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■ 「やるまん」最終回にエム ナマエが電話出演

◆ 「やるまん」最後の日
 2007年3月30日、金曜日午後1時。「やるまん」最後の放送が始まった。ボクは独り、デスクに向かって絵本『よわむしアルル』の線画を描いている。
 ボールペンによる描線。最近手指の骨が痛い。ものすごい力でペン先に圧力をかけ、そのボールポイントの凹みを目印に画面を構成していくせいであるが、長年にわたる人工透析の合併症の影響でもある。ボクの透析の歴史は「やるまん」の20年と重なる。「やるまん」の20年は、本来は召されているはずのボクの生命が、救われた時間の長さでもあるのだ。

◆ 生まれて初めてのラジオ出演
 「やるまん」は人工透析の退屈からボクを浮かび上がらせてくれた救世主でもあったが、全盲のイラストレータとして走り出したボクを「出演依頼」という形で祝福してくれた仏様でもあった。生まれて初めてのラジオ出演が「やるまん」であったことは、以前にもこのホームページに書いたし、パーソナリティの小俣雅子さんへの感謝の気持ちも何度も記事として書かせていただいた。あれから20年に届く月日が流れて、数え切れないほどのラジオやテレビ出演をしてきたが、「やるまん」の吉田照美さん、小俣雅子さんへの親しみと、スタッフの方々の努力と見識には今も頭のさがる思いである。
◆ 長寿番組の終わる日
 ボクが人工透析に通うようになった頃、朝は必ずTBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」を聞きながら病院まで歩き、午後の透析終了直前には文化放送の「吉田照美のやる気まんまん」を聴いていた。「ゆうゆうワイド」を聞いて「やるまん」を聴くと書いたのは、「ゆうゆうワイド」はイヤフォンを耳にして、母親の誘導で道路を歩きながらの「ながら聞き」であったからだ。
 その「やるまん」が終わり、「ゆうゆうワイド」は今朝も続いている。ボクは大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」にも出演させていただいて、今も耳にしている好きな番組であるが、どちらが終わっても、どちらが続いていてもそこに特別な理由など見つけられない。パーソナリティの魅力という点では、双方甲乙はつけられないのだ。

◆ 最後の1週間
 「やるまん」最後の1週間は小俣さんのおかしな声で始まった。風をひいて、毎朝点滴をして放送に臨んでいたそうであるが、ボクにはどうにも泣いているように聞こえて仕方がない。20年最後の1週間。ボクは小俣さんの気持ちが心肺でならなかった。
 さすがは最後の週である。ゲストも豪華絢爛だ。ラジオを代表するパーソナリティが連日登場して「やるまん」を語っていた。大沢悠里さんも出演したし、木曜日は立川談志師匠も出られた。そして最終日の最初のゲストはフクヤママサハル。ボクも大好きな歌声だが、申し訳ない。漢字を知らないので許してください。フクヤママサハルも「やるまん」のヘビーリスナーであったのだ。番組が進むうちに電話出演のゲストも現れる。大橋巨泉。いやあ、大物中の大物ではありませんか。
 仕事をしながら耳を澄ましていると、照美さんがこんな文章を読み出した。あれれ、この文章、ボクは知ってるぞ。
「小俣さん、何度も呼んでいただいてありがとうございました。出演中のスタジオで、本番中にもかかわらず触らせてもらった貴女の見事なナマ乳房の感触をボクは永久にに忘れません。お疲れ様。そして、ありがとう。照美さん、小俣さん、万歳」
 あっ。それ、ボクのメイルだ。
 番組の冒頭で、「やるまん」に関わった人たちへの呼びかけがあったのだ。それでボクもメイルした。けれど、まさかそのメイルを番組が取り上げてくれるとは予想もしていなかったのだ。ボクは驚いた。そして喜んだ。「やるまん」最後の放送で、ボクの文章を読んでもらえたのだから。
「そうか、こんなこともあったっけ。でも、どうしてエム ナマエさんは小俣のオッパイなんか触ったんだろう」
「じゃあ、それは本人から聞いてみましょうよ」
「そんじゃ、電話するか。ピ・ポ・パ…」
 いきなり背中の電話が鳴り出した。慌てて受話器をあげる。同時に背中で大きく鳴っていたボーズのウェイヴのスウィッチをオフにした。ハウリングを防ぐためである。ボクはラジオや電話に背中を向けて、「おえかきデスク」で作品制作をするのである。
「もしもし!」
「はい、エム ナマエです」
 と、あとの会話は以前このホームページに書いた内容と重なるので書かない。ただ、小俣さんはボクのホームページの宣伝までしてくださった。トチリの小俣、自己顕示欲の小俣、恥知らずの小俣と吉田照美から言いたい放題の標的にされていたが、本当の小俣さんは別人である。真面目。細やかな心配りの人物。これがボクの知っている小俣雅子さんなのである。
 ボクが電話でしゃべっている間、小俣さんの心遣いがボクの心に伝わってきて、思わず胸が熱くなってきた。同時に感慨が湧き上がってくる。受話器を置いたとき、ボクの心臓はドキドキと鼓動していた。緊張なんかしないボクでも、「やるまん」の最終回に出していただいた興奮は特別なものであったのだ。
 事前の打ち合わせなんかない。とにかく「いきなり」であった。番組冒頭にメイルはしたものの、ボクがいなかったらどうだったのだろう。けれど「やるまん」の照美さんも小俣さんも、そんなことは考えない。スタッフも気にしない。そうして「ぶっつけ本番」の一貫した20年間だったのだ。

◆ 最後の12分間
 最後の12分間で番組は20年間を振り返った。過去の録音が流れる。
「男根の世代の…」
「なんだよ、小俣。団塊の世代だろ。男根なら男なら、みんなあるぞ。見せてやろうか」
「ミスター・チルロレンの…」
「ミスター・チルドレンだろ。元アナウンサーのくせに、そんなこともいえないのか」
 小俣さんの失言に照美さんが突っ込みを入れる。こんな20年間だったのだ。けれども最後の小俣さんは興奮することもなく、乱れることもなく、泣くこともなく、冷静に過去を振り返り、そして感謝の言葉でその長い歴史を締めくくった。見事なエンディングにボクは改めて彼女への尊敬を感じ、吉田照美という人物のパーソナリティとしての実力を思い知ったのである。いつかまた、このゴールデンコンビが戻ってきて、「やるまん」が復活することを本心から祈り願うのであった。
02/04/2007

<右写真>
スタジオでの放送風景。スタジオ外での公開放送風景。
おふたりのあっと驚くような秘蔵写真、etc.
20年間の思い出がぎっしり詰まった、とても楽しい写真集です。
特筆すべきは、小俣さんの水着姿の美しさ。 (非売品)

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