■ 絵本『あしたのねこ』を作者と朗読してきました
◆ ひたすら歩く とにかく歩く
最近、タクシーを使ったことがない。ほとんど歩きである。ひたすら歩きである。それは足の調子がいいからだ。歩く快感があるからだ。そして、歩くたびに旭川医大の笹嶋唯博教授の
「10年前の足に戻してあげますよ」
という奇跡のお言葉を思い出す。
2006年7月22日の土曜日、ボクらは浅草の街を歩いていた。ひさしぶりの浅草である。数年前までは毎月浅草を訪れていた。集合場所は観音様の真下。地下深い秘密のポイントだ。そこで不思議で愉快な集まりがあったのだ。
蒸し暑い中をまっしぐらに歩く。雷門を通過するとき、鰻の「小柳」が頭に浮かぶ。
「おいしい鰻が食べたいわ」
コボちゃんも同じことを考えていたに違いない。ボクらにとって雷門はおいしい鰻へのイントロなのだ。
しばらくこなかったうちに、やけに人力車が目立つようになった。観光の呼び込みが気になる。浅草も急激に変貌しつつあるようだ。
◆ 目的地はまだか
それにしても遠いぞ。地下鉄銀座線の出口から、もうずいぶん旅をしたような気がする。ボクのナビ、コボちゃんは正確にGPSしているのだろうか。少し不安になる。
目的地の名前はミレニアムホール。台東区立生涯学習センターの内部にあるらしい。そこで、これから絵本作家きむらゆういち氏の会が開かれるのだ。正確な名称は文部科学省委嘱による子どもの読書推進事業・台東子ども読書net事務局主宰「きむらゆういちさん・劇と工作・講演会」である。台東区立図書館が文部科学省から表彰されたことで企画されたものと聞いている。エム
ナマエはこの企画にゲストとして招待されているのだ。
◆ 地下鉄の騒音をBGMにセリフのリハーサル
きむらゆういちさんからふたりで絵本『あしたのねこ』の朗読をしようよ、と提案があった。モノローグは彼が読む。やせっぽちのこねこのセリフはボクが読む。
モノローグの文字数は圧倒的に多いが、彼は絵本のテキストが目で確認できるのだから心配はない。けれどボクはセリフを覚えなくてはならない。まあ、なんとかなるだろう。以前、絵門ゆう子さんの絵本『うさぎのユック』を複数で朗読した経験があったから、その方法を踏襲すればよい。
とはいえ、ネコのセリフだけにしても少し長めのフレーズもあるから、覚えるにはそれなりの苦労がある。幸い、コボちゃんは朗読を苦にしない。頼めばいくらでも読んでくれる。そこでまずコボちゃんの録音を繰り返し聴いて頭に入れる。同時に口真似をする。セリフを声に出す。最後に単独で、自分の解釈のセリフを語る。それも大きくはっきりとした発音で。
と、ここまでやると、自信みたいなものが出来上がってくるから不思議である。当日も浅草に向かう地下鉄の騒音を味方に、小さな声で繰り返し練習をした。
◆ 絵本作家が集合
のぶみさんという絵本作家がおられる。名刺には「えほんさっか・のぶみ」とあるから、最初はファミリーネームがえほんさっか、名前がのぶみかと思った。いずれにせよ、エム
ナマエみたいに、どっちが名前でどっちが苗字なのか分からないような、ややこしいペンネームである。
彼と知り合ったのはつい最近のことであった。直後、彼はサインいりの絵本とオリジナルの絵をプレゼントしてくれた。絵本『あかちゃんおうさま』はシンプルなストーリー展開に、人生の真実を描写した優れた作品である。
ボクらは電話で長話をした。彼が教会のご子息で、ご両親がエム ナマエの絵を飾ってくださっていることも知った。
のぶみさんはまだ若い。けれどもボクの若い頃とは大違いで、アイディアも才能も豊かである。絵本もユニークで面白い。その不思議な経歴も魅力となって、ボクのハートをぐいとつかんでしまった。話し相手としても退屈しない人物であり、気がつけば夢中で談笑しているのである。
彼とボクの年齢差は30年。そこでボクは昔の自分を思い出す。最初の単行本「みつやくんのマークX」はボクが24歳のときだった。そして当時のボクを童美連に誘ってくださったのが大先輩の太田大八画伯。そしてボクと太田先生との年齢差が30年なのだ。となれば、のぶみさんから見たボクは、当時のボクから見た太田先生のような姿になるのかもしれない。でもなあ、ボクは太田先生みたいにビッグには、まだまだなれないなあ。
絵本作家、宮本えつよしさんとも以前お会いしたことがある。けれども、彼がどんな仕事をされているのかは知らなかった。今回の催し物で、ボクはその内容の一部を知ることができた。それは今のボクからすると大変うらやましい企画で、目が見えていたら自分がやいたい分野の仕事であった。やはり目は見えていた方がいい。当たり前のことではあるが。
のぶみさんも宮本さんもボクと同様ゲストとして呼ばれたのである。宮本さんは工作のステージ。のぶみさんとエム ナマエは絵本朗読のステージ。そして本番前の楽屋で我々は、この企画を準備してくださった高橋美江さんお勧めの、ロケ弁人気ナンバーワンのスペシャル弁当をおいしくいただいたのであった。
◆ ふたり芝居『きずだらけのリンゴ』
ボクらがのんびりおしゃべりをし、弁当を楽しんでいるうちにホールがにぎやかになってきた。開場の時間がやってきたのである。そこではたと気がついた。まだ朗読のリハーサルが終わっていないのだ。けれど主役のきむらさんが大忙しで走り回っているため、つかまらない。さあ、どうしよう。
内心で冷や汗をかいていたら、
「とにかく舞台を見にいきませんか」
と、のぶみさんに誘われた。そこでホールに入る。ボクらは後ろの席に落ち着いた。と、舞台に演者の女性が登場する。
「みなさんは、なんじゃもんじゃの木を知っていますか」
そうかあ。このふたりだけの劇団が「なんじゃもんじゃ」というのかもしれないぞ。ボクはぼんやりと考えた。朗読リハーサルのことが気にかかり、まともな思考ができないでいる。ああ、そうか。自分なりに緊張しているのだな。ボクは口の片端だけで、誰にも知られないように、そっと笑ってみた。
『きずだらけのリンゴ』は舞台で一度見たことがある。数人以上の登場人物を必要とする物語だ。タヌキが化けた少年。人間の女の子。キツネの友だち。町の人。そんなストーリーをどうやってふたりだけで演じるのだろう。
そっとコボちゃんが舞台の様子を伝えてくれる。ビジュアルな工夫がされていて、場面の展開や登場人物の入れ替わりなどがうまく表現されているらしい。けれどもボクには関係がない。そう、ボクには音声による表現しか通用しないのだ。
失敬な話だが、最初のうちはのぶみさんとの内緒話の方が面白かった。だが、気がつくと、ボクらは黙って舞台に集中していた。そうなのだ。たったふたりなのに、物語の世界がごく自然に、そして迫力をもって見えてきたのだ。演者の熱がこちらに伝染してくる。そうなると、ホールの音響効果の悪さも気にならなくなった。やがてクライマックス。
たとえ以前から知っている物語であっても、やはり同じ場面で胸が熱くなってしまう。それは作者の思いと演者のパッションが引き起こす感動なのだ。
◆ あわただしくもリハーサル
ピアノ室ではピアニスト大山伸子さんが既に待機しておられた。そう。セリフはなんとか頭におさめても、生のピアノ演奏と一緒の語りは未経験だ。これはやっておかねばならない。そこでコボちゃんがきむらさんの代役をすることになった。
ボクとコボちゃんは並んで朗読を始めた。大山伸子さんのピアノがそっとからんでくる。いい感じだ。読み手のリズムと音楽のテンポが心地よく重なる。
そこへ主役が汗をふきふき入ってきた。OK、最初からやり直し。コボちゃんときむらさんが交代する。
スピードに変化が生じた。きむらゆういちの朗読はゆったりとして力強い。おお、いいぞ。意外なほど巧みな朗読に、ボクは素直に感動した。作家による自作の朗読といえば、やっぱりサトウハチローがいい。そういえば、。谷川俊太郎や筒井康孝による自作の朗読も素敵だった。
だが、きむらゆういちの朗読もなかなかのものである。その語りに大山伸子さんのピアノが流れるように潜り込んできた。そしてエム ナマエのネコ。きむらゆういちの語りとは対象的な声音を作る。ちょっと大袈裟で子どもっぽい演出をする。そうすれば、ふたりで朗読する意味も浮かんでくるだろう。
それにしても見事なピアノだ。いつ作曲したのだろう。素敵なメロディー、雨音のような音色。
あとで聞いたところ、すべてアドリブだという。読み手の声音やスピードに合わせて、瞬間に浮かんだイメージを演奏したのである。いつも感じることではあるのだが、やはりプロはすごい。
◆ いよいよ本番
のぶみさんの出番が終わり、ボクが舞台に出る。拍手。でも、リハーサルのおかげで、もう緊張はしない。そして自分たちでも感心するくらい朗読のパフォーマンスは成功した。
背景には、絵本の情景が拡大され、投影されているはずだ。高橋美江さんが準備してくださった映像である。語りと音楽、そして映像。絵本の世界が印刷から飛び出して、舞台で踊っている。いつもは机にかじりついているだけのイラストレーターにとって、これはたまらない瞬間である。
きむらさんとの朗読が終わると宮本さんもメンバーに加わり、絵本作家によるトークショウが始まった。みんな個性が立っている。その違いが楽しい。会場からは質問もあがる。四人はそれぞれの色合いで当意即妙の解答をする。これも面白かった。舞台のボクでもそうなのだから、会場の皆様んにもきっと満足していただけるイベントとなったに違いない。
サイン会では用意した絵本がみんな売れてしまったと聞く。ボクは「やせっぽっちのこねこ」の絵を一冊一冊に丁寧にかきこんだ。そして握手。中にはお話されていく方もいらっしゃる。そのおひとりがのぶみさんのお母様だった。
のぶみさんによると、お母様は涙ぐんでおられたとか。敬虔なキリスト教徒であるお母様は、おそらくボクの見えない苦悩と一緒にいてくださったのであろう。素敵な親子に接することができて幸せな1日となった。
08/08/2006
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