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■ 大予言 ピカリング博士が四半世紀ぶりに生き返る 12/30/2005

◆ 失明前の絵本が復活する
 2006年の世界文化社、おはなしワンダー9月号に「ピカリング博士」が復活することになった。25年ぶり。1981年に仕上げた絵本が四分の一世紀ぶりに復活するのである。
 今でもそうであるが、ボクはそれなりのオーディオファンであった。ピカリング博士の名前は有名なピックアップ・メーカーから拝借したものであるが、名前から連想されるように、頭がピカピカのはげ頭。それでもすごい発明家。なんでも発明してしまう。ある日、ピカリング博士は前代未聞に強力な発毛剤を作ってしまう。
 ちょっと試しにかけてみれば、ただのコートが毛皮のコートに大変身。
 そこで博士は実験のため、薬をスプレー缶にセットして街に出ることにした。
 ダックスフンドにスプレーすれば、あっという間に毛がはえて、ロンゲふさふさのマルチーズ。
 動物園のアフリカゾウにスプレーすれば、ふさふさっと毛がはえて、あっと驚くマンモスになる。
 こうなると、実験なんだか悪戯なんだか博士自身もわからなくなってしまう。
 さあ、最後の実験、大実験。ピカリング博士は自分のピカピカ頭にスプレーをした。

◆ いつも夢中でいたかった
 ボクは決して絵のうまいイラストレーターではなかった。けれど、いつもイラストレーションの役割を考えながら仕事をしていた。つまり、絵によって対象物の本質を浮かび上がらせることを念頭においていたのだ。もちろんテーマも忘れない。絵によって何が見せられるか、何を解説できるか、どんな連想をしてもらえるか、それに挑戦することがボクの興味でもあったのだ。
 そんな仕事をしていたもんだから、ボクの絵は理屈っぽかった。忙しい割には評価が低く、あまり人気がなかったような気がして、それが悔しかった。
 失明してからの絵の方がいい、なんて褒められても素直には喜べない。「思い」だけで描いている絵が、計算して制作していた絵よりいいといわれては、イラストレーターとしてのプライドが許さない。
 けれど、失明してからしばらくして、こんなことをいう人がいた。
「エムさんの絵はコンピュータ画面で見ると、かなりいいですよ。今という時代にピッタリかもしれません」
 とはいえ、評価が遅い。たとえば1981年に発表した絵本『にぎやかなよる』が毎日新聞で評価されたのは、その数年後だったし、そのとき既に絵本は絶版の憂き目を見ていた。
 もしかしたらボクは早く生まれてしまったのかもしれない。この言い訳は自分を慰める言葉としてはよくできている。
 けれど、この考えはまったくの間違いでもなさそうだ。失明前の絵で企画をしてみたい。そんな話がちらほらあるのだ。
 そして、いきなりのピカリング博士復活。ボクの予測は不思議にも的中した。大好きな絵本が再び子どもたちの目にふれるのだ。
 1981年当時は絵本作家エム ナマエにとって、最も充実していた時代だった。世界文化社から月刊絵本『ピカリング博士』制作を依頼されて、ボクは考えた。この絵本で何か新しいことを試みよう。
 その五年後に失明する運命にあるとは知らず、ボクは新しい画風を夢中で模索した。パステルと鉛筆による表現。それは描くという具体的な行為に別のベクトルからの未知なる快感を与えてくれた。手ごたえがあったのだ。
 パステルを使った技法は失明後の作品制作に役立つことになる。一生懸命の経験は、いつか人生の宝物となる。ボクは『ピカリング博士』復活にあたり、それを再確認させてもらった。

◆ リクエストさえあれば、市販の可能性
 『ピカリング博士』は市販されない。それは月刊絵本だからである。残念だが仕方がない。けれども、親戚や知人に幼稚園児がいて、その子が幸いにも、もしくは偶然にも世界文化社のおはなしワンダーを定期購読していれば話は別だ。その子に頼んで絵本を見せてもらえばよいのである。


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