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■ ヤルマンが終わる

◆ 人工透析とラジオ
 以前、ボクは人工透析のベッドで文化放送をよく聴いていた。特に昼からの「本気でどんどん」とか、午後1時からの「やるまん」は愛聴していた。
 「本気でどんどん」には仲良しの編集者、当事は小学館の小学6年生の編集長だった立山誠浩氏が出演していたし、切れ味鋭い善意の論客、田中康夫氏もレギュラーだった。ボクが田中康夫氏の骨太さを知ったのもこの番組のおかげである。この「本気でどんどん」は独自の切り口でニュースを掘り下げる、当事としては画期的な企画だった。飽くまでも個人的な見解であるが、現在放送中のTBSラジオ「アクセス」のコンセプトは「本気でどんどん」にインスパイアーされたものと考える。
 現在は夜間透析を受けているが、人工透析を導入して間もない当事は昼間の透析だった。その頃、ボクは経済的自立や生活的自由が思うままではなかったのだ。本当はサラリーマンと同じ時間帯で仕事をして、夜に透析を受けたかったのだが、送迎の車の関係で昼間の透析を余儀なくされていた。そんなベッドでの楽しみはやはりラジオ。特に文化放送は好きな放送局のひとつだった。

◆ 深夜放送と文化放送
 幼い時代、友だちはラジオだった。けれどテレビがお茶の間を占領し、父親は時間さえあればテレビの前でごろ寝をしていた。自分の部屋を確保できた中学から高校時代にかけて、ボクは再びラジオの世界で遊ぶようになる。そう。ボクらが中学や高校生になった頃、深夜放送のウェイヴが始動していたのだ。
 高校時代、ボクは文化放送の深夜番組に夢中になっていた。当事はまだ無名だったが、それから一世風靡の、とあるパーソナリティーのファンになっていたのだ。リスナー参加の公開録音があるというので文化放送に駆けつけた。四谷はよく知っている土地なのだ。ボクは庭先を訪問するつもりでスタジオに入り、パーソナリティー氏の隣に座って、陽気な駄洒落合戦を展開した。考えてみれば、あの頃からオッチョコチョイだったのである。それはまだTBSラジオのパック・イン・ミュージックが影も形もない頃であった。

◆ 衝撃の「やるまん」
 こんな馬鹿げてふざけた番組があるのだろうか。それが第一印象だった。メインパーソナリティの吉田照美氏をボクはよく知らなかった。けれどもある時期、吉田照美氏はTBSラジオの土曜ワイドを担当していたことがあり、その声には若干の親しみを覚えていた。だから「本気でどんどん」の流れで「やるまん」を耳にする羽目となったのだろう。
 とにかく斜めに構えていて、まともな見解など語らない。この吉田照美という人物は本当にこんなことを考えて生きているのだろうか。ボクは疑惑を感じつつも、次第にその個性の引力に捕らわれていく。けれど、「吉田照美のやる気まんまん」というタイトルとは裏腹に、ボクにとっての真実のパーソナリティは相手役の小俣雅子さんだったのである。

◆ 小俣さんの魅力
 とにかく明るい。裏がない。上品も下品もなく、すべてをあからさまに語る。たとえ興味本位であっても、決して嫌味ではなく、どこからどこまでも善意のキャラなのである。これが吉田照美さんの解毒剤として番組を救っていた。

◆ 「やるまん」からの出演依頼
 この番組もやはりリスナー参加型であった。その日その日のテーマでリスナーからの電話を募集し、紹介していく。
「長くやめていたことを再び始めた人」
 そういう呼びかけだった。当事、ボクは失明して初めて絵をかいたばかりの頃で、毎日毎日スケッチブックに絵をかいて遊んでいた。楽しんでいた。人工透析のない日だったので家にいたボクは早速そのテーマに飛びつき、番組に電話をした。けれどもボクのエピソードは採用されなかった。なんだ。やっぱり盲人のかく絵なんて世間は興味がないんだな。「やるまん」のスタッフは見る目がないなあ。ボクはちょっとガッカリした。
 しばらくしてボクの絵が新聞に取り上げられた。数日後、いきなり電話が鳴る。
「文化放送の『やるまん』というラジオ番組なんですけど、出演していただけませんか?」
 なんと「やるまん」からの出演依頼だったのである。

◆ 照美の小部屋
 このコーナーは有名人やタレントなど、芸能人が呼ばれる時間帯であった。なのに、エム ナマエはそこに呼ばれたのである。あまり広くないスタジオに吉田照美さんと小俣雅子さんがいる。その夢のコンビにボクが加わったのだ。何をしゃべったかは覚えていないが、とにかく夢中でしゃべった。そして絵をかいた。吉田照美さんの似顔絵、というか想像図である。助平な話ばかりしているから、ボクはその顔をペニスに見立てて描いた。それを見た小俣さんが喜ぶ。もちろん彼女は美人にかいた。

◆ そのまんまの小俣雅子さん
 それから何故か小俣さんとは大の仲良しになった。人気パーソナリティなのに、特別に電話番号を教えてくださり、ときどきは情報交換をして楽しんだこともある。そして彼女は本当に裏表がなくて、いつもそのまんまの小俣雅子さんなのである。おまけに、エム ナマエ生まれて初めてのコンサートの司会も彼女は引き受けてくださったのだ。
 やがてボクは盲導犬アリーナと暮らすことになる。そしてアリーナもまた「やるまん」のスタジオに呼ばれた。文化放送のスタジオは暖かい雰囲気でアリーナを歓迎してくれた。アリーナは人と人をつなぐ天使だ。ボクは文化放送で憧れのチャコちゃん、あのナチチャコパックの白石冬美さんと対面できた。これもアリーナのおかげである。
 トータルで何度「照美の小部屋」に出演させていただいたことだろう。昨日が五木ひろしで、明日が郷ひろみ。間にはさまれてエム ナマエ。こんなこともありました。まあ、どんなケースであれ、いつも照美さんも小俣さんも渾身の善意で向かえてくださった。

◆ ゲストに馬鹿野郎
 あるとき、スタジオで小俣さんの顔を触ることになってしまった。あんまり照美さんが
「小俣は顔がでかい」
を連発するので、ボクが触って確かめさせてもらうことになったのである。ところがそんなに大きくはなかった。
「意外と小さいじゃあないですか」
「そおお。でもね、あたしオッパイ、大きいのよ」
「触っていいですか?」
 ボクは冗談のつもりでいったら、
「どうぞ」
だって。それで手をのばしたら、なんたる見事な乳房よ。もちろん本物。詰め物なんかしていない。
「うわあ、ホント。お見事です」
 それを見ていた照美さん、
「な、何をするんだ。スタジオでパーソナリティのオッパイをもむなんて」
 そこでボクは思わず横にいたコボちゃんの胸をまさぐった。
「馬鹿野郎、てめえの奥さんと比べて、どうすんだ!」
 叫ぶ照美さんにボクも反論する。
「ああっ。ゲストを馬鹿野郎といった」
 てなわけで、放送は滅茶苦茶。あとで録音を聴いたが、誰が何を叫んでいるのかよく聞きとれない。出演している人間だけが放送を楽しんでいいものだろうか。

◆ そのヤルマンが終わってしまう
 「やるまん」が終わる。そういう情報が飛び込んできた。ある時期から電波状況が変わり、文化放送が雑音だらけになってしまって、ボクは「やるまん」から離れるようになっていた。けれど、いつも気になる「やるまん」。街でカーラジオから流れてくる音に「やるまん」を聞くとき、ボクは小さな罪悪感にさいなまれる。けれども最近のボクの午後は執筆にあてている。「やるまん」の面白音波に心身をさらしていたら、文章を書くどころではなくなってしまうのだ。
 そうやって「やるまん」から離れていたら、放送終了の悲しい知らせ。おそらくは春の番組改新でそうなるのだろうが、今はまだ3月。もしも筆が止まったら、文化放送にチューニングしてみよう。いつもと変わらぬ吉田照美、小俣雅子の言葉のキャッチボールが心に飛び込んでくるに違いないのだ。   12/03/2007

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