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原稿用紙プライベート盲導犬アリーナ日記
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■ 絵本『あしたのねこ』が現実になっちゃった

◆ 大雨の中に子猫の声
 ますます亜熱帯化しつつある2006年東京の8月25日のことである。窓からいきなり大粒の雨音と、少し遅れてか細い子猫の声がやってきた。
 絵本『あしたのねこ』をお読みになられた方ならピンとくるだろうが、そう、まるであの絵本の展開にそっくりなのだ。
「なんだか絵本が本当になったような、不思議な気分…」
 ボクは思いながら窓の外をうかがった。大粒の雨である。そして、しのつく雨の彼方から子猫の声がやってくる。
「ねえ、どこかで子猫の声がしない?」
 家内のコボちゃんも気がついた。
「雨粒に濡れる捨てられた子猫。なんだかあの絵本みたいだね」
「あたし見てくる」
 けれども子猫は見つからない。誰かに拾われたのだろうか。それとも、あれは捨てられた子猫ではなく、どこかで可愛がられている子猫が鳴いていただけなのだろうか。いずれにせよ、子猫の、あの妙に気になる独特の鳴き声は遊歩道からは消えていた。

◆ アルルに子猫は発見できません
 11年前の春、盲導犬アリーナは瀕死の子猫を遊歩道で発見した。両目はつぶれ、目やにだらけ。げっそりと痩せて、ゆらゆらと真っ直ぐに歩くこともできない哀れな子猫を見つけたのだ。ところがだ、その成長した姿が我が家のデブネコのキロン、エム ナマエの絵にもたびたび登場する片目のトラネコである。拾ったときは両眼失明と思っていたのが、片目だけは助かった。もう片方は溶けて流れて消えてしまったのだが。
 さて、子猫の声が聞こえた金曜日の夕方、再びあの気になる鳴き声がした。やっぱり遊歩道だ。コボちゃんは黒ラブのアルルを連れて外に出る。アリーナがキロンを発見したみたいに、アルルにも見つけられるとでも思ったのか。
 けれど子猫はいなかった。
「やっぱりどこかのベランダで鳴いているのよ。きっとそうだわ」
「うん。とても元気そうな声だもんね」

◆ 絵本が本当になった日
 ところが昨日の土曜日、8月26日の夕方、とうとう絵本が本当になってしまう。コボちゃんが子猫を拾ってきたのだ。
 絵本『あしたのねこ』の主人公は『やせっぽっちでしっぽのまがったこねこ』ということになっている。コボちゃんの手にのっかっていたその子猫も、まさに痩せっぽっちで、曲がった尻尾を持っていた。触ってみると、笑ってしまうほどボクの絵にそっくり。尻尾など、絵本から飛び出してきたのではないかと思いたくなるほど、そのまんまの形になっている。おまけに手足が細くて、デッサンまでおんなじだ。いやあ、不思議なこともあるもんだとたまげた。
 絵本と違うのは、拾った子猫ががまがえるみたいな声ではなく、女の子らしい可憐な鳴き声ときれいな毛並みをしていること。そう、子猫はメスのキジトラネコであったのだ。
 けれども絵本と似ているところはまだまだある。子猫は捨てられる直前まで、誰かに飼われていたらしい。飢えていなかったこと、汚れていなかったこと、人を恐れないことなど、人間からかなり可愛がられていた気配があるのだ。

◆ 一宿一飯すれば一人前の家族です
 ボクと結婚したことで分かるように、コボちゃんはピンチにある人間を無視できない。同様に、風前の灯火となっている命も見殺しにはできない。というわけで、子猫は食べ物を与えられ、宿泊のためのケージを用意された。つまり一宿一飯の恩義にあずかったわけだ。
 そうなると猫という生き物は要領を得たもので、すっかりコボちゃんを母親にしてしまっている。同時にコボちゃんもしっかりと子猫のママ気取りでいる。これでボクが父親としての義務を放棄すれば、人間扱いされないことは火を見るより明らかだ。つまり、子猫の将来は約束されたのである。

◆ 契りの物語
 今月、キッド・アイラック・アートホールで、青木裕子アナウンサーの『星の王子様』の朗読を聴いたばかりだった。そこで気づいたことがある。それは、『星の王子様』が契りの物語だということ。星の王子と一本のバラとの契り。星の王子と遭難したパイロットとの契り。そして神と人との契り。ふとボクは星の王子様の真実の姿に思い当たった。それが正解であろうとなかろうと、ボクにとっての星の王子様はある具体的な像を結んだのである。
 昨日まで、子猫はボクの知らない子猫だった。そして今、子猫はボクの大切な子猫となった。ボクは子猫と世界でたったひとつの契りを結んだのだ。その瞬間から子猫は掛け替えのない存在に昇華する。キロンでもナンナンでもなく、あのジュピターでもない、この拾われた子猫が、昨日まで知らなかった子猫が、明日からボクの喜怒哀楽に大きく影響を与えていくのだ。

◆ 契約の印
 この文章を書いている今、子猫はボクの膝で眠っている。つい先刻までは肩の上で喉を鳴らしながら丸くなっていた。ボクと子猫のたったひとつの契り。その根拠として、ボクは子猫に名前を与えた。ミミ。耳の大きな子猫だからミミ。
 最初は『ハリー・ポッター』に登場する耳の大きなしもべ妖精みたいだから、ドビーにしようというアイディアもあったのだが、これは却下された。ドビーが男だか女だか判然としないからだ。というか、子猫としもべ妖精を、ただ耳が大きいからという理由だけで同じカテゴリーに分類したくなかったのだ。それでミミ。
 これが彼女の家族としての称号となった。これでミミは我が家とって、星の王子様の一本のバラとなったのである。
 ただし、不機嫌の極致に座している存在がひとつだけある。キロンだ。昨日から絶え間なく抗議のむずかり声を発している。まるで要求の通らない駄々っ子のように。もしくは不条理な任務を与えられた幼い長男のように。
 そんなキロンを見ながらコボちゃんがいった。
「まるで、3歳のとき、いきなり弟ができてパニクっている誰かさんみたいね」
 苦労猫のナンナンに問題はないとして、いつかはキロンもミミを妹として許すときがくるだろう。そして、ミミも自分の数十倍もある黒ラブ犬ののアルルをお姉ちゃんと慕うときもくるだろう。それまでのことは、連載『アルルがやってきた』でじっくりと報させていただく。 27/08/2006


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