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■ 絵のないドラマだから見えてくるもの

◆ みんながテレビを見るように
 目が見える頃から、ボクはテレビドラマというものをあまり見ませんでした。そりゃあ子供の頃というか、大学生くらいまではテレビの連続ドラマなどに夢中になったこともなかったわけじゃあありません。でも、すぐに飽きてしまいました。
 要するに、テレビは時間潰しにしかならない。与えられた使命に恵まれている人は、テレビなんぞに夢中になる必要がないわけです。なあんて、ああ、いっちゃった、いっちゃった。
 でも、みんながテレビを見るように、ボクもラジオを聴いてます。じゃあ、やっぱし時間潰しをしてるじゃん。そういわれても仕方ない。でもね、言い訳だけはさせてもらいますよ。

◆ 画家はお仕事してるときが遊びの時間
 誰だってそうでしょうけれど、読書とかお勉強とか、作文なんかするときはテレビはおろか、ラジオだって邪魔になります。けれど、ボクの場合、絵をかくときは別。おそらく、絵をかく神経と、思考の神経は系統が違うんでしょう。もっといっちゃえば、絵をかきながら、落語を楽しむこともできる。絵をかきながら、誰かとおしゃべりすることもある。だからラジオをBGMにして、耳とは別回路で作動する腕と手と指で、しゃかしゃかと線を引いているのであります。
 だけれども、次なる絵のことや彩色のプランを考えるときは違います。集中力を必要としますから、テレビはもちろん、ラジオもダメ。つまりアイディアの段階では全神経と脳細胞を動因して図案や構図や色彩構成を練るのです。このプロセスがいちばん肝心。ここさえうまくいけば、仕事のほとんどは出来上がったともいっていいのです。そして、いざ本番。絵をかくわけであります。
 外から観察すると、一生懸命になって絵をかいてるときが画家のお仕事の時間。そう見えるでしょ。でも違うんです。そういうとき、画家は遊んでいるの。楽しいことを考えながら、ただ手を動かしているだけなの。苦しくもないし、大変でもない。だから、こういうときはジャンジャカ音楽がかかっていようと、複雑な物語を聞かされようと、落語を聴いて笑っていようと、へいへいちゃらちゃらでお仕事ができるんです。

◆ 鼻糞をほじる脳味噌
 そうではなくて、たとえば画家や作家が椅子に座ってボンヤリとして、鼻糞でもほじってるときは油断ができない。そういうときの彼らの脳味噌はフル稼働して、たったひとつのことを考えている。これから創造する二次元の世界のこと。空想と創作のワンダーランドのこと。遊んでいるように見えるクリエイターこそ、本当に仕事をしているのです。と周囲に思わせて、いつも遊んでいたいものです。あはは。

◆ みんなの頭はマルチコンピュータ
 人間の脳味噌はマルチコンピュータなのではないでしょうか。同じ回路でない限り、同時にいくつもの回路を平行して作動させ、同時に様々なことを思考できる。だから人間はすごいのです。どんなスーパーコンピュータもかなわない脳味噌という思考回路を内臓しているのですから。

◆ 空想テレビは万能チャンネル
 さてさて、ここまで引っ張って何をいいたいかと申しますと、ラジオはいいって話題なんです。ラジオの場合のビジュアル、つまり映像は個人の自由自在。好きなようにプロデュースできる。どんなキャスティングでも可能となる。そりゃあ、ラジオ局があんまり顔の売れている人を採用すると、それだけ空想のキャパシティーが侵害されるから、声の主は顔のない人がいい。あれれ、そんな人、いないだろうって。そ、そうです。じゃなくて、つ、つまりですね、ラジオに出る人は、あんまりテレビに出ない人がいい。
 ボクはラジオの時代に生まれ、そして育ちました。お茶の間の中心にラジオがあった世代なのです。
 家族のみんながそれぞれの行為に集中しながら、ラジオに耳を傾けている。おそらく、ひとりひとりの心の中では、違う絵が動いている。ラジオの映像は空想テレビ。そして、そのチャンネルは人の数だけ存在する。音のない瞬間を個人の空想が埋めていく。おお、なんたる自由よ、個人の権利よ。

◆ テレビが日本の家族を変えた
 ラジオの時代は優雅だった気がする。みんなに思い遣りのゆとりがあったように思う。けれど、テレビは確実に日本の家族を別の方向に変えてしまった。
 テレビが茶の間に侵入してきて、間違いなくひとつだけ家族に加わったイベントを挙げてみる。それはブラウン管に向かって、個人個人が勝手な言い草でケチをつけること。アナウンサーに向かって、俳優にむかって、歌手に向かって、その顔を、その服装を個人の趣味という曖昧なる基準だけで無責任に採点すること。日本全国津々浦々、この座興が流行しなかった場所があるだろうか。ブラウン管に顔を出した瞬間、その人の顔は万民の遊び道具となるのだ。金のかからぬ玩具となるのだ。使い捨てのおもちゃとなるのだ。ほらほら、見たことあるでしょ。路地裏のポスターの美女の顔にされた悪戯。クチヒゲや丸眼鏡なんかをいたずらがきされちゃって。ああ、気の毒。ご本人が見たら、どんな気持ちがするのでしょうか。
 カメラの前で笑顔を作るとき、モデルの美女はポスターになった自分の顔面がフランケンシュタインの化け物みたいに傷だらけになっていたり、鼻水をたらしていたり、髭面にされたりすることを知っているのだろうか。いやはや、顔を売るという行為は、すごい勇気が必要なことなんですね。

◆ ボクはラジオを生きている
 失明して以来、ボクはラジオの世界を生きている。誰にも邪魔されず、本当に好きなように空想舞台をプロデュースしている。ブラウン管の登場人物たちに言いたい放題の悪口雑言を発するのも結構なストレス解消であろうが、自分の中で勝手放題の顔を作り出すのも愉快である。
 ニューハーフも女性たちも、ボクの傍ではみんな美女。板前は男前、政治家はカエル顔。医者は眼鏡をかけていて、シェフはキャップをかぶってる。まさか、エム ナマエのイマジネーションはそんなに貧困ではありませんよーだ。
 ラジオの世界に生きていると、頭の世界が豊かになる。考えることをやめない限り、イメージは成長し、色彩も豊富になっていく。もしかして、頭脳の銀幕に投射される映画は、現実の映画館で公開されるものよりも、はるかにエキサイティング、だったりして。
 ちょっと考えてみれば当たり前のことだが、仕事をしながらテレビを見ることは難しいけれども、ラジオに耳を傾けながら仕事をする人は少なくない。ボクの同業者にも、ラジオの愛好者は多数おられる。
 ポカンと口を明けてテレビを見ている人は想像できても、ラジオを聴きながらあんぐり口を開いている人はいないような気がする。。もしかしたら、テレビは人を受身にしてしまうから、頭脳の溝を比較的浅く仕上げてしまうのかもしれない。

 ◆ さて本題のラジオの話題です。
 まあ、いろいろ、グダグダとつまらぬことを書きました。すいません。ボクはラジオについて語りたかっただけなのですが、何も考えていないのにキーボードに置かれた指が自然に動いてしまい、無駄に文字を連ねてしまったのです。
 いやいや、正直に告白いたしますと、これまでの文面は、ボクが単なるラジオ馬鹿ではないという理由付けであり、苦しい言い訳であったのです。これから書きますこと。それはただのラジオ馬鹿による内容に相違ありません。そうなんです。ボクはラジオ馬鹿なのです。テレビに夢中になっておられる方々の悪口をいって申し訳ありませんでした。
 でもでも、ひとつだけご理解いただきたい。エム ナマエがラジオを聴いているのは、オエカキのお仕事をしているときと、人工透析のベッドの中でだけ。つまり、自分の思考回路をラジオのためにあけてあげられる時間に限っているということです。それを前提にしていただいて、以下のテキストにお目通しいただきたいと思います。

◆ エム ナマエの一週間
 月曜日はお風呂をわかし、火曜日にお風呂にはいる。というような歌がありましたよね。んなことしてたら、お風呂がさめちまう。あ、ごめん。脱線しそう。話を元に戻します。この歌、確か、一週間というようなタイトル。間違っていたらごめんなさい。で、ボクも、この歌をBGMにラジオの一週間をご紹介いたします。

◆ 月曜日
 毎週月曜日は夕方からTBSラジオのデイキャッチ。友人の松崎菊也の『あの人の独り言』が面白い。元ニュースペーパーの芸人ですから、既に有名人ではありますが、もしも松崎菊也をご存知ない方、どうか一度聴いてください。あくは強いけれど純粋なる情熱家です。そしてエム ナマエの月水金の17時からは人工透析のベッド。考えること以外、何もできないベッドの中で、ただひたすらにステイチューン。18時半からFMは81.3。
「エイティーワン・ポイント・スリー、ジェイ・ウェーイブ」
 耳に馴染んだサウンドステッカーが響いてきます。番組は『トヨタ・ミックスマシーン』。ピストン西沢なる人物がナマでディスクを回すDJがゴキゲン。思わずベッドの中で、横になったまま、腰をふりふり、イェイイェイ、イェイ。近い未来に還暦というのに、ヒップホップやヤマトラップにはまってるエム ナマエは、この番組にかなり感化されてるのです。そして『トヨタ・ミックスマシーン』は月金で毎日放送。透析のない火曜日と木曜日は、ボーズのプラス・ワンのスピーカーのボリュームをあげて、部屋の中でひとり踊り狂うのです。
 20時からはNHKラジオの『疑問の館』。薀蓄をご披露したい趣味の方々にはピッタリのプログラム。慶應義塾のマンガクラブでのボクの大先輩、ヒサ・クニヒコ氏も、同級生だった山本コータローも知人の立川談四楼師匠もレギュラー解答者で出演されてます。
 この時間で月に一度だけ放送されるのが、わが家元、立川談志の『新・話の泉』。これは洒落を理解する大人のための教養番組。落語マニアのインテリジェントだったら必聴です。
 そして21時半からはエム ナマエが全力で推薦するラジオドラマの最高峰、歌謡ドラマ。毎回ヒロインを演ずる俳優の山下智子さんの熱演が光ります。

◆ 火曜日
 20時になると、ボクはコンピュータから離れ、絵をかくために机に向かいます。そしてラジオのスウィッチ・オン。NHKラジオでは青木裕子アナウンサー司会による『触れ合いパーティー』。出演者と話題に大きく左右されますが、拾い物に恵まれることもあるので、毎週耳を傾けるようにしています。
 野球中継のないシーズンの火曜日ならば、21時からのTBSラジオ。『談志の遺言』。落語ファンだったら聴かなきゃ損損。これほど落語の勉強になる時間が他にあるでしょうか。そりゃ、もちろん、ないない。
 でもさ、こないだは、頭にきましたね。談志家元、毎回のように俺は死ぬ、すぐに死ぬんだ、を連発していて、こっちをハラハラさせるんだけど、2006年の最後の法曹で、この番組もこれでおしまい、てなナレーションが浅草の老舗団子屋の娘の声で流れたのだ。この団子屋の娘の正体はTBSラジオのファンだったら誰でも知っていること。毎週の土曜ワイドで永六輔のお相手を務めている慶應義塾のチアリーダーだったお嬢さんです。うわ、また脱線した。で、ボクは
「ええっ。本当に終わってしまうのかよ。とうとう、家元、気力が失せたのかあ…」
と絶句した途端、ナレーターの団子屋の娘が
「では『談志の遺言2006年』はこれをもって終了し、来年からは『談志の遺言2007年』が始まります」
といってやがんの。てやんでえ。ざけんねえ。と怒るのも大人気ない。おそらく、これも談志家元の仕込みなのではあるまいか。さすが。と、談志のやることだったら、人の首を絞めていても許せてしまう。
 で、と語調が変わったと思って読んでください。突如として文章の雰囲気が急変するのがエム ナマエの悪癖なのです。で、野球のないシーズンはそうなのですが、野球中継のシーズンでは、そのままNHKラジオのラジオ寄席『真打競演』を聴きます。東京の芸人さんが「今」の高座を演じてくれるからです。ボクがはまっている落語家、柳家一琴師匠も、この番組で知りました。もっとも、その頃の彼は横目家助平でしたが。

◆ 水曜日
 水曜日の夜もボクは人工透析のベッドで時間をもてあましているのですが、これはというラジオプログラムが残念ながらないのです。で、ボクは音楽を聴いたり、歌詞やセリフを覚えたり、童話や絵本やエッセイのアイディアを練ったりと、たまにはお仕事したりします。また、適当にチューニングしていると、運良く優れた教養番組に遭遇することもあったりして、感激するのであります。
 そうそう、そういえば、NHKラジオ第二、略してR2と呼びますが、に気まぐれにステイチューンをいたしますと、『文化講演会』とか『文化セミナー』とか、やたらと文化のつく番組に衝突することがあります。そういう偶然の中で、世界の危機を救うようなアイディアを秘めた人たちの語っている場面に遭遇することがあるのです。こういう体験は生涯の財産となりますので、ボクにはとても大切な気まぐれなのであります。
 さて、ここでは毎日のラジオについて語ります。TBSラジオの夕方からのプログラム、『デイキャッチ』ってご存知でしょうか。荒川強敬というかなりオッチョコチョイのパーソナリティがやってる人気番組なのですが、月曜日はボクの敬愛する松崎菊也の『あの人の独り言』と、水曜日の毎日新聞近藤編集委員の選による『勝ち抜き時事川柳』、金曜日の主と大学「東京」の準教授、日本を代表する頭脳と精神の宮台真司先生のコメントが傾聴の値あり。世の中にはすごい人がいるもんです、と感心しながら、キーボードをたたく手を休めるのであります。
 お薦めはTBSラジオの22時からの『アクセス』。月金で日替わりコメンテイタによるニュースランキングと、リスナーとのバトルトークが面白い。そして23時40分からの『ラジオ・ブックス』。TBSのアナウンサーたちが朗読のスキルを競います。日付が新しくなると、やはりTBSラジオの『バツラジ』。これは自分の耳で確かめてください。エム ナマエ公式ウェブサイトとしましては、とても掲載できる内容ではありません。でも、死ぬほど面白い。それだけは保証します。けれども、裏ではボクもちっとは関係のある『ラジオ深夜便』をやってますから、あんまり大きな声ではいえません。ちなみに『バツラジ』は月木での放送です。金曜日のこの時間、いっちゃ悪いけど、つまんない。TBSラジオ、清水社長にいいつけちゃおかな。
 月水金の人工透析から帰宅すると、時刻は23時。急激な水引きと毒素浄化で疲れた頭では、ゆっくりするしかありません。ですから、家内とこれらのラジオに耳とワイングラスを傾けた後、ネコを抱きしめ、NHKの『ラジオ深夜便』を流しながら安らかな眠りにつくのです。

◆ 木曜日
 木曜日は文筆の仕事に専念します。

◆ 金曜日
 夜、やはりボクは人工透析のベッドの中でラジオに耳を傾けます。野球のないシーズンの20時からはNHKラジオ、『いとしのオールディーズ』。エム ナマエも一度出演させてもらった秀逸の音楽プログラム。時代を振り返りながら、個人の歴史に触れる貴重な体験のできるラジオです。そして続く21時半からは『上方演芸会』。上方大好き人間のエム ナマエの夢中になれる時間です。NHKは上方演芸の復興に多大の貢献をしてきました。この番組はそのシンボルでもあるとボクは理解しています。

◆ 土曜日
 土曜日の朝6時半からはTBSラジオの『下村健一の目のツケドコロ』。これは聴かなければ損をします。
 土曜日はラジオをかけっぱなしで絵の仕事をすることになっています。TBSラジオ、中村尚登の『土曜プラザ』から始まって、13時までは永六輔の『土曜ワイド』。そして15時からはお楽しみ宮川マサルの『パカパカ行進曲』。これを耳にするときは、絶対に頭を使う仕事はできません。絵の仕事でも、可能な限り簡単な作業、たとえば石畳の道路をかきこむとか、単純な屋根の連なりをかくとか。まあ、そんなにタイミングよくいくことは少ないから、ボーッと手を休めてしまうか、我を忘れて馬鹿笑いをするか、どちらかの結果となってしまうのです。
 馬鹿笑いが済むと、今度はにわか教養番組のサタデイウェイティングバー『アバンティ』。電波はいきなり東京FM。このプログラムにもミスター・トリデという役柄で宮川マサル氏が登場してきます。大筋とはまるで関係ないんだけど。このプログラムはぼんやりと聴いているだけで、なんとなく自らが教養人になったような錯覚ができるところが魅力。まあ、この番組を誰が構成していて、誰が演出していて、誰が出演しているのか、まったく不明にしているところも魅力。さすがはサントリー。企画力が違います。どんなハイパーパーソンが仕掛けているのでしょうかねえ。
 21時からはNHKラジオ、『土曜の夜はケータイ短歌』。つい最近、エム ナマエもショートバージョンで出演させてもらいました。ケータイと短歌の融合。ケータイという簡便なツールが、短歌といういにしえ文化を若者の手元に引き寄せてくれました。『サラダ記念日』以来初めてと思えるほどの、短歌の新しい可能性を万人に示してくれた素敵な企画とはエム ナマエの評価。

◆ 日曜日
 日曜日はぼんやりと東京FMを流しているだけで満足。ユーミンや山下達郎、カールスモーキーが昼下がりの倦怠の相手をしてくれます。
 けれども夜ともなれば、なんといっても22時15分からのNHKラジオ、『ラジオ文芸館』。NHKのアナウンサーが心をこめて朗読する文学の40分間。短い時間ではありますが、NHKのラジオスタッフが全力を投じて映し出すイマジネーションの文学トリップです。ラジオの彼方にぽっかりと開く、別次元のファンタジーワールド。耳を傾けるだけで、知らない世界がボクらを迎えてくれるのです。
 『ラジオ文芸館』が終わると『日曜名作座』が始まります。これはNHKラジオの名物長寿番組。国宝級役者のカップルが織り成す文学の世界。興味のある方にはお勧めいたしますが、おそらくは賛否両論。まあ、この世界の味を堪能できるようになるまでは、かなりの修行と忍耐が必要かもしれません。けれども、貴重かつ希少企画であることに異論を唱える勇気ある人は皆無でありましょう。まあ、一度は経験してみてください。

◆ 『ラジオ深夜便』も忘れないで
 深夜番組の貴公子、『ラジオ深夜便』。エム ナマエがそのシンボルキャラクターを描いている深夜ラジオの王者です。23時から翌朝の5時まで、14人のアンカーが、ひとりひとりの個性を輝かせるスロウな夜。老人の番組と誤解しないで、眠れぬ夜はステイチューン。本物は古くもないし、新しくもない。きっと、予測もしなかった発見に、驚くこと間違いなし。どうか、ラジオのゆったりとした世界を楽しんでいただきたい。
 いやあ、ラジオって本当にいいもんですね。と、俺は水野晴男じゃないぞ。

◆ 繰り返しになりますが、月曜日なのに『歌謡ドラマ』とはこれいかに
 歌謡曲と聞くと、無条件に腰が引けてしまう人たちがおられると思う。そういう好みからいうと、この歌謡ドラマはかなりベタな印象を与えるかもしれない。ボクがそうだった。
 この歌謡ドラマ、以前は祝祭日などの休日プログラムのひとつとしてNHKラジオから流されていた。有名演歌歌手と声優さんや俳優さんたちとが共演して、歌謡曲をテーマとしたドラマを展開していくのだ。最初はくだらねえと、ろくすっぽ聴きもしないで条件反射的にチューナーを回して他局に避難していた。ところがだ、ある日の透析中、たまたまボンヤリしていたらこのドラマにはまってしまった。大体において歌謡曲というか、浪花節や演歌というものは、日本人がはまるようにできている。というか、日本人とは演歌にはまる人種をいうのだ。
 そういうわけで、ある時期からボクは歌謡ドラマを聴くようになった。その歌謡ドラマが休日の特別プログラムではなく、毎週のレギュラー番組に昇格したのだ。
 週代わりで有名演歌歌手を声優に仕立てるのは大変な作業だろうな、とスタッフの労力を心配していたのだが、んなこたあなかった。ごくたまに有名演歌歌手がヒーローやヒロインになることはあっても、ほとんどのドラマに演歌歌手は出演しない。そして主役は歌手から歌謡そのもの、つまりプログラムは文字通り歌謡ドラマとなったのだ。
 後日知るのだが、演歌歌手という方々は皆様演技がとてもお上手なのだ。どうやら演歌歌手という職業は、歌さえうまきゃあそれでいいってもんじゃなく、舞台で芝居や立ち回りを巧みにできることも職業構成要件になっているらしい。考えてみれば、演歌の演は演技の演に通じるのだ。
 そんなわけで、毎週月曜日の9時半、ボクは人工透析のベッドで歌謡ドラマに傾聴するようになったのである。月曜日なのに歌謡ドラマ。以前は本当に火曜日の歌謡ドラマであったらしいのだが、もしもそのままだったらボクが歌謡ドラマにはまることはなかったかもしれない。人工透析のベッドだったから、ドラマに集中できた。月曜日なのに歌謡ドラマ。ボクの幸運がそこにあった。

◆ ヒロインは山下智子
「歌謡ドラマ」
 歌謡ドラマは必ずこのセリフで始まる。そして、このセリフの語り手がボクの琴線に触れてしまったのである。
 毎回ヒロインを演ずるのは俳優の山下智子さん。気安く山下智子さん、なんていってるが、ボクにその資格があるわけではない。当たり前の話だが。
 この山下智子という俳優さんというか、女優さん、どこでどう修行をされたのか定かではないのだが、とにかくうまい。女子中学生から還暦の女性まで、実に魅力的に演ずる。ボクが歌謡ドラマにはまった最大の理由はこの女優さんの魅力にあったのだ。
 まずは知的であり、美声であること。そして巧みであること。それからユニークと思われる個性の持ち主であること。そして美しい京言葉。ボクはこの女優さん、というか俳優さん、というか、この役者さんが京都の出身であることを直感した。
 このホームページでも告知の記事を書いたのだが、『ラジオ深夜便』で山下智子のいにしえ京言葉による紫式部の『源氏物語』の朗読が放送されたことがあった。そのとき、山下智子は俳優と紹介されていた。であるから、ボクもこの方を俳優と認識することにしたのである。まあ、ニューハーフではなさそうだし、女優さんに違いはないのだろう。そうなれば役者さんと紹介しても問題はないはずなのだ。
 試しにネット検索をかけてみた。すると、このパーソナリティの周辺では「おみくじ天使のナントカちゃん」とか「絵本」とか、意外なエレメントが現れる。ますます正体不明の個人なのだ。でも、正体などはどうでもいい。歌謡ドラマの不可思議なヒロインにエム ナマエははまってしまったのであった。

◆ 不思議なデジャヴ
 歌謡曲がテーマである歌謡ドラマ。背景に流れてくる曲はヒットした、ボクらの知っている名曲の数々。当然のようにメロディーは思い出を手繰り寄せる。心は時代を遡る。デジャヴが立ち上がる。
 けれども、このデジャヴ、つまり既視感はよく知っているメロディーのためとは限らない。ボクにとってドラマの舞台がやばいのだ。時代もやばいのだ。若い時代、遊びまくった街や土地。夢中になったグループサウンズ。憧れて旅した古い都。
 特に吉峰真琴という脚本家の作品がやばい。この人の送る空気がボクの心の故郷を刺激してくれるのだ。ボクを映画や小説、童話や絵本に夢中になった昔へ戻してしまうのだ。このシンパシーは何故だろう。もしかして、吉峰真琴という人物はボクと同じハートの人なのか。それとも、ボクと同じ団塊の世代の人物なのか。まあ、いい。この人物の正体が何者であれ、いや、魑魅魍魎でも百鬼夜行でも怪物でもいい。この作家が誰であれ、そんなことは問題ではない。吉峰真琴というパーソナリティがボクのハートを鷲掴みにして細胞の段階にまで破壊してくれるのだ。知らないうちにボクの胸を熱くして、涙まで誘ってくれるのだ。それがたまらない。とここまで書いてはっと冷静になる。我に返る。なんの、くそ。歌謡曲程度で泣いてたまるか、てやんでえ。こちとら江戸っ子でえ。
 そればっかりじゃない。いきなり舞台が慶應義塾のキャンパスになり、早慶戦で恋のドラマが展開するともなれば、ボクの心臓はエイトビート。誰かに自分の過去を覗かれたような錯覚すら覚えてしまう。おそらく、スタッフに慶應義塾関係者が潜んでいるに違いない。

◆ 絵がないからこそ見えてくるもの、こないもの
 歌謡ドラマの山下智子。2007年、この女優さんに注目してみたい。
 とはいえ、歌謡ドラマの魅力がひとりの女優さんによるものでないことは明白である。優れた脚本家、編曲家、演出家。そして素敵な共演者の数々。誰でも知っているベテランの声優さんたち。そして名演技の歌手の皆様。複数の情熱の融合が30分の永遠を作り出しているのだ。だからこそ、ときとしてベタな浪花節があろうとも、それはそれで楽しめてしまうのだ。
 絵のないドラマだからこそ、見えてくるものがある。ボクには川口泰典という演出家の信念がびしりびしりと響いてくる。ラジオの世界にかける情熱がずしりずしりと伝わってくるのだ。けれどもおそらく、ご本人は心から楽しんでおられるだけのことと拝察する。
 目をつぶれば見えてくるラジオの世界。それなのに、いくら目を閉じても見えてこない『美しい日本』。永田町のアベちゃん、しっかりしてよね。    10/01/2007



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