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■ 素敵な出会いの連続でした  − 2007 大阪ビッグアイ イベント報告 −

◆ 出迎えは京都の人
 小田急線経堂駅から東京駅まで電車でいく。以前はタクシーにばかり乗っていたのだが、最近は電車のお世話になることがほとんど。それは貧乏だから。ああ、それもあるけれど、以前と比べたら驚くほど駅が快適になったからです。駅のエレベーターの存在。それが障害者の外出をどれだけサポートしていることか。
「なんだ。やろうと思えばいつだってできたんじゃない!」
 コボちゃんがつぶやく。そうだ。これまで昇降機のないことで、どれだけの障害者が不便をしてきたことだろう。でも、法律や民度に変化があれば、いつだってやれたんだ。そう考えるとありがたいより、腹が立ってくる。

 東京駅から新幹線でひゅんひゅんひゅん。新大阪駅のホームでボクらを出迎えてくれたのはTさん。数年前からエム ナマエのイベント企画をプレゼンテーションしてくださり、今年それがとうとう実現したという嬉しい初対面だ。でも、その上品で素敵なお声は電話で何度も聞いている。いやあ、それも当然。彼女は京都の人なのだ。

 タクシーを飛ばして堺市ビッグアイに急ぐ。Tさんとの会話で車内は盛り上がり、時間を忘れている。そこへTさんのケータイが鳴った。
「エムさんへです」
 彼女のケータイを受け取る。うわあ、軽い。ボクのケータイはドコモの「らくらくフォン」。ボタンがでっかく、音声出力でのケータイメイルが魅力で使っているのだが、ぼってりと厚く、なんとなく野暮なのが気になっている。薄くて軽いケータイが欲しいけど、「らくらくフォン」は盲人の使用も考慮に入れて開発しているので、やっぱりドコモは裏切れない。いや、とんでもない。感謝すべきというところか。でもなあ、ホントをいうと、ドコモの商売はあんまり好きじゃない。というか、NTTという会社があんまり好きじゃないんだよね。理由はね、ボクがマイクロソフトを嫌っているのと同じ理由。要するに独占したがる。まあ、最近は状況も変わってライバルも出現し、競走激化。それなりの営業努力はしてるみたいですけれど。でも、まだまだ親方日の丸根性は元気に生きているみたい。

 そうそう、マイクロソフト、クッソクラアエの話題。盲人にはウィンドウズよりももっといいソフトがあったんだけど、マイクロソフトのおかげで、機会もメンテナンスも消えてしまったのだ。仕方がないから、いやいやXPを使ってるんだけど、そのうちサポートが切り捨てられるとか。んなの、許せない。ビスタなんて、誰が買うもんか。そもそもウィンドウズなんて盲人の使用ははなから念頭にないのだ。マイノリティーを相手にしても、いい商売はできない。まあ、そういうお考えなのだろう。マイノリティーを切り捨てれば、ビジネスは大繁盛。駅のエレベーターも同じ理由で無視され続けてきた。

 おお、今やビルゲーツさんは世界でいちばんお金持ち。世界でいちばん幸せかどうかは知らないけれど。
ボクがXPなんかの世話になれるのは、高知システム開発のおかげ。NECフォーマットがウィンドウズのマーケット独占で消えてしまったから、どうにもならない切ない決断で、このXP導入となったわけ。とはいえ、使えるようになったのは、この高知システム開発という盲人用ソフト開発ベンチャー企業のおかげなのです。失明してから3年後、目の見えないボクがコンピュータを使えるようになったのも、この会社のおかげなんです。決してマイクロソフトのおかげじゃない。ビル・ゲーツのやつ、きっといつか、ビルビル、ゲーッソリにしてやろっと。あはは。エム ナマエは根性悪。


◆ ラジオでおなじみ長崎圭子さん
「ええっ。あの長崎圭子さんですか。ウソ?ホント?」
 ケータイ電話の向こうで話しているのは、NHKラジオ第二「共に生きる」のキャスター、長崎圭子さんである。毎週日曜日、ほとんど必ずといっていいくらい耳にしている聡明な声、爽やかな口調。いや、現場で彼女がボクを待っているなんて、ボク、聞いてない。きっとKさん、伝えるのを忘れたな。でもいい。こいつは嬉しい、ハッピーだ。
「ギャラリートーク、何を話そうか新幹線の車内で、ずっと考えてたんです。頭の中で、あれやこれやとリハーサルまでしてね。でも、長崎さんが相手をしてくださるなら、悩むこと、なかったなあ。いやあ、安心、安心。どうぞよろしく」

◆ 音もなく移動する長崎さん
 長崎さんは音もなく移動する。ラジオで知ってはいたものの、見事な電動車椅子操作である。
「でも、ちゃんと保険に加入してるのよ。電動車椅子は強力ですからね。蹴飛ばしたい相手がいたら、この車でひいてあげるの。たとえばKさんとかね。おほほ」
 さすがラジオの達人、長崎圭子さん。ジョークも乱れ飛ぶ。会場でお目にかかった途端、話が弾む。間接的ではあれ、お互い知らない同士ではない。ボクなどは以前から彼女のファンであったから、打ち合わせも忘れて、まるでジャズのセッションみたいに会話のシンコペーション。けれども、長崎さんはNHKのディレクターでもあられるから、時間読みにも卓越している。きりっとした口調になると、すぐに打ち合わせが始まった。
「ボク、長崎さんにすべてを委ねます。初めてお会いするのに、そんな気がしません。だから自然体でいけますよ。打ち合わせをすると、その通りにしなきゃいけないという強迫観念が生まれてしまいますから、ボク、緊張して駄目なんです。すいません」
 ボクは中途失明者。彼女も中途障害者。トータルすると、ボクも14ヶ月くらい入院の経験があるが、彼女は4年4ヶ月。ボクには想像もつかない長さである。その間、彼女は手術を数回経験したそうだ。どれこどの危機を脱してきたことだろう。ボクは彼女の聡明さと落ち着いた心持に脱帽する。
「ボクも長崎さんも、いわゆる健康という状況と、障害者という立場の双方を知っているわけですよね。それで、どうでしょう。幸せの感じ方に違いはありますか」
「変わりはないと思います」
「同感です。障害と共に生きることが不幸なことだとは決して思いません。むしろ、ボクは昔より賢くなったような気がしているくらいなのです」

◆ 楽しかったギャラリートーク
 長崎圭子さんは一流のディレクターであり、かつまたキャスターでもある。つまり、優れた語り手なのだ。その巧みな誘導により、ボクは緊張も迷うこともなく、スムースにしゃべることができた。予定の時間をかなり超越してトークは終了に近づいた。
「この展覧会は絵ばかりではなく、ボクの言葉も展示してあります。これから、最も気にいっているいくつかの言葉を朗読させていただきます」
 そこで深呼吸をひとつ。
「いつか誰でも壁にぶつかる。そして、そこからドラマが始まる」
「苦しみから逃げれば、幸せも逃げていく」
「泣いて暮らそうと、笑って暮らそうと、どちらも貴方の作る一日です」
「あの頃もよかったけれど、やっぱり今がいちばんいい」

 朗読パフォーマンスでギャラリートークは終わった。このパフォーマンスを演じるようになったのは、今は天上の住人、絵門ゆう子さんのおかげ。彼女は自分の朗読コンサートのアンコールに、いつもエム ナマエの言葉の朗読をしてくれていたのだ。彼女亡き後、このパフォーマンスを引き継ぐ人間は、作者である本人以外にはいないだろう。そう考え、下手糞なりに、人前で演ずるようになったのである。


◆ 手から伝わるもの
 ギャラリートークが終わって、長崎圭子さんと堅い握手を交わす。会えてよかった。心からそう思う。
 目が見えなくなってから、どれだけの人たちと握手を交わしてきたことだろう。いや、見える頃から大勢の方々と握手を交わしてきた。だが、全盲となってからは、ボクにとっての握手の意味は深いものとなった。握手で人が見えるのだ。アイコンタクトをしながら握手をするように、握手をするというアクション(ダジャレではありませんよーだ)で、ボクに伝わってくるものがあった。それも失明以前に考えていた以上の情報が、手から伝わってくるのだ。

 ぬくもりの伝わる手、儀礼的な手。柔らかい手、堅い手。働く手、働いたことのない手。強く握る人、そっと握る人。握手することを歓迎している手。握手することが苦手な手。様々にある握手というアクションから対面している人のあり方が見えてくるのはいたって自然なことなのかもしれない。

 長崎圭子さんの手から伝わってきたもの。それは友情、信頼、可能性。彼女はボクの絵を知っていた。ボクは彼女の番組のリスナーだった。間接的に伝わってきたものが具体的な触れ合いに進歩して、いつか新しい可能性へと発展していく。これからどんなコラボレーションが実現していくのだろう。シンパシーする志が築き上げるものに期待をして、ボクは彼女へ心からのお礼を伝えた。


◆ トワ・エ・モワの芥川澄夫さん
 翌朝早く、ギャラリーにいくと、誰もいない会場でひとり、ボクの作品を見ておられる方がいた。イベント会社のTさんがその方を紹介してくださる。トワ・エ・モワの芥川澄夫さん。皆様ご存知の、あの背の高いハンサムな男性である。といっても、ボクの記憶しているのは、札幌オリンピック当時の彼らの映像であるから、あまり無責任なことはいえない。けれど、その堂々とした態度や、声の落ちてくる高さから見ても、立派な紳士になられたことは間違いない。話してみると同年齢であった。
「いい言葉ですね」
 ボクの展覧会は原画と並んで言葉の額も展示してある。芥川澄夫さんはそのことをおっしゃっているのだ。音楽プロデュースや作詞もなさっておられるから、展示されている言葉に興味を抱かれたのかもしれない。
「でも、ここにある絵もボクがかいているのです」
「えっ。本当ですか」
 全盲のイラストレータが存在する。そのことが正確に伝わっていないのかもしれない。そう思ったボクは芥川さんの目の前で絵をかき、サインをして画集「夢の力」をプレゼントさせてもらった。リハーサル直前の忙しい時間だったが、芥川さんの誠意あふれる態度に敬意を覚える。歌は時代の記憶を刻む。忘れられない歌声の主に出会えたことに感謝する。


◆ ステージの幕前で
 トワ・エ・モワの人気もあって、キャパ1200人の多目的ホールは満員である。観客は既に募集してあった。なのに、エム ナマエのギャラリートークは満員御礼というわけにはいかない。これがお役所仕事というもの。立派な企画と会場。大義名分。予算だってしっかりとかかってる。呼ばれる作家も悪い気分ではない。けれど、観客は多い方がいい。お願いしたいのは効果的な宣伝である。え?エム ナマエの人気がないんだろう、だって。まあ、それをいわれたら反論は難しいけれど。でも、エム ナマエの名前で人が集まるときは集まるんですよ。それは過去のデータが証明してくれている。なんでもそうだけど、場所やタイミング、企画のベクトルが問題。黙っていても集まるときは集まるし、どんな企画でも切り口に問題があれば、人は振り返ってくれない。人間は先入観の生き物。そこを突破する呼びかけをしない限り、常識は打ち破れない。

 Tさんの提案で多目的ホールの休憩前の時間を少しだけいただけることになった。幕前での挨拶である。目の前の舞台では知的障害がある若者たちで構成するプロの和太鼓集団「瑞宝太鼓」(ずいほうだいこ)の熱演が繰り広げられている。すごい迫力だ。正直なところ、ボクは林栄鉄さんの演奏にも、それほどの感動を覚えなかったのだけれど、この演奏には胸を打たれた。見事なチームワーク、複雑なリズム、空気を振動させる音のパワー。自分をいかにアピールするかを考えるのも忘れ、ボクは和太鼓の音に包まれていた。

 と、いつの間にか幕が降りている。司会者に幕前を誘導され、いきなりマイクを渡されてとまどう。何をしゃべるかまだ決めてなかったのだ。
「いやあ、すごい迫力。見事な話題この演奏でしたね。でも、ボクは独り。まるで迫力ありませーん」
 客席から笑いがあがった。満員である。よおし。この大勢の人たちにボクの展覧会を見ていただこう。
「皆さん、今から正しい休憩時間の過ごし方をご紹介いたします。それは全盲の画家、エム ナマエの展覧会を見ることです」
 これは友人の、日本有数のフルート演奏家から拝借した切り口である。そして、このミッションが見事に成功した。


◆ 世田谷区民会館での無力感
 昨年12月、世田谷区民会館でボクは講演を許された。テーマは障害者と健常者の融合。まあ、何が障害で、誰が健常者だか知らないが、とにかくだだっ広いホールに向かって話をした。けれども聴衆は遠く、ボクの語りかけは闇に空しく吸い込まれていく。以前から練り上げた内容、シュミレーションした語り口であるが、会場が広過ぎるのかもしれず、反応がつかめない。一瞬、頭が白くなった。
 横では手話通訳のボランティア。スクリーンには要約筆記の文字。この会場には様々な障害と共に生きる人たちがおられるのだ。そう実感した途端、次の言葉が出てこない。そのとき、声が届いた。
「そうだ、そうだ」
 ボクを応援してくれる声だった。苦しい息の、おそらくは重度の身体障害のある方からの声だった。そしてボクは凝固する。自分みたいな人間が、ここで何を話してみたって、いったい何の役に立つのだろう。無力感がボクから言葉を奪った。

 絵本作家の木村裕一さんの助け舟がなかったら、ボクはそのまま無言のままでいたかもしれない。結局、目が見えて美術大学出身の木村裕一が文章を書き、盲目で慶應義塾出身のボクがイラストレーションを担当した絵本「あしたのねこ」を、ふたりで朗読して舞台は終了した。木村氏のおかげで講演の目的は達成されたが、ボクの無力感は目に見えない速度で成長していった。


◆ 正しい休憩時間を過ごしている人たち
 ボクの展覧会場がにぎわっている。多目的ホールから人が流れてくれたのだ。
「正しい休憩時間を過ごしていますよ」
 声がかかる。ペンを握るボクの前に行列ができる。次々と画集や絵本、絵葉書にサインをして、みんなと握手をする。愛育社から出張してくださった小尾さんも書籍の説明に忙しい。やはり観客は多い方が嬉しいものである。

 ボクの前に車椅子の男性がきた。サポートの女性のお話によると、彼は現在、視力を失いつつあるという。聴覚障害、身体障害に加えて視覚障害。ボクも多重障害者だが、この障害は大変で、この障害は楽です、ということはない。ちょっとした怪我をしたって、そのことばかりが気になることもある。心にせよ身体にせよ、自由という状態は何も気にならないということだ。けれども、この世界では、そんな幸運に恵まれている人ばかりが暮らしているわけではない。ボクは再び無力感につかまった。できることはただ心をこめて絵をかき、サインをすることだけである。
「ありがとうございました」
 すると、ボクの手は大きく暖かい手によって包まれた。彼の手だ。直感してボクも握り返す。
「がんばって」
 声をかけられたとき、ボクは電撃に打たれたような感動を覚えた。頑張れ。そういわれることをボクは好まない。いつもだったら無条件で反発するのだが、彼からの応援だからこそ、ボクの魂に響いたのかもしれない。
「がんばって」
 そう伝えるために、彼はどれだけ頑張ってくれたことだろう。気休めや慰めの頑張れではないのだ。彼の前で、どんどん小さくなっていく自分、つまらないことに縛られている自分を感じる。そう、ボクは彼の大きさに圧倒されていたのだ。


◆ 輝いていたカズヨさん
 会場が静かになったなあと思ったら、ホールからトワ・エ・モワのハートフルコンサートが聞こえてきた。ボクもお客になりたい。そう思うのだが、目の前にはまだサインを待っていてくださる方がいた。ボクはお名前をうかがい、絵をかいてからサインをする。
「あのお、質問があるんですけど…」
 カズヨさんとおっしゃる、その女性から遠慮がちな声がかかる。
「はい、なんでしょう」
「先ほど、エム ナマエさんはステージでこうおっしゃいました。『天はその人に耐えられない試練は与えない。試練が大きいほど、あなたも大きいのだ』と。私は重度の障害者です。でも、自分を大きい存在だとは思えません。エム ナマエさんは、どうしてそう思えるのですか」
 聡明な美しい声の響きである。ボクはその真っ直ぐな質問に誠実に答えようと精神を集中した。

「画家のボクは失明を宣告されました。そして、失明したら自分はとても生きてはいけないだろうと考えたのです。けれども、ボクは今でもこうして生きています。おまけに、目が見えなくなったのに、まだ画家を続けていられる。不思議です。もしかしたら神様は人間をとても強い存在としてお創りになられたのではないでしょうか。健康で元気だった頃、ボクはあまり深く考えない人間でした。けれども、目が見えなくなり、命の危機を与えられてからは、深くものを考えるようになりました。そうしたら、天からいろいろな言葉をいただけるようになったのです。試練はボクを少しだけまともにして、ちょっとだけ賢くしてくれたのかもしれません。カズヨさん。あなたはボクから見ると、とても素敵に思えます。それはあなたの精神が輝いているからです。この宇宙でいちばん美しい存在。それは精神の輝きです。その美しさをまとっているカズヨさんは、既に大きな存在となられているとは思いませんか」

 カズヨさんと握手を交わす。彼女の細い指は力強く、運命の中で育んできた志の輝きが反映されていた。この人に会えただけで、ここにきた価値がある。ボクから無力感が消えていく。お役所仕事がどうであれ、この機会を与えられたことにボクは心から感謝していた。


◆ 集いと出会い
 イベント初日、会場に到着して準備をしていると、いきなり元気な声がかかる。
「こんにちわ。誰だか分かりますか」
「も、もしかして、そ、その声は絵夢助人さん」
 そうなのだ。このホームページの管理人、絵夢助人さんが駆けつけてくれたのだ。それも自由意志で。既にアップされているのでご覧になったと思うが、当日の撮影や取材は彼女のものである。おまけに物販やサイン会も、イベント終了まで細かい気配りと動作で手伝ってくださった。こういうとき、彼女のキャリアが光る。優れたスキルを提供してくださるスタッフに恵まれてこそのホームページである。

 さて、前回の大阪訪問と同じく、またまたYちゃんが遊びにきてくれる。それも土日の連続二日間で。そしてボクの絵を見て涙ぐんでいる。そういえば、彼女がエム ナマエの原画を見るのはひさしぶり。彼女の涙はボクの絵の影響か。まあ、そう信じておくことにする。

 ギャラリートークには株式会社「銀の雄牛」の皆様もきてくださった。ただ、会場に人が少なかったのが残念である。エム ナマエは人気がないのではないか。そう思われるのは口惜しい。やはりお客様は多い方がいいのだ。いずれにせよ、告知しようとする情熱と方法の問題である。

 ビッグアイの建物は立派である。けれど、どんな金のかかった入れ物でも人がいなければ機能しない。今回のイベントが成功だったとすれば、イベント会社のスタッフとボランティアの方々の貢献のおかげだろう。週末のせいではあろうが、お役人の気配は皆無であった。

 ボランティアスタッフには長く手話通訳をされている女性がいらして、その方と親しく話をした。手話といえば、手話ボーカルで知られる「シャンテ」というグループがあって、その話題となる。手話は正確さと体力を必要とする厳しい奉仕である。その厳しい手話を楽しんでいるのが手話ボーカル。リーダーのロックミュージシャンはボクの友人だ。けれども久しく連絡をしていない。どうしているのかと気になっていたら、東京に戻って一週間、ラジオからシャンテのリーダーが力強く語っている声が聞こえてきた。

 思いには不思議な力がある。偶然の出会いには不可知の意味がある。街はまだまだバリアーだらけ。だけれども、やっぱりみんな、外に出てみようよ。。
 最後にKさん、ありがとう。   16/02/2007


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