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■ 受け継がれる永島慎二の漫画魂 

 2005年7月6日の夜、。透析のベッドで横になっていたボクはイヤホンからの音に耳を傾けていた。けれども心は空虚で、ボクの気持ちは遠い場所にあった。そのとき、いきなりNHKラジオのニュースが流れこんできて、ボクは我に返った。悲報である。永島慎二先生が逝去されたのだ。6月10日のことだという。ボクが足のトラブルでパニックになっていた真っ最中の、これはまさに「寝耳に水」の悲しい知らせであった。

 青春漫画の神様、永島慎二。1960年代後半のこと、その存在はボクら漫画青年の憧れの的だった。虫プロの「COM」(コム)や青林堂の「ガロ」に代表される漫画専門月刊誌に、優れた作品を連載、もしくは毎月のように発表していた漫画界の導師的存在であった。<br>
 「青春残酷物語」「青春裁判」「源太とおっかあ」「黄色い涙」「フーテン」「ククルクパロマ」「かかしが聞いたカエルの話」「少年期」…。今でも永島慎二世界の一こま一こまが脳裏に浮かぶ。小さな枠に囲まれたわずかな面積。その中に世界のすべてを凝縮し、美しい絵画として結ばれた四角形。それらの連続が映画のように動き出す。これが永島慎二世界の魅力だった。文字も言葉もない白と黒の世界で、ボクらは胸をときめかせ、少女の瞳に感動し、遠い世界に憧れて涙を流した。

 青春の真っ只中、18歳の春、ボクは慶應義塾大学に進学してすぐ、マンガクラブに所属した。法学部に、というよりはマンガ学部への入学である。法律学科でもなく、漫画専科。だから目の求める栄養は六法全書ではなく、すべて漫画から。朝から晩まで漫画漬け。見ては学び、読んでは漫画を描く。卒業と同時に漫画家になろう。そう密かにボクは決意していたからだ。

 その頃のボクは永島慎二世界の虜だった。季節の変化、心の移り変わりまでが永島慎二世界のコピーに思えた。空に浮かぶ雲、飛び去る鳩、たたずむ樹木、見上げる子犬、野に咲く花たち。目の前の少女までが、それら世界から抜け出してきて顕在化している、そんな気がしてしまう。現実よりも永島慎二の描く漫画世界に、より上質のリアリティーを感じていたのだ。ボクはそれほどに永島慎二漫画に傾倒していた。

 もしかしたら気がつく人がおられるかもしれない。ボクの描線は永島慎二、ダンさんからの影響を強く受けている。デッサンも同様である。草花、鳩、犬や猫。どこかダンさんの作風に似ているはずだ。

 そのダンさんが逝去された。ボクの神様が死んだのだ。
 幸運なことに、これまでボクは複数の神様に直接お会いして、親しくお話させてもらっている。杉浦茂、手塚治虫、赤塚不二夫、やなせたかし、水の英子、東君平。みんな漫画の神様だけど、本当に神様になってしまった人もいらっしゃる。永島慎二先生も、とうとう本当の神様になってしまわれたのだ。

 最初にお目にかかったのは1981年、ボクの目が見えていた頃である。新宿2丁目、深夜の酒場だった。そのときのボクはダンさんへの思いを、本人に伝えるので精一杯だった。同じ空気を呼吸している。ただそれだけで幸せだった。

 ご縁ができると不思議なもので、それからはいろいろとお会いする機会ができてくる。一晩中「鉄道模型」の話題で盛り上がったこともある。偶然にも、ボクもダンさんもドイツのメルクリンのマニアだったのだ。

 失明直前、ボクは恵比寿で暮らしていた。その当時、ボクは毎日、道路向かいの喫茶店「ポエム」に通い、決まったテーブルで文章を書いていた。失明後、すぐに作家に転身するためである。すると店主から「詩の会」のメンバーにならないかとの誘いを受ける。当日集まったメンバーを知って驚いた。ダンさんがいらしたのだ。けれど考えれば当たり前かもしれない。ダンさんと喫茶店「ポエム」には深い縁があるのだ。これは永島慎二ファンなら誰でも知っていること。ダンさんと奥様は、高円寺のポエムで出会っていたのだ。喫茶店「ポエム」が有名になり、店舗を展開したことと、ダンさんの存在は関係があるのではないかとボクは勝手に想像している。

 失明してからもダンさんは何度もボクと会ってくださった。コボちゃんもダンさんの上品な紳士ぶりのファンになった。けれどもそのうち、ダンさんは体調を崩され、ほとんど外出されなくなってしまわれた。その数年後の逝去の知らせであったのだ。

 けれどもボクは足の切断から自分を救わなければならない。知らせを聞いた数日後、ボクは何もできぬまま北海道の旭川に飛んだ。旭川医科大学付属病院で血行再建手術を受けるためであった。

 入院中のボクに電話がかかる。留守を守ってくれる友人からだ。荷物が届いているという。聞き覚えのないお名前の方からだ。ボクは心当たりを考えた。けれども分からない。友人は荷物の中身を教えてくれた。鉄道模型。直後、ボクは雷にうたれた。永島慎二先生の奥様からだ。その蒸気機関車の模型はダンさんの形見だったのだ。

 ダンさんは最後までボクを覚えていてくださったのだ。奥様にその話をしてくださったのだ。自分のことばかりに心を奪われていた、こんなボクのことを。

 ダンさん、永島慎二先生は本当に神様になってしまわれた。昔の漫画青年みんなの神様になってしまわれた。ネットでは先生の逝去を惜しむ文章が飛び交っている。ダンさんの存在は永遠のものとなった。


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