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■ NHKラジオ 土曜ジャーナル『犬の消えた日』に思う


◆ 昭和20年のある出来事
 昭和20年2月。太平洋戦争末期のある日、一通の葉書が少女に届いた。
「猫を供出せよ」
 寒冷地での戦闘に派遣される兵士の防寒のため、毛皮を必要とする。そのため、各家庭で飼育している犬や猫を供出せよ、という命令を国家が下したのだ。しかし、敗戦の色濃い当時、本当にそんな必要があったのだろうか。甚だ疑問である。

◆ 少女とクロ
 少女はクロという黒猫を愛していた。クロと一緒でないと寝られないくらいに。少女は毎晩、クロと枕を共有して眠る。彼女にとってクロは弟か妹のような存在だったのだ。
 その日、朝から雪が降っていて、クロはストーブの傍で丸くなって眠っていた。
「クロ、外に遊びにいきなよ。さあ、目を覚まして。お前さえいなければ、言い訳ができるんだから。ここにいさえしなければ、いませんでした、といえるんだから」
 けれど猫は暖かいストーブの傍らで眠り続けている。目覚める気配も、外に出る様子もない。
 やがて母親がクロを袋に入れて、少女に背負わせた。兄弟でジャンケンをして、負けた彼女がクロを連れていく役目を果たさなければならぬのだ。
 目覚めたクロが袋の中で鳴き声をあげる。少女の苦悩と悲しみが伝わるのだろうか。不安そうな響きである。
 集合場所は小高い丘の上。そこでは地獄絵が展開されていた。一面の雪を真っ赤に染めて累々たる犬猫の死体が横たわっていたのだ。ひとりの棍棒を持った男が仁王立ちになっていて、その顔面から少女に向かって怒号が発せられた。
「さあ、早く出せ!」
「ねえ、おじさん。この猫だけは見逃して。お願いだから逃がしてやって」
「駄目だ、駄目だ。お前は非国民になりたいのか。村八分にされたいのか」
「じゃあ、せめて、せめて、お願いを聞いて。あたしが走って丘を下るから、その姿が見えなくなるまでは、この子に何もしないでおいて」
「よし、そうしてやろう」
 彼女が袋を渡して振り返った途端、棍棒が振り下ろされた。断末魔の絶叫。少女はそのクロの声を、今も忘れることができないでいる。

◆ クロの死が人生を変えた
 少女は成人して、捨てられた犬猫の保護に生涯を捧げる決心をする。彼女の見守る中、逆境を救われた犬猫たちは安らかに次の世界へ旅立っていった。その数は少なくない。けれど老女はその命ひとつひとつの名前を忘れることなく、読経に織り込んでいく。それは少女時代の悲しい出来事への生涯を捧げたレクイエムなのである。

◆ 戦争が奪ったもの
 戦争で奪われるのは人間の命ばかりではない。少女時代、エスという犬を供出した老女は語る。犬と人間でも命の重さは同じである。いや、蟻と人間でも、命の尊さは変わらない。戦争は嫌だ。命を命と思わない戦争を二度と許してはならない。
◆ ものいわぬ動物たちからの反戦メッセージ
 「かわいそうなゾウ」という童話がある。空襲で動物園の猛獣の逃亡を恐れた軍部が、動物たちの殺害を命じた。けれども、賢いゾウだけは毒薬の混入された餌を口にしない。殺すには餓死させるしかない。飼育係は悲しい決断を強いられた。やがて痩せ衰えたゾウたちは飼育係の見ている前で、餌を求めて仕込まれた芸をしながら次々と倒れていく。童話はこの実話をもとに書かれたのだった。
 人間の都合で命を奪われた無数の動物たち。広島や長崎の原爆。東京空襲。巨大爆撃機による絨毯爆撃。非人道の無差別殺戮。その犠牲になったのは市民ばかりではない。
 クロという黒犬を愛した少女もいた。当時を思い出して、60年後の彼女が語る。空襲警報が鳴ると、クロと一緒に防空壕へ避難する。狭い穴の中で、彼女はクロと同じ目線となり、姿勢となり、クロを抱きしめながら空襲警報解除を待ったという。それは少女のひそやかな楽しみでもあったのだ。だが、やがてクロも供出される運命の日がやってきた。
「あのときの、あたしを振り向いたクロの目を、生涯忘れることはないでしょう」
 回顧する老女は、それが昨日の出来事であるかのごとく鮮明に語る。けれど、その声は涙に震えていた。
 育ててくれた飼い主から引き裂かれ、戦場に送られた馬や犬たちも無数にいた。彼らも軍馬や軍用犬として兵士たちと運命を共にしたのだ。隊長が玉砕と号令すれば、馬や犬たちも玉と散っていく。けれど、人にせよ、馬にせよ、犬にせよ、玉砕を望む魂などあるはずもない。

◆ 戦争責任
 小さな火種が徐々に大きくなり、戦争という発火点へと導かれる。その火種はどこで生まれるのだろう。国家、指導者、国民。小さな流れはやがて濁流となる。小さなつむじ風はやがては竜巻へと成長する。されど、小さな火種を見逃した責任は小さくない。見逃したすべての心に責任が所在するのだ。そして、その責任は軍事裁判や戦争裁判で明らかにされるようなものとは違う。
 憲法改正、核武装。周辺国からの脅威に乗じ、それらについて積極的に論じようという動向がある。
 一方、愛国心を国や郷土を愛する態度と言い換え、教育基本法の改造が論じられた直後、高校の履修不足が大きく問題とされ始めた。これまで放任されていた現実にいきなりメスが入ったのである。
 何かがおかしい。誰かが火種を仕込んでいる。どこかで火打石の音がする。
◆ 再放送のタイミング
 2006年11月4日の土曜日の夜、この番組、土曜ジャーナル『犬の消えた日』はNHKラジオ1によって放送された。太平洋戦争について、これまでかなり詳細に勉強してきたつもりである。だが、毛皮のために供出された犬猫の存在をボクは知らなかった。犬や猫を家族として暮らしているボクや家内にとって、この番組は最近になかったほどの強烈な印象を与えた。
 残念ながら、ボクは冒頭部分を聞き逃してしまった。ナレーションによると、証言者は60年前の出来事を回顧している。ということは、このプログラムが制作されたのは昨年ということになる。そう。昨年は敗戦60周年の節目だったのだ。おそらく、ボクの聴いたのは再放送であったのだろう。
 番組のメッセージは強烈なものであった。と同時に、今このタイミングでの再放送に、ボクはNHKスタッフの良識を感じてしまうのである。もちろん、その思いには何の根拠もないのだが。

◆ 何を引き換えにしたって命が奪われてはならない
 様々な議論が展開されている。各方面の利害が複雑に交錯している。それぞれの勢力の意図が見え隠れしている。けれど、されど、戦争になれば議論も利害も意図も微塵と散る。命が消えれば宇宙もなくなる。私たちひとりひとりに与えられた使命は、この美しい世界を守ること、私たちに伝えられたこの文化を未来へバトンタッチすること。ここで、この掛け替えのない宝物を無に帰してはならない。
 プライド、面子、主義、体制、国家、法律、財産、沽券。何を引き換えにしたって、命が奪われてはならない。戦争だけは許されてはならない。消せるうちに、火種の小さなうちに、私たちは長い平和の中で目覚めなくてはならぬのだ。その長い平和を永遠のものとするために。
 あっていい戦争など、ひとつもないが、なくていい平和も、ひとつもない。
 愛猫キロンの体温を感じながら      06/11/2006

 



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