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■ でたらめホテルは地震じゃなくても崩れます  2006/02/07

◆ さあ、さっさと潰れてもらいましょうか
 そんな法律、破ってみても、どうせ大した罪にゃあならぬ。ちょいと罰金払えばおしまい。制限速度60キロのハイウェイを、67キロ、68キロと加速したって、とがめる奴なんか、いやしない。
 そういって、へらへら笑いで豪語していた社長さんが、ある日突然手のひら返しで泣き出した。もうしません。悪いと思って、反省してます。うえーん、うえんうえん。
 でも、もう遅いなあ。貴方のホテルは潰れます。きっと、おそらくペシャンコです。世の中、法律や警察ばかりがコワイんでない。市民は許しませんよ。大衆は厳しいですよ。消費者には選ぶ権利がありますよ。障害者は不正を見逃しませんよ。嘘の涙でごまかされるほど、世間は甘くはないんだな。

◆ まだまだバリアフリーは理解の外
 とある有名デパートの、障害者優先駐車場では、何故か黒塗りの高級外車が目につく。つい最近も、地方の名門ホテルの障害者優先駐車場に、偉い方々の車が並んでいた。どうやら、その地方ではそういうことらしい。ここで明らかな事実は、障害者優先、もしくは専用駐車場は大変便利な場所に設けてあるということだ。
 もちろんボクだって、真面目で誠実なホテルに宿泊したこともある。通された部屋は障害者専用ルーム。よくできている。大きな出入り口。大きなバスルーム。段差のない部屋。手摺や取っ手。けれども、ボクは視覚障害者。いくらお金をかけてくださっても、いくら配慮をしていただいても、ボクには迷惑なだけで、ちっとも有難くはないのである。
 この基準、誰が考えるのか。バリアフリーをハードウェアのカテゴリーでしか考えられない間は、本当のバリアフリー社会は実現しない。点字ブロック、段差の撤去、トイレの手摺、広いトイレ。誰かには便利で、誰かには便利でない。あればよい人、よくない人。当事者の立場に立たない人間が、いくら頭脳を駆使しても、おかしな部屋ができるだけ。真実のユニバーサルデザインにははるかに届かない。
 誰にでも親切でなく、誰にも使えないバリアフリーの部屋。これを潰して改造する。あまり賢くない経営者だったら、そんな発想がたちまちわきあがる。
 ボクは考える。法律や基準、規制は設ければよいというものではない。安心することなく、固定することなく、柔らかい座布団にあぐらをかくことなく、常に現状を把握し、工夫を重ねていかねば仕方ない。

◆ 法律はあっても、抑止力にはなってません
 頭が白くなるくらい、紙に真っ黒、文字の列。あれも法律、これも法律。建蔽率も、耐震基準も、みんな法律で規定されてる。では、世の中正しいことばかりかというと、それがそうでもないんだな。それがそもそも問題なんだな。
 『日本沈没』という映画があった。ボクがいうのは最初の映画化。画面は東京を巨大地震が襲うシーン。
「ぐらぐら、ぐらり。がらがら、がらら。ぐにゃり、べきべき、がちゃがちゃ、どっしーん!」
 まるでおもちゃのように、実は本当におもちゃなんだけど…、マンションが崩れていく。あちらこちらで火の手があがる。背筋も寒くなる場面が展開していくのである。
 するとクレーム。現在の耐震基準や建築技術をもってすれば、地震で倒壊するマンションなんてありえない。すると映画屋さんも反論する。マンションのひとつも崩壊しなきゃあ、金の取れるパニック映画にゃあ、なりませぬ。
 これを聞いたボクは、たちまち安心した。そうか。どんな地震がきたって、マンションは倒れないんだ。
 でも、嘘だったなあ。あのときの神戸で、倒れたマンションやビルディングがどれだけあったか。ヒューザーという会社が販売したマンションが、どれだけインチキだったか。
 世の中をよくしようとする法律はいくらでもある。みんな守れば、悪いことはなくなるはず。でも、なくならない。それは悪いことをする奴がいるから。法律を破る奴等がいるから。
 そこで考える。じゃあ、罰則を強化しよう。悪いことをやったら、みんな死刑にしちゃおうよ。そしたら、誰も悪いことはやらないだろ。

◆ 死刑には抑止力がないんです
 殺人事件をなくすには死刑こそが抑止力となる。もしかしたら、そう考える人がいるかもしれない。でも、死刑があっても、人を殺す人間はなくならない。殺意という瞬間湯沸かし器的激情には、それを止める方法がないのだ。
 けれども、時間をかけて静かに進行する犯罪には罰則強化が抑止力となるかもしれない。つまり、損得勘定。どんなに黒い金を集めてみても、いくら儲けて笑ってみても、それを上回る罰金と、悔やまざるをえない罰則や懲役があれば、蜜のような悪事は成立しなくなる。少なくとも、俺は頭がいいと思っているやからが、悪事に手を染めることは激減するはず。で、それでも悪いことをする奴は、何があっても、悪いことをする奴。それを解決するのは、教育の役目。
 できれば、死刑はなくした方がいい。冤罪がひとつでもあるならば、死刑ほど危ないものはない。取り返しのできない命。掛け替えのない名誉。それらが無残に奪われる。
 日本には、どうして終身刑がないんだろ。生涯をかけて罪を振り返る。それは死ぬより辛いこと。人を知れば知るほど、命を生きれば生きるほど、謝罪の心は育つもの。そして、謝罪のチャンスを与えられない暮らしこそ、地獄そのもの。殺された魂も、残された被害者の家族も、その地獄の底知れぬ暗闇を想像すれば、いつか罪を許す気持ちにもなれるのではないかと思う。そして、もしも間違って、それが冤罪であれば、一人の人間が救われるのだ。

◆ 殺人よりも悪質な犯罪がある
 無論、ボクは殺人を容認しない。殺人は極刑に該当する凶悪犯罪だ。けれども、殺人よりも悪質な犯罪がある。一瞬先の人命剥奪や、未来もしくは将来の大量殺戮に発展する可能性のある行為だ。たとえば環境破壊。たとえば酔っ払い運転。たとえば手抜き工事。
 本気で犯罪をなくしたい、抑止したいとするならば、もっと真剣に立法してほしい。政治家が政治を正そうと立法しても、そうならないのは、泥棒が泥棒のために立法するからだ。法律のどこかに網目を作るのは、影の利権があるからだ。そうじゃない。欲のためでなく、誰かのため、みんなのために世の中の仕組みを考える。そんな立法府であってくれ。
 罰則が厳しければ、なくせるかもしれない犯罪。そういう小さくてケチで、同時に凶悪で凶暴な犯罪が世の中にはいくらでも存在する。殺人のように目に見えて凶悪でなくても、悲惨でなくても、遠くない未来、人類を破滅に導く犯罪がどこかで進行している。
 つまらなく儲けて、人類を破滅させる。そんな犯罪を見逃さないような、網目のない法律を育てたい。知恵ある政治家や堅実な行政を運営する賢い地球市民でありたいと望む。



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