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■ 川田龍平さんが立つ

◆ 龍平だから辰、なのではない
 川田龍平さんだから辰、なのではない。当たり前だ、と叱られてしまいそう。そうです。おどけている場合ではありません。
 今年、日本の政治が変わる。「美しい日本」とビジョンの見えないビジョンを展開している与党に失望している国民に希望の光が見えてきた。それが川田龍平さんの意思表明である。

◆ 川田龍平を知らない若者が増えている
 川田龍平さん、ここでは龍平君と呼ばせていただくが、龍平君自身の言葉でも、
「川田龍平を知らない若者たちが増えてきた」
と語っているのを聞いたことがある。けれども、エム ナマエにとって、川田龍平という個人こそ衝撃的、本物の勇気と貢献を教えてくれた人はいないのである。
 ボクの曖昧なる記憶だと、エイズに関する報道の発端は1983年の前半だったように覚えている。ボクが目にしたのは写真週刊誌に掲載されていた一枚の写真。完全密閉された防護服に守られた医療関係者が医療廃棄物を処理している映像だった。未知の疾病、エイズ。不治の病。謎の病原体。人間の不安や恐怖を誘う言葉が事件の周辺で踊っている。
 たちまちエイズへの恐怖が世界中を支配した。エイズという死の影が青い惑星を覆いつくしたのである。 大げさに書けば、エイズという謎の疾病は、それほどに衝撃的で恐怖の事件であったのだ。

◆ 未知と偏見
 知らないということが、どれほど怖いことであるか。相手の正体が見えないときほど、恐怖は倍増される。1983年当時、エイズに対する世界の意識はそこにあった。
 後天的免疫不全。本来は森林に潜んでいるはずだった原始ウィルスが人類世界に出現した。様々な情報が駆け巡る。エイズはゲイの病気だ。いや、麻薬常習者特有の病だ。いかにも本当らしい、嘘と真実のカクテル知識が流布される。結果、エイズウィルスは人類最大の敵として扱われ、その病気は魔女裁判の標的とされた。

◆ ボクも例外ではない
 エイズに関してはボクがここに詳しく書くまでもないだろう。正確で詳細な情報はネット検索でいくらでも出てくる。
 1983年というと、ボクが失明を宣告され、画家としての地獄を体験する初頭の年でもあった。だから、自らの地獄体験と絡まり合い、エイズについては、ただ恐怖の対象としてしか認識できず、ボクの中でも偏見は育っていった。

◆ 薬害エイズと川田龍平さん
 血液が固まらず、出血が止まらない遺伝性の病気に血友病というのがある。有効なる手段は血液製剤の投与。けれど、原料となる血液にエイズウィルスが混入していた。
 1986年、ボクは慢性腎不全を極限まで悪化させ、病院に担ぎ込まれていた。心肺機能は低下し、血液も役立たずとなっている。人工透析の導入以外、救命方法はない。それに血液製剤の投与。そのとき脳裏をかすめたのがエイズウィルスのことだった。けれども、この時点で、すべての血液はチェックを受けており、安全を医師は保障してくれたのである。
 けれど、この安全から漏れた人たちがいる。それが血友病の患者さんたちである。そして、川田龍平さんもそのひとりだった。
 彼は10歳で薬害によりエイズウィルスに感染した。その事実を母親から知らされた瞬間から、彼の闘いは始まったのである。龍平君とご母堂の闘いの軌跡はインターネットでご覧いただきたい。そこには感動の記録が記されている。

◆ 彼の勇気と決断
 川田龍平さんが実名を公表し、薬害エイズ訴訟の原告として闘ったことは世間を動かした。人々の偏見を払拭させ、エイズ患者の未来を開いた。無用な不安を鎮圧し、正しい知識を広めたのである。

◆ エム ナマエは政治音痴
 エム ナマエは政治音痴である。にも関わらず、政治が好きである。よく分かりもせず、ただその個人が好きだからという理由だけで、政治的な集会にも顔を出す。親しい友であるという理由だけで、その選挙を応援したりする。
 ボクはその日も、とある政治的な集会に顔を出していた。そして川田龍平さんに出会ったのである。その時点で、ボクからはエイズにたいする偏見も差別も完全に払拭されていた。そして、それをしてくださったご本人が目の前にいるのだ。ボクらは堅く握手をした。その日から、ボクと川田龍平さんは戦友となったのだ。

◆ 命を区切られること
 ボクは人工透析導入のとき、あと5年の命と医師に宣告された。そして、龍平君も、おそらくは短い命を覚悟したに違いない。1月12日は彼の誕生日。彼の28歳の誕生日、ここまで生きられて幸せであるというメイルをいただいたことがある。そのとき、ボクは自分の50歳の誕生日のことを思い出していた。
「よくぞ、ここまで生きられた」
 それが正直な感慨だった。生きていられる。そして、命がある限り、この命で貢献できる何かがあるはず。生まれてきた以上、いつかは必ず死ぬ日がくる。生きるという行為は、死の日に向かって歩くこと。だから、それを知っている人たちは、人生をよく生きようとするのだ。例えば、エム ナマエの「よく生きる」は表現すること、笑うこと。そして龍平君の場合はどこへ向かうのか。
 以下に川田龍平さんの決心があります。この決意分に賛同いただけたなら、どうか龍平君のサイトを訪問していただきたい。そこには最新の情報が掲載されているはず。そして、彼の力になっていただきたい。ご報告が遅くなってしまいましたが、これが今のエム ナマエからのお願いです。

■ みなさん、私たちの友人の川田龍平くんが国政へのチャレンジを決意しました。

龍平くんは、当事者として国や製薬会社と闘った薬害エイズ裁判に
始まり、日本の社会と政治を変えるために活動してきました。

広がるばかりの格差、愛国心を押しつける教育、
右傾化・軍事大国化とアメリカ追随、
そして日本の誇りであり世界の指針とすべき平和憲法の危機…
この国は、いま、大きな岐路に立たされています。
私たちはあきらめません。

私たちは龍平くんの決意に賛同します。

1月12日は龍平くんの31歳の誕生日です。
そして、龍平くんと私たちの新しいチャレンジのスタートの日です。
ふたつの“HAPPY BIRTHDAY”に
ぜひお集まりください!



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