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■ 童話「焼かれた魚」の小熊秀雄


◆ NHK「ラジオ文芸館」
 しまった、時間を過ぎている。ボクは慌ててラジオを入れた。やはり、と後悔する。もう番組は始まっていたのだ。
 それにしても、不思議な童話をやっている。響いてくるのはNHK「ラジオ文芸館」。毎週日曜日の午後10時15分、ボクが欠かさず聴いている、NHKラジオ秀逸の番組である。
 朗読者は青木裕子アナウンサー。このホームページにも数々登場していただいている、ボクの最も敬愛する語り手である。けれど、どうやらボクがこの童話に魅かれたのはその理由ではない。
 無論、青木アナウンサーの朗読は聴取者を引き込む。巧みであると同時に朗読者自身が作品を愛しているからだ。けれどもおかしいぞ。いつもだったら、ボクは青木アナウンサーの朗読そのものを楽しむのに、このときは少しだけ違っている。作品そのものの魅力に誘われていたのだ。
 その童話世界に魅了されている理由はただひとつ。いつの間にか、ボクはおかしな空気を吸わされていたからだ。
 いったい、この童話を書いたのは何者なのだ。聴いているボクの臍の周辺を微妙に揺さぶる、この書き手は誰なのだ。もしかしたら宮沢賢治。でも、こんな作品は知らない。そもそも筆致がまるで違う。

◆ 「焼かれた魚」
 最初は手品師の出てくる話しだった。途中から聴いたので、内容はよくわからない。ただ、とても不思議な雰囲気、もしくはデ・ジャ・ブのような感覚があって、ボクはその舞台をよく知っているような錯覚に落ちた。玉葱の話も愉快だった。悪魔みたいのが登場するのだが、誰がいい人で、誰が悪者なんだかよくわからない。教訓があるような気もするのだが、ボクの受け取り違いかもしれなかった。
 いきなり青木アナウンサーのトーンが変わった。新しい物語の始まりである。
「焼かれた魚」
 皿に焼かれた魚がのせられている。秋刀魚だ。うまそうな秋刀魚だ。そして秋刀魚は思い出している。遠い海。生まれた海。家族や友人、楽しい暮らし。けれど秋刀魚はつかまって、石油缶に詰め込まれてこの町まで運ばれてきた。
 故郷に帰りたい。あの青い海に戻りたい。仲間と楽しく泳ぎたい。秋刀魚が望郷の念にかられていると、そこへ猫が現れた。これが海への長い旅のきっかけとなる。
 秋刀魚は自分では歩けない。なにしろ焼かれた魚なのだから。それで猫を誘惑する。犬やドブネズミと取引をする。カラスを利用する。蟻に助けられる。肉も目玉も失って、骨ばかりになった秋刀魚は、それでも怪我ひとつなく、無事に海の見える丘に到着するのである。

◆ 小熊秀雄
「小熊秀雄童話集より」
 番組の最後に青木アナウンサーが紹介した。それが作者の名前なのだ。小熊秀雄。知っていただろうか。それとも初めて聞いた名前だろうか。よくわからない。作品も作者も、その世界を知ってしまった今となっては、まるで知らなかったような気がしないのだ。なんだか以前から知っていて、当然のような懐かしささえ覚えるのだ。

◆ キッドアイラックアートホール
 しばらくして招待状が届いた。小熊秀雄の童話を朗読する会とある。会場はキッドアイラックアートホール。うん、いつものあそこだ。無論、語り手は青木裕子アナウンサー。案内役は窪島誠一郎とアーサー・ビナードとある。
 あれれ、この名前、知ってるぞ。いや、窪島先生のことなら以前から敬愛申し上げている。キッドアイラックアートホールのオーナーでもあり、信濃デッサン館や無言館の館長でもあり、また高名な作家であり美術評論家でもある。特にその講演は傾聴に値する。いや、聴かなければ損をする。放送であろうと、実演であろうと、ボクは機会さえあれば窪島先生の話をうかがうことにしていた。
 で、ボクが知ってるといってるのはアーサー・ビナードのこと。確か、あの土曜ワイド、永六輔の新世界で紹介された変なアメリカ人のことではないか。池袋の八百屋の店先で巧みな日本語を操り、野菜を値切る、あの怪しい外国人だ。
 小熊秀雄についてもっと知りたい。そう思っていたタイミングだから、ボクは大切な約束をキャンセルして、その会を予約した。


◆ 有意義なイベント
 楽しい集いだった。再開と出会いがあった。バックアップしたのは清流出版。以前ボクも取材を受けたことのある理念ある出版社である。
 窪島先生は小熊秀雄夫人と接点を持っていた。池袋モンパルナスの、その貧しいアパートを訪れたことがあるのだ。ただ、小熊秀雄は39歳で他界している。そして、その夫人も窪島誠一郎来訪の後、逝去している。
 青木裕子アナウンサーの朗読は聴衆を別世界へいざなった。窪島誠一郎、アーサー・ビナード、青木裕子の座談も愉快だった。さすがの窪島先生は会場をユーモアとインテリジェンスで導いていく。そして、アーサー・ビナードという不可思議なアメリカ人は、心より日本と日本語を愛している、真面目でおかしな外国人だった。

◆ 北の人
 小熊秀雄をインターネットで調べると、いろいろと見えてきた。既に、かなり知られている人物である。新聞記者、ジャーナリスト、評論家、詩人、童話作家、画家。才能の多面体。出生は複雑だ。その舞台は北の果て。童話を書いたのは旭川新聞社時代の20代前半。そうか、旭川。運命の都市、旭川。ボクの足を救ってくれた旭川。だから懐かしかったのかもしれないし、その空気を知っているような気がしたのかもしれない。
 それにしても早熟な天才だ。そして、彼については様々な手掛かり、取っ掛かりがある。働く詩人。池袋モンパルナス。社会運動。詳しく知りたい方はぜひともネット検索していただきたい。
2006.04.24

 

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