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■ 釧路の白い妖精

◆ あれから1年
 7月15日は手術記念日。あれから1年が過ぎた。それにしても大きな経験をしたものである。
 全身麻酔による5時間のオペ。それも7月15日と8月1日の2回。合計すれば10時間の手術である。その時間、ボクは何も感じず考えず。まさにまな板の鯉の心境だった。
 今は何事もなく暮らしているが、当時の日記を読み返せば不安と不自由の連続だった。こうして元気でいられるのも、ボクらを見守ってくださる大いなる存在と、人間界に降りている神様仏様、つまりはお世話になった方々のおかげである。よくぞ生かしてくださった。

◆ 必然は偶然にやってくる
 手術のため旭川へ飛ばなくてはならなかった。羽田空港へ向かうタクシーの車中、ボクは文化放送『やるまん』の人気パーソナリティー、小俣雅子さんに携帯で事情を説明していた。全盲のイラストレーターとしてデビューして以来、小俣さんとは長いお付き合いである。彼女にはどれだけ励まされ助けられ、またサポートしてもらったことだろう。
 旭川には小俣さんがパーソナリティーとして自立するに当たっての恩人が暮らしておられると聞いた。その方は文化放送を退いて、旭川で放送局を立ち上げておられるというのだ。これから見知らぬ土地で運命を左右される身の上としては、なんとも心強い情報であった。
 はるかな土地なのに、意外な方が見舞いにきてくださった。そのひとりがボクの敬愛する咄家、柳家一琴師匠である。一琴師匠は今や天然記念物的存在の名人、柳家小三治の弟子であり、若くして真打に昇進した天才である。その天才落語家がわざわざ見舞いにきてくれたのであるから感激だ。オッチョコチョイの小泉君だったら、きっと感動した!なんていうんだろうな。
 小俣雅子さんの先輩、北海道FMリベールの柳沢社長も見えた。小俣さんの話題で盛り上がる。様々なラジオパーソナリティーがおられるが、小俣さんほど裏表のない人も珍しい。文化放送の『やるまん』がTBSの『ゆうゆうワイド』に匹敵する長寿番組であることも納得できる。ラジオの本質はパーソナリティー。そこがテレビとの相違点かもしれない。
 友人の川田龍平さんもボクの病室を訪問してくれた。それも素敵な女性を伴って。彼女は旭川医大の学生さん。ええっ、なんで知り合いなの?。実は彼女、医療問題をテーマに活躍していたジャーナリストで、川田さんをずっと取材していたのだという。そして医療問題を突き詰めているうち、とうとう医学の道を究めるためにその学問の扉を叩いたのである。
 実はもっと驚くことがあった。その彼女、上松さんはFMリベールの柳沢社長の部下であったというのだ。まるで無縁の土地と思っていた旭川という土地で、複雑に交わるご縁があったとは、世間は広くて狭い。いや、偶然の顔をした必然が世界を満たしているのだ。そして、それこそが地上に降りた神様仏様のなされる業なのかもしれない。

◆ 釧路の白い妖精
 1998年以来、ボクにはずっと会いたいと願っている人物がいた。釧路在住の歌人、ふじたゆきえ(藤田幸江)さんである。
 その年、ボクは最初の言葉の絵本『いつか誰でも』を愛育社より上梓していた。それを読んだ藤田さんが手紙をくださったのだ。
 彼女は骨髄性白血病と闘っていた。その彼女をボクの言葉が勇気づけたという。まさか。そうは思ったが、ボクは彼女の飾らない真っ直ぐな文章をストレートに受け入れた。
 真心で祈るとき 不思議な偶然が 訪れる
 この一文が藤田さんの心の奥に届いたらしい。彼女と拙著『いつか誰でも』の出会いも、この不思議な偶然で起きたのかもしれない。
 絵門ゆう子さんの『ありがとう』に登場する天使のような少女、まゆちゃんも同じ病気だった。苦しくない病気なんてあり得ない。けれど、この病気の苦痛はボクの想像に絶する。そしてボクはどうしてか、藤田さんの苦痛と一緒にいたのである。
 同じ年、『いつか誰でも』に続いて『やっぱり今がいちばんいい』を上梓した。その中の一文、
 自分の痛みなら 自分でガマン できるけど、
 他人の痛みは 自分ではガマンできない。
 だから、 他人の痛みは つらいのだ。
は藤田幸江さんのことを考えているうちに浮かんだものだった。
 藤田さんは救われた。長く苦しい闘病生活の果てでの幸いだ。彼女はやがて健康を回復し、日常生活に戻っていく。それこそ、ご本人が真心で祈り願ったからこそ恵まれた結果である。ボクは天に感謝し、東京の空の下で合掌した。

◆ 白く美しい人
 藤田さんとの文通が続いた。送られてきた写真を見てコボちゃんがいう。
「まるで雪の妖精のように美しい方ですよ。先生は美女に縁がありますねえ。ご本人はこんなに不細工なのに」
 文通はやがてメイル交換に進化する。藤田さんの文章には力があり、品格があった。そしてそれを裏付けるめでたき知らせが届く。
 歌人、ふじたゆきえ。釧路文学賞受賞。
 自身の闘病記を短歌に託した彼女の業績が評価されたのだ。釧路文学賞についてはボクにも思いがあった。丹頂鶴が舞う湿原を擁する北の都市。文学の薫り高い風土。その文学賞は絶賛に値する。ボクは彼女の受賞が偶然ではない、天の導きのような気がしてならなかった。

◆ 北国の恋人
 ほんの小さな言葉の連なりなのに、心が通じてしまう。たとえ美しい誤解や幻想であっても、それはそれで清く貴い。ときには大きな勇気をくれるし、ときには何よりもの励みとなる。年に何度かのメイル交換であったが、北国の海辺の街に美しい恋人のいるという物語はボクを酩酊させてくれた。
 そして昨年、ボクと藤田さんはとうとう対面することになる。釧路から車を飛ばして6時間。彼女ははるばる旭川医大付属病院のボクの病室へきてくれたのだ。
 文章を交わしてから8年目の対面である。ボクと彼女は夢中で話した。自分のつらかった闘病生活も忘れて、藤田さんはボクの身長と同じ長さのメスの跡に涙してくれたのである。
 やがてボクたちは固い握手をして別れた。再会を誓い合いながら。

◆ かなった再会
 昨年暮れ、ボクは歌姫おおたか静流さんと音楽でコラボする名誉をいただいた。暗闇ライブというスペシャルな舞台ではあるが、身に余る光栄だ。というよりは暴挙といっていい。ちょっと歌える素人が美空ひばりと共演するようなものだからである。
 釧路からの予約があった。主催者は驚いて知らせてくれる。藤田さんだ。ボクは直感した。北国の歌人がわざわざ東京にきてくださるのだ。それもボクなんかの歌を楽しみに。
 ボクの歌は恥ずかしいものだった。おおたか静流さんとのステージはあまりにプレッシャーが大き過ぎる。練習し、準備したものの10パーセントも外へ出ていかない。いつかボクは息苦しささえ覚えていた。そして隣に存在する静流さんに圧倒され続けていた。
 満足な挨拶もできないうちに藤田さんは去っていった。せっかく再会できたのに、もっと話をしたかった。心残りの気持ちが大きくなっていく。今度お会いするときは、もっと充実した時間を用意しよう。ボクは自分に約束した。

◆ 喫茶店ウィング
 春になったら喫茶店を開きます。藤田さんから知らせがあった。店の名前はウィング。ボクは早速メイルした。
 ウィングですか。どうしてウィングスではないのですか。翼は片方だけでは飛べませんよ。できれば今からでも名称変更してくれませんか。
 けれども彼女は店名をウィングのままオープンした。4月23日の日曜日。ボクは心ばかりの花を贈る。翌日のボクの携帯電話に、喫茶店のマダムになったばかりの藤田さんの声でメッセージが残されていた。
 携帯に電話する。けれども留守番電話につながってしまう。忙しいのだろう。なにしろ店はオープンしたばかり。慣れないし、また緊張もするに違いない。ボクは店が落ち着くまで連絡を遠慮することにした。ただ、メイルだけはする。
「お店のことをボクのホームページに書いていいですか。住所とか電話番号とかも」
「はい、お願いします」
 メイルからも彼女の多忙ぶりが伝わってくる。食事をするタイミングも失いがちになるという。真面目で真っ直ぐな人だ。だから心配なのだ。そう。彼女は数年前まで病人ではなかったのか。

◆ 携帯電話のベルが鳴る
 5月17日の昼、携帯電話のベルが鳴った。ボクの携帯なんかに誰が電話くれたんだろう。なにしろ、ボクの携帯は一ヶ月も黙ったまんまのことがあるのだ。と、もたもたしていたらベルが切れた。
 番号を発音させれば、それは藤田幸江さんからの呼びかけだった。すぐに応答のボタンを押す。そしてコール音。
「はい」
 意外なほど若い声が響いた。藤田さんの声のようではあるが、あまりに若い。ボクはおずおずと尋ねた。
「私は藤田幸江の娘です」
「ああ、そうですか。いつもお世話になっているエム ナマエという者です。はじめまして。それで、お母様はいらっしゃいますか。先ほどお電話いただいたものですから…」
「あのお…、母は今朝死にました」
「え…」
 脳出血だったという。過労とか、病気の再発とかの言葉も聞こえた気がする。けれど、ほとんどボクの頭は空っぽだった。ただ、突然の母親の死を前にして、気丈に振舞うお嬢さんにボクは感動していた。
 またひとり、大切な人を失った。藤田幸江さんはどんなタイミングでも、どんなテーマでもいつでも共鳴できる魂だった。伝えたいメッセージを真っ先に理解してくれる希有な個人だった。繊細で気高い精神の持ち主だった。なにより待望される歌人であった。
 音声出力コンピュータで短歌を鑑賞することは難しい。漢字かな混じり文章の短歌では、正確な発音は望めないのだ。いや、作者の意図する読みを正確に把握することだけでも習練を要する。ボクは古典にうとい。つまり短歌をよく理解しない。けれど、歌人ふじたゆきえから選んでいただいた短歌のストックを、これからゆっくり読み解いていきたいと思う。歌人ふじたゆきえさんの魂よ、永遠に。合掌。     18/07/2006



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