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■ あの世でもずっと王様、寺村輝夫 その二

◆ ケニアの旅はタイムマシン
 香港、バンコク、スリランカ、セイシェル、タンザニアを経て、東京から大英航空で27時間。寺村輝夫のケニア旅行団はナイロビに到着した。ナイロビは東アフリカ大陸の高地に出現した近代都市。中でも黒々とそびえる高層ビル、ヒルトンホテルが目を引く。
 我ら旅行団は3台のワゴンを連ねてナイロビを出発した。近代都市を出た途端、景観が一変する。ケニアの旅はタイムマシン。20世紀の現代から瞬間にして太古の時代へさかのぼるのだ。ケニアには数千年の時間を越えた自然天然の暮らしがあった。
 どこまでも広がる地平線の彼方へ向かって一直線に乾いた舗装道路。ひたすら走る車の群れ。この土地では走ることができるだけで、どんなポンコツでも自動車として認められる。定員なんて関係ない。座席に10人、ボンネットに3人、天井に2人。あとは載せられるだけの荷物を載せている。これこそケニアの交通事情。
 道路はでこぼこ。その窪みを測定不可能の視力を誇るドライバーが巧みに避けて運転する。巡航速度は時速100キロ。もしも窪みにタイヤを取られたら一大事。自動車は横転、大破するだろう。その証拠に、道路の両脇に並べられた累々たる車の骸。ああはなりたくない。ただ祈るばかりのボクらは、ひたすらドライバーの腕前に運命のすべてを委ねていた。

◆ 地平線を埋め尽くす野牛の群れ
 舗装道路を外れた瞬間、ワゴンは真っ赤な土煙に包まれた。ラテライト。ケニアの火山大地に特有な赤く乾燥した細かい土。その原子のように微細な粒子が車内に潜入してきて、髪も肌も赤く染められる。これがケニアの旅なのだ。
 時速100キロで何時間も疾走して、ちっとも景色が変わらない。とても日本では考えられない。それほどにサバンナは広かった。地球の大きさ。ボクはケニアの大地で新しい世界観を体得したのであった。
 突如として赤かった大地の色が変わる。ウシカモシカ。それは野牛の巨大な群れであった。ワゴンは波立つ大海のような群れの真っ只中へ突入する。するとモーゼの手によって真っ二つに裂かれた紅海のように、野牛の海が裂けたのだ。
 時速100キロのワゴンを迎え入れる野牛の群れ。褐色の海の中に浮かぶ白黒の魚。あれはシマウマの姿。洒落たストライプの、なんと美しいことよ。
 ワゴンは野生動物の海をまっしぐらに進んだ。どこまでもウシカモシカの水平線。いつまでも途切れることがない。ボクはそれまでも経験したことのない、そしてそれ以後も経験することのないだろう、生涯最大の生き物の群れの中にいた。

◆ 奇跡の視力
 野牛の群れを抜け、しばらくしてからドライバーが次げる。
「あそこにライオンがいる!」
「、どこどこ?」
 と、いくら目を凝らしてもライオンなど見つからない。それではと双眼鏡を取り出してドライバーの示す方向にピントを合わせた。けれども、やはりライオンの影も形もない。
「ミステイクではありませんか?」
 ケニア国民の大半は英語が堪能。アバウトな会話だったらボクの英語でも問題なく通用する。
「いるよ、いる。ほら、あの岩の上。立派な雄ライオンだぜ」
「嘘!」
 双眼鏡でも見えないライオンが、なんで裸眼の、それもでこぼこ道を運転しているドライバーに見えるのだ。そりゃ、岩の上のライオンじゃなくて、ライオンの形をした岩の間違いではありませんか。
 さて、どれだけ走ったことだろう。しばらくしてボクらは目撃した。岩の上に鎮座している雄ライオンの雄姿を。測定不可能なほど優れた視力は比喩でも誇張でもなかったのだ。

◆ 赤道の町でお買い物
 寺村輝夫といえばタマゴの作家。おしゃべりな玉子焼きからゾウのタマゴまで、絵本も様々だが、タマゴ料理でも著書があるくらいタマゴにはうるさい。
 その寺村輝夫が赤道近くの町でタマゴをグロスで購入した。ケニアではタマゴといえば高級品。店の人が目を丸くする。いや、そればかりではない。牛肉3キロ、マトンを1キロ、野菜をダンボールでまとめ買い。そうなると、店の人ばかりではなく、町の通りに見物人も顔を出す。その前をボクが3キロの生肉を頭にのせて行進する。これぞ日本の伝統文化、チンドンパレード。サンバパレードには負けるけど。
 寺村輝夫団長率いるキャラバンは「水牛の泉」と呼ばれるキャンプ村に到着した。この近くには「野生のエルザ」で知られる作家、ジョイ・アダムソンの拠点もあると聞く。
 サバンナに設営されたキャンプ村。といっても、しっかりとした作りのコテージが並んでいる。我々一行は建物ごとにグループとなった。ボクは小学館の墨釜記者とタッグを組む。
 大地に枝を広げるテーブルツリー。まるで果実のようにぶら下がるベルベットモンキー。その無数の瞳が我々の一挙一動を追跡している。

◆ とにかく汗を流そう
 外ではドラム缶が火であぶられ、お湯が沸かされていた。その熱湯はコテージのバスルームへと導かれている。ボクはシャワーの栓を捻った。すると、出てくる出てくる、お湯ではなくて虫の群れ。熱湯にあわてふためくムジャムジャ、ゲジゲジ。
 地平線に音をたてて夕日が沈んで、あっという間に闇が訪れる。ボクはランプの光ひとつを頼りに庖丁を振るっている。
 コテージのキッチンは意外なほど近代化されていた。冷蔵庫まであるのだ。しかし、ここに電気はきてないぞ。ガスも水道もきてないぞ。ボクは冷蔵庫の裏を開いた。すると、そこには石油ランプ。そういえば都市ガス式の冷蔵庫ってやつがあったのを思い出した。気化熱を利用して冷却する理屈なのだ。製氷室まであるから性能は保証されているのだろう。冷たい氷。ボクは期待しながら石油ランプに点火した。
 でも、まずお湯を沸かさなくては。ボクはさっきのシャワーから出てきたものを忘れてはいやしない。この水道だって危ないもんだ。とにかく頼れる手段は熱湯消毒のみ。大きな鍋に水を張り、プロパンガスに火をつけた。

◆ ケニアでタマゴ料理
 新鮮な野菜と肉。キッチンに並べられた様々なスパイス。これだけあれば、それらしい西洋料理はできる。ボクは学生時代にレストランのアルバイトで見習った技を思い出しながら、トマト風味牛肉入りケニア風リゾットを仕上げた。付け合せはユデタマゴ。
 料理はコテージごとに交換される。ボクのリゾットはみんなも、おいしいと食べてくれた。けれど、他のコテージの料理は、みんなで約束でもしたかのように玉子焼き。フライパンで焼いた玉子焼き。フライパンの形の、フライパンの大きさの、そのまんまの玉子焼き。ボクは一度にあれだけの玉子焼きを食べたことがない。

◆ 夜空のダイアモンド
 食事が終わり、外に出た。足元を懐中電灯で照らして移動する。コテージから離れ、開けた場所で電気を消す。すると闇が正体を暴露した。文明を遠く離れた台地の果てでは、闇だけが世界を支配している。けれども、それは視力が回復するまでの誤解に過ぎなかった。見上げた刹那、ボクは億千万のダイアモンドに圧倒されていた。生まれて初めて経験する無限の星空。天の川の背骨に支えられた星の天球。南の地平線には南十字星。北の果てには北斗七星。そう。ここは確かに宇宙にいちばん近い土地。赤道直下のサバンナなのだ。
 木の葉のさざめきと白く浮かび上がる象牙。あれは昼間のアフリカゾウ。群れから離れたはぐれゾウ。
 昼間、ボクはそのゾウの姿を望遠レンズで撮影していた。さすが400ミリの威力。ずいぶん近くに見えるなあ。そう思っていたら、背後から誰かが警告の声をあげた。あわててカメラを目から外す。ゾウは目の前にいる。さあ、大変。それからはゾウを刺激しないように、静かにゆっくり後退した。はぐれゾウは黙ってボクを見つめている。野生のゾウにも、動物好きの心が通じたのかもしれない。
 昼間のことを考えながら、夜に浮かぶ白い象牙にボクは親近感を抱いた。遠くではハイエナの人間社会をあざ笑うような鳴き声が移動していく。そのとき耳元を高周波がかすめていった。時代錯誤のUFOかと思ったら、コウモリのはばたきだった。

◆ サバンナの朝
 夜明け前、ボクはサバンナで独り待っていた。三脚のカメラを確かめる。地平線から立ち上がる朝日の瞬間に、天と地に放射される真っ赤なルビーの光を捕らえたかったのだ。
 撮影は終わった。ボクの背中でオレンジの太陽が上昇している。さあ、朝の食事の準備をしなくちゃ。
 冷蔵庫を開くと製氷皿を確認する。せっかく沸かした水だけど、やはり氷にはなっていない。期待してなくてよかった。それにしても、この冷蔵庫、暖かい。ゆうべのうちに牛肉をすべて料理しておいて正解だったなあ。
 コーヒーを沸かし、パンを切る。フライパンにタマゴを落とし、目玉焼きを作りにかかる。と、視界の片隅を灰色の影が走った。振り向くと、ベルベットモンキーが切ったばかりのパンをひっつかみ、窓から消えるところだった。ドアから飛び出し、追跡する。すっかり高くなった太陽の光が、猿に握られたパンのかけらを白く照らし出している。瞬く間に猿はテーブルツリーを駆け上がり、枝の中に消えた。そしてボクは立ち止まった。これから猿たちの朝のご飯が始まるのだ。
 コテージに戻ろうとすると、戸口に茶色の山ができていた。あれ、あいつだな。ゆうべの白い象牙、アフリカゾウ。あの孤独なゾウが落し物を残していったのだ。

◆ 王様のおかげで楽しかったケニアのサファリ
 こうして筆にまかせてケニアの思い出を書いていたら、単行本一冊分の原稿になってしまう。そして、ボクはもっと寺村輝夫からの贈り物について知ってもらいたいことがあるのだ。
 この旅で知ったのは、寺村輝夫がとても親切だったこと、みんなを楽しませようといつも配慮してくれたこと。
 それから寺村輝夫が雷親父だということ。ボクの頭にも何回も雷が落ちた。チータを見つけてはしゃいでいたら、静かにしなさいと叱られた。考えれば当たり前。騒いでいたら、せっかくのチータが逃げてしまう。サバンナでチータと遭遇するのは簡単なことではないのだ。

◆ 空からのサファリ
 王様と小学館のおかげでやってこられたケニアだった。ナイロビに戻ると、制作予定の絵本「チンパンジーのキキ」の作者、神部俊平氏に紹介してもらう。そうだ。ボクは取材のらめにはるばるケニアに飛んできたのだった。
 小学館の手配でボクらは空からのサファリに出かけることになった。参加者は小学館の住み釜記者、ケニア在住の獣医で作家の神部俊平、デザイナーの杉浦繁茂、そして寺村輝夫とボク。乗り込むは6人乗りのセスナ。パイロットが加われば満員となる。命は六つ。けれど、プロペラもエンジンもひとつだけ。
 ナイロビを離陸したセスナ機は空を一直線、キリマンジャロへ向かった。眼下には車で旅してきたサバンナがどこまでも茶色く続く。緑に見えるのは川の周囲だけ。あの巨大なバウバブツリーも、枝を広げたテーブルツリーも、豆粒のように小さくなっていた。
 セスナ機がぐんぐん高度を上げる。世界が白くなる。
「あっ。飛行機の影!」
 さすが日本を代表するデザイナーの杉浦さん。非日常のビジョンに誰よりも早く気がついた。目の前の雲に我々の乗るセスナ機の影が映っているのだ。そして影を包む丸い虹。そう。虹の実体は円だったのだ。それも二重の。地上に暮らす我々は、ただその一部だけを見せられていたのである。
 雲を抜けると、目の前にキリマンジャロの頂が見えた。白い雪が目にまぶしい。そして、あの火口の形。キリマンジャロも富士山も、同じタイプの火山だった。美しいわけである。

◆ 国士無双
 小学館から神部俊平・文、エム ナマエ・絵の「チンパンジーのキキ」が出版されて以来、ボクへも絵本の依頼が増えてきた。寺村先生とも、仕事をさせてもらえるようになる。打ち合わせの機会も多くなった。ときには麻雀という付録つきで。
 ケニアでも麻雀をやった。寺村輝夫、東君平、エム ナマエ、現地で暮らす日本人のガイド。メンバーはみんなギャンブルが好き。そして、本当にただラッキーということだけで、ボクが勝ってしまったのだ。寺村先生はそれを忘れてはいなかった。
 新宿の雀荘だったと思う。正方形のジャングルを囲む四人は寺村輝夫、エム ナマエ、未来のポプラ社社長、そのとき初めて会った人。ボクは寺村先生にケニアで勝利したことなどすっかり忘れていた。ボクは素人の麻雀で、手作りに忙しく、相手の捨て牌など気にしない。夢中で持ち手を仕上げていたら、
「あったりい!」
 叫ぶと、寺村先生が手持ちの牌をバアンと倒した。
「おい、国士無双だぞ。さあ、エム、見たか!」
 やられた。ケニアの仇討ちをされたのだ。そのときほどの得意満面、先生の嬉しそうなお顔を見たことがない。

◆ 寺村先生とは何冊もの仕事をさせていただいた。気まぐれイラストレーターのボクは、次々に画風を変える。同じ「たぬき先生」シリーズなのに、鉛筆を使ったり、製図用特殊ペンを使ったり。ボクはずいぶんワガママな絵かきだったのだ。
 それでも寺村先生はボクを絵本画家として、イラストレーターとして採用してくれた。心の大きな人。先生の大きいのは態度だけではなかったのだ。
 それでもやはり雷は落ちる。ボクは先生とある出版社から蒸気機関車の絵本を出すことになっていた。テキストはとうの昔にできている。だが、絵が進まない。ボクにしては驚くくらい練習し、下絵を重ね、慎重にに絵を仕上げていった。大事に作りたい。その一心だけだった。
 ところが、同じタイミングでもう一冊、ボクは蒸気機関車の絵本を制作していたのだ。年寄りの機関車が主人公である。こちらは締め切りが迫っていたし、テーマが難しくなかったので、すぐに仕上げてしまった。それも、何も考えずに。
 その絵本が寺村先生の手元に渡った。そしてボクに雷が落ちた。ものすごい雷である。過去最大級の雷である。
「ピカッ、カリカリ、ガラガラドッシャーン!」
 喫茶店の客がみんな振り返る。ボクはただ真っ青になって座っていた。

◆ 深夜の飲み屋で
 忘れられない夜がある。その晩、打ち合わせかパーティーが終わって、ボクと寺村先生はたったふたり、飲み屋で酒を交わしていた。
「おい、エム。君はよく眠れるかい?」
「さあ、分かりません。徹夜が多いですから…」
「徹夜なんか、やめろやめろ。体によくない。それよりも、早起きをして、仕事は朝のうちに集中して午前中に仕上げておくんだ」
「そうなると、やっぱり早寝になりますよね」
「だけどな、俺は眠れないことがあるんだ」
 驚いてボクは先生の顔をまじまじと見つめた。
「不安なんだ。明日、仕事がなくなるんじゃないかと思ってね」
 そのとき、ボクは心からこの先生を好きだと感じた。

◆ 作りかけのプラモデル
 とうとう機関車の絵本を仕上げられないうちにボクは失明してしまった。途中のままの仕事については、不思議なことに細かいことまでよく覚えている。このときの下絵で、ボクはパステルと鉛筆の使い方が少し分かるようになった。一部仕上げた絵はどれも上出来だった。作りかけのプラモデルと同じく、ボクの中でこの絵本は永久に輝き続けるだろう。
 失明してからもボクは先生と何度もお会いした。全盲のイラストレーターとしてカムバックしたときは作品を購入してくれたこともある。どんな場所でも、先生はボクを見かけると、すぐに歩み寄り握手をしてくださった。だけれど、ある頃から先生の言葉が消える。またボクがつまらない失礼をして、それで口をきいてくれないのかもしれないと、ボクはさびしい気持ちでいた。
 そんな頃、和歌山静子さんから電話があり、つらい事実を知らされる。寺村輝夫先生が言葉を失ったというのだ。

◆ あの世でも王様でいて
 それからも度々和歌山静子さんが先生のご様子を伝えてくれた。そして今回の悲しい知らせである。
 告別式で和歌山静子さんが弔辞を読む。それは寺村先生との約束だったという。見事な弔辞だった。王様を見送るにふさわしい言葉だった。和歌山さんもボクと同じ、あのケニア旅行のことを忘れはしない。そして、20年前に亡くなった、旅の伴侶、東君平さんのことも。
「寺村さん、ありがとう!」
 押し黙った人の群れから和歌山静子さんが叫ぶ。
「あの世でも王様でいてね!」
 棺に向かってボクが叫ぶ。さようなら、寺村先生。ご恩は生涯忘れません。おかげさまで楽しい思い出を沢山いただきました。江戸っ子で、男気のあるところ、本当に好きでした。ありがとう。さようなら。
 川を渡った向こうの岸で、今頃は寺村先生、東君平さんと肩を組んでこちらへ手を振っていることだろう。けれど、和歌山静子さんはいってましたよ。そんなに早く呼ばないでくれって。そう、ボクは和歌山さんと約束をした。寺村先生の思い出のために、ケニアの絵本を仕上げようと。  04/07/2006

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