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◆ 寒波の夜に輝く『暗闇ライブ』
 本格的寒波到来。寒い夜でした。控え室のエアコンを暖房の最大にしても、ボクは愛用のフロックコートを脱ぐことができません。けれども、歌姫おおたか静流はパッパと着替えます。やあ、元気なんです、燃えてます。それに勇気もありますね。だって、全盲とは知ってはいても、男の前で着替えをするのですから。
「安心して。この人、本物の盲人ですから」
 横から太鼓判を押すのは家内のコボちゃん。
 しばらくしてウッドベースの水野俊介さんが階段をあがってきました。先ほど音合わせは終わって、あとは本番を待つばかり。
 それにしても寒いのです。早く満員の店内に非難したい。今頃はおいしくて暖かい料理を口に運んでいることでしょう。ああ、うらやましい。
「立っている方が楽ですよ。暖かい空気はあがっていきますから」
 水野さんが親切に声をかけてくれます。けれども、もしも立ち上がったら膝が震えそうで、ボクはその気になれません。寒いばかりではなく、すごく緊張しているのです。
「これ、どうですか。焼酎のお湯割りです」
「うわあ、ありがたい。中から暖めれば効果抜群」
 水野さんが運んできてくださった湯呑みを夢中で受け取ります。ポッと掌に熱が伝わりました。そして燃える喉越し。うほほい、ガソリンの補給だ。
 ちょいといい気分になった頃、出番の声がかかります。ボクはフロックコートを脱いで背筋を伸ばしました。スロースターターのエンジンがブルルンと振動しています。いや、武者震いかもしれないし、まだガソリンが足りないのかもしれません。

◆ 歌姫がエム ナマエと歌う暗闇クリスマス
Xmasプレゼンツ 【シンギング・インザ・ダーク】
暗闇はあったかい、暗闇は色とりどり、暗闇はだっこ、暗闇は夢...
こよい神秘の闇に導かれて、懐かしい場所に帰ってみませんか?
あなたと一緒に至福の時を漕ぎ渡る、ナビゲーターは、
おおたか静流とエム ナマエ!

 これは静流さんのインビテーション・コピーです。歌はもちろんですが、言葉のセンスでも超一流の彼女。物書きのひとりとして思わず羨望して脱帽です。
 ふたりのボイスパフォーマンスを支えるのが、ベーシストの水野俊介氏。オールマイティーなミュージシャンでも真っ暗闇での演奏は初めてのことでしょう。また、完璧なる暗闇を出現させてくださったのはオーガニックレストラン「風楽」の川端えい子さんとそのスタッフたち。けれども、この完全なる暗闇を実現させたのは、暗黒をシェアしての音楽体験を望んだ静流さんの不思議な情熱でした。
 感覚の欠損。もしかしたら静流さんはその一点に興味があるのかもしれません。いや、興味でなくて、優しいこだわり。視覚にせよ、聴覚にせよ、嗅覚にせよ、五感のひとつでも失えば、住んでいる世界は大きく変わります。ボクは光ある世界から闇の領域へ引っ越してきた人間でした。
 ある日、そんなエム ナマエの個展を静流さんは訪れてくださいました。見えない人間が色彩を扱う。静流さんはその事実に興味を抱いたのかもしれません。いや、もしかしたら驚かれたのかもしれません。その後に彼女がホームページに掲載した記事を読むと、そのサプライズが伝わってきます。
 しばらくして静流さんは小さな電球ひとつの『薄暗闇ライブ』をプロデュースしました。エム ナマエと暗闇を共有したい。静流さんの言葉をそのまま信じていいのかどうか迷いながらもライブに出かけていったのです。そして彼女の音楽空間を初めて体験しました。これが歌姫おおたか静流に没頭する引き金となったのです。
 すべての人との感覚の共有。失ったものへの切望。未知の感覚への誘い。新しい命の誕生。音楽への純粋追跡者、歌姫おおたか静流の胸には、ボクら凡人には思いもつかない秘めたる願いや情熱が燃え盛っているのかもしれません。

◆ 盲目のエム ナマエが歌姫おおたか静流に導かれて旅する暗闇世界
 静流さんは『暗闇ライブ』の体験をこう表現されています。

▼ はじめて出会う3人が、手を繋ぎ、お互いを聴きあって、信頼し、時に裏切り、寄り添い、離れ、重なり、途切れ、時間の川の中を一緒に泳ぎました。
 混沌と暗闇の中で、チャンスをうかがいながら、お茶目に増殖していった美しい時の悪戯に、やがて胸が熱くなりました。▲
 マイクテストをして、立ち位置を確認しただけで、なあんにも打ち合わせはしてありません。暗闇に輝く一本の小さなロウソク。それをかざして歌う歌姫。合図があって、その小さな明かりが吹き消されると、そこには真実の闇が現れることになっていました。
 光があるうちは、ボクはただ見られている立場。真実の闇の中でこそボクはみんなと対等になれるのです。
 歌姫とベーシストの競演が終わりました。いよいよボクの出番。
「さあ、明かりを消して」
「ごめん、エムさん。とっくに明かりは消えてるの」
「鼻息で消しちゃった?」
「いいえ、エアコンからの風」
 なあんだ。見られているなんて緊張していて損をした。

◆ 気がついたら2時間半
 それからのことは夢中でよく覚えてはいません。ただ声を出すことが心地よかった。自分の力も忘れて、歌姫の音の流れに色水をさす。音の水面に小石を投げる。乱れる色彩、広がる波紋。
 そうあれば、と願いつつボクは歌とベースに悪戯を仕掛けます。これまでしてきた発生練習。それまで覚えたメロディーと歌詞。習慣的喫煙から離脱して半年。けれども、ああしたい、こうしたい、とずっと企んできたことが何も浮かんではこず、子供の頃の愛唱歌が突然口をついで出たりして。いつの間にか、知らない自分、懐かしい自分が歌っているのです。やがて雨がやむように静寂が訪れました。
「今、何時?」
 ボクは思わず音声腕時計のボタンを押していました。乾いた女性の声が時を告げます。ああ、せっかくの闇と静寂を破壊してしまった。
「ええっ、もうそんな時間」
 しゅっ、とマッチの音。ボクの脳裏に光に浮かび上がる歌姫が映りました。はっと息をのむ感動。再び小さなロウソクに明かりがともり、暗闇が姿を消していきました。
 最後の局です。おおたか静流の名曲「声が聞こえる」。よく知っているメロディーに、とうとうボクはたまらず声を重ねてしまいました。
 やがて暗闇ライブは光とともに幕を閉じていきます。拍手の中で、ボクはアーティストおおたか静流とベーシスト水野俊介氏に心よりのリスペクトを送りました。

林さんと千葉さんに尊敬と感謝をこめて   エム ナマエ 05/12/23


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