公になれるというのでしょうか。
天は その人に耐えられない試練は 与えない。
試練が大きいほど、 あなたも大きいのだ。
よくは分かりません。けれども、とてつもない理由があって、自分はここに存在しているのだと思います。宇宙がどれだけの時間をかけて地球を生み出したのか、それを考えただけで、この星に生きる命の貴さに身震いを覚えます。ましてや、それら命をいただいて生かされている自分ですから、生まれてきたことになんの価値も意味もないはずがありません。そして、その自分に与えられる試練にも大いなる意味や目的があるはずです。その運命がいかなるものであっても、その本当の意味を知りたいとは思いませんか。そのためには試練を受け入れ、それと共に生きてみることです。苦難の峠を乗り越え、彼方に自分の足跡を振り返るときには、何かが見える自分に成長しているのかもしれません。
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■ 孤独ではなくなる部屋 |
最後に残った宝。 それが友人だったら、 どんなにいいだろう。
生まれてくるときも死んでいくときも、人はひとりぽっちです。誰もつきあってはくれません。そして、生きることも本当はひとりぽっちな営みです。それでは人間という存在はどこまでも孤独かというと、決してそうではありません。というのは人は独りでは生きられない存在だからです。人が一人前に成長するまで、どれだけ多くの人の手が必要だったことでしょう。どれだけ助けられ、どれだけ守ってもらったことでしょう。やがて人は独立して家族や血縁や組織を離れます。そして他人と結ばれ、血縁以上の関係を保ちます。新しい家族の誕生です。さて、家族は人間同士で最高の関係といえるでしょうか。血縁は絶対です。けれども骨肉の争いというように、血縁だからこそ激しく憎悪する場合もあります。肉親だからこその、遠慮のない家族だからこそのトラブルが生まれるのです。
その点、友だちとの関係は純粋です。友だちになった時代が早ければ早いほど、友だちでいた時間が長ければ長いほど、関係は強化されるようです。年齢を重ね、人は孤独な存在なのだと知れば知るほど、友だちの存在が大切になっていきます。決して癒されることのない孤独感を、少しでも軽減してくれるのが友だちなのです。いや、ときとして友だちは家族以上の力となり、助けとなります。その行為は関係の純粋さからくるものでしょう。
人は人生の地獄をみることがあります。どんなに成功していても、どんなに裕福であっても、どんなに名誉や栄光に恵まれても、どんなに健康であっても、それらを一時に失うことがあります。そうなると周囲の人間関係は合理的な判断によって振る舞い、そのあるべき姿を明らかにします。つまり、しごく自然に、かつ冷淡に離れていくのです。ただし、例外があります。それは何があっても一緒にいてくれる存在、決して去ることなく共に残っていてくれる友人がいることです。ときには、意外な人物が本物の友人としての真実を見せてくれることもあります。危機が本物であればあるほど、ピンチがピンチであればあるほど、本物の友人だけが残ってくれるのです。
失明してすべてを失ったとき、友人だけが残ってくれました。そして、ボクは人生最大のピンチを切り抜けることができたのです。
ときとして絶望しそうになるほどに人生は孤独です。都会の人の波にもまれ、家族に恵まれ、組織の中で確実なポストを保っていても、人は孤独に襲われます。そして、孤独であればあるほど純粋な絆を求めます。いつか自分は独りでこの世を去ることになります。ボクは考えます。ボクの知っている誰が最後までボクのことを覚えていてくれるだろうかと。
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■ よりよく生きる部屋 |
泣いて暮らそうと、 笑って暮らそうと、 どちらも あなたの作る1日です。
今日という一日を、どんな舞台にしてみようか。自分の中の誰を主役に選び、どんな化粧をさせてみようか。ちょっと派手な演技でもつけてみて、みんなを驚かせてあげようか。それとも、いつも心の片隅にいる、あの目立たない役者を使って、ちょっとメランコリックな芝居にしてみようか。ああ、考えただけでもわくわくする。自分は人生のプロデューサーなのだ。人を笑わせるのも泣かせるのも自分の腕次第なのだ。
誰にも秘密の素顔の楽屋で、独りあれこれ仮面を選ぶ。笑顔の仮面で誰かのためのいい思い出を作ってあげようか。それとも憎しみの仮面で、誰かの気分を最低にしてやろうか。それとも無表情の仮面をつけて、誰にも気づかれぬよう、空気になって暮らそうか。
けれども本当は笑って暮らしていたい。いつも笑って、みんなを楽しませ、誰かの幸せのための自分でありたい。でもさ、なかなかそうもいかないんだよね。自分という劇場にはいろんなタイプの役者がいて、それぞれが演技をしたくてじりじりしてる。自分がもっと賢ければ、素敵な舞台に仕上げられるのに、まだまだ修業が足りません。まだまだ勉強不足です。この世界のすべてをブロードウェイにするための専門学校はないものでしょうか。
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* 愛育社刊・エム
ナマエ「言葉の絵本」シリーより
この館に秘められている言葉は愛育社より発刊されているエム ナマエの「言葉の絵本」シリーズよりの抜粋です。「いつか誰でも」、「やっぱり今がいちばんいい」、「道くる道・道いく道」、「鍵の心」、「幼い瞳のふるさとカメラ」の5冊です。詳細は著作のコーナー、もしくは愛育社のホームページをご覧ください。
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