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原稿用紙プライベート盲導犬アリーナ日記
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■ 瞳に残るチョコレートの色 

◆ バレンタインの儀式
 コボちゃんがわざとらしく声をあげる。
「わあ、こんなにいっぱいチョコレート」
 すると、ボクはさも意外、という顔を作って家内のコボちゃんを振り返る。
「ホント!?」
「ホントよ、ホント」
 これは我が家で繰り返されるバレンタインでの儀式。これからの展開は毎年同じ。テーブルに並べられたチョコレートの送り手が披露されるのだ。
 一部が、心優しい人たちからの義理チョコ。まあ、ボクの場合は義務チョコだけはありません、と思ってるけど。そして、残りのすべてが、我が家に棲息する生き物からのプレゼント。つまり、家内のコボちゃんと、犬と猫から。
 我が家の構成員は人間のオスとメスが一対。それにネコのオスとメスが一対。そして盲導犬のアリーナがいた。アリーナはメス。だから、我が家では三対二でメスの方が優勢であった。で、ボクは人畜連合で三つのチョコレートをゲットするわけだが、これを数にしてよいものかどうか、迷うというか、あきらめるというか、複雑な心境で毎年この季節を迎えるのだ。
 いずれにせよ、今年は人からの方が多いのか、動物からの方が多いのか、いざ勝負。動物たちが勝利すれば、それはすべてコボちゃんの出費となる。

◆ 忘れられないバレンタイン
 バレンタインとは、心優しい人たちが一年でいちばん感謝される日のこと。少なくともボクはそう考えている。
 けれども、思い出すのは1986年のバレンタイン。失明直前の俺は冷える身体をガスストーブで温めながら、椅子に座って両目を見開いていた。見える世界が小さくなる。見える色が少なくなる。俺は目の前の現実を、目に見えて見えなくなっていく両目で凝視していた。
 俺にとって、その小さなマンションの一室が世界のすべてだった。もうすぐ闇が世界を支配する。そして、やがては肉体の滅びがやってくるのだ。
 そんな俺にもバレンタインのチョコレートが届いた。ガールフレンドからのものではない。けれども、世間から隠れる形で暮らしている人間にもチョコレートは届く。どんな暮らしにも、いかなる運命にも、その人生を救う社会が存在するのだ。
 地域社会という概念が崩壊しつつあったバブルの都心でも、新興宗教という強固な結社が存在した。歴史の荒波でもまれる木の葉たちが集う運命共同体。そこでは人と人を結ぶ愛が生まれる。彼らから贈られたチョコレートは運命と闘う俺への応援歌。そう、バレンタインは博愛の記念日でもあるのだ。

◆ 怪獣チョコ
 包みのひとつを開くと、それは怪獣チョコ。頭があって、歯がギザギザしていて、短い手足にとげとげ尻尾。ひとつつまんで頬張れば、口の中でトロリと砕ける。おお、空しいゴジラよティラノザウルスよ。
 けれども、そういう俺だって、お前らの姿を見ることもできない哀れな存在なんだよな。俺の指先の肌色と、お前のボディーのチョコレート。ただそれだけが、俺の見えるすべての世界。あはは、笑ってくれるなよ。
 怪獣たちの何匹かが俺の食欲の犠牲になった頃、大雪がやってきた。そしてその夜、俺は病院に担ぎこまれた。もう何も見えない、息もできない。
 それから数十日して、桜が満開になった庭先を俺は退院していく。危うい所を救われたのだ。けれども、家に帰ってみれば、チョコレートの怪獣たちは消えていた。いや、それまでの俺の暮らしが消えていたのだ。
 ボクを救ったのは人工透析。現代医学の奇跡の技術だ。本来ならば死んでいる者を、生きて返して暮らしを与える。そうやって、ボクは再生、復活をした。

◆ あれから20回目のバレンタイン
 またバレンタインがやってくる。あれから20回目のバレンタインだ。そうなると、数えるまでもなく、ボクの人工透析も20年目に突入する。
「長くて5年でしょう」
 透析導入のとき、こういって医師はボクの余命を家族に宣告したらしい。それが本当だったら、ボクは15年前にこの世から消えているはず。では、生きているこの自分はいったい誰なのだ。
 医者という人種は、むやみに人間の運命を宣告したがるものらしい。それが見えない薬になることもある。けれどまた、見えない毒薬になることもある。救って殺す。そういう未来も否定はできない。
 昨年もボクは間接的に両足切断を宣告された。だが、実際には北海道の旭川医科大学付属病院で両足を救われたのだ。自らの判断により、切断の宣告をくだされたご本人は、現在いかなる心境でおられるのか。最近ほとんどお目にかからないので、残念ながらそれは分からない。けれども、21世紀は情報の世紀。虚心坦懐に人の話をよく聞くこと。謙虚に勉強する心。広い世界に情報を求めること。そういう心がけを失うと、病院というサービス業は成立しない。いくら施設に金をかけても、ハードウェアに凝ってみても、患者という消費者は敏感になっている。今や目くらましは通用しない。そう、既得権益業界にも厳しい現実が迫っているのだ。
 話を戻す。つまり、ボクは15年もの命のボーナスをいただいたのだ。驚くべき賞与である。そして、その15年間に起きた奇跡が、ボクの人生のすべてといっても過言ではない。
 やがて、20年目のその日がやってくる。初めての人工透析。蘇る命と肉体。復活する感覚。ボクを救った文明社会。ボクを生かした人間社会。すべては宇宙と人様の力。そこに、ボクの力はひとつもない。
 今も、ボクの目玉の底に残っている、怪獣チョコの肌の色。バレンタインは博愛記念日。優しい心に感謝のイベント。
2006/02/05


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