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原稿用紙プライベート盲導犬アリーナ日記
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■ 謝らない日本 エム ナマエ

◆ 欧米人は謝らないか
 欧米人は謝らないが定説になっているが、本当だろうか。ボクの経験だと、ヨーロッパの都会では袖が触れ合っただけで謝罪の言葉が飛んでくる。それも、ほとんど反射的といってよい。むしろ正面衝突しても、平気で黙っているのが日本人だ。同じ日本人同士だから許して当然と考えているのかもしれない。
 ニューヨークで家内と盲導犬アリーナと滞在していたとき、ボクに衝突してきた人間がただひとりだけ存在した。それも謝らない。珍しいなあ、と思っていたら、家内が耳元で囁いた。
「あれ、日本人よ。それも若い女性」
 ボクは直ちに納得した。それじゃあ仕方がない。

◆ 百貨店でも、お客様は神様ではなくなった
 某有名デパートでの出来事である。謝るべきを謝らない店員がいたので抗議した。当人は説明に懸命となっている。けれども、ボクは弁明より謝罪を求めた。責任転嫁されて不愉快を被った利用者としては当然の要求だったと思う。言葉の応酬があり、やがて相手は泣き出した。もしかしたら、絶対に謝るなと指導されていたのかもしれないので、同情しないわけでもないが、それにしても謝罪の言葉はもらいたかった。

◆ 医者よりも威張っている検査技師
 某有名病院での出来事である。予約して磁気共鳴の検査に出かけた所、えらく待たされた。必要な手続きを経て、関係者の出入りする扉の真ん前で待機していたが、1時間しても声がかからない。たまらず家内が問い合わせたら、年配の検査技師にこういわれた。
「受け付けの若い女の子が、まだ慣れてないもんでね。さあ、これ。着せてやって」
 着せてやって、とは家内に向けての言葉である。この盲目の、手のかかりそうな患者に着替えをさせろ、といっているのだ。待たせたことへの謝罪はない。この無礼でぞんざいな表現に、ボクの全身は熱くなった。だが、ここは感情を殺す。造影剤の点滴というリスクが待っている以上、短気は損気と判断したのだ。
 予測していた通り、年配の検査技師による扱いは、お世辞にも丁寧とはいえないものだった。息をしている荷物となりながら、ボクはある場面を克明に思い出していた。それは老いた患者さんによる担当医師への抗議と訴えである。瞬間、ボクは合点し、納得した。そうか。彼もここで、ボクと同じ扱いを受けたのだ。
 控え室に戻ると、泣いている女性スタッフを宥めている家内の声が聞こえた。またしても謝るより涙を流すの局面である。なのに年配の検査技師は責任を上層部へ転嫁しようと、無駄に言葉を連ねている。
「では、教授にシステムの問題を報告いたします」
 何も知らない気の毒なる教授に責任をなすりつけ、自分はどうあっても現場の責任を認めないのだ。

◆ お役所の複雑なシステムは責任を不明確にする賢いやり方
 謝らない人たちが横行しているおかげで、日本国の借金が天文学的規模で膨張しつつある。けれど、誰も明確な説明をしないし、責任を明らかにもしない。ただ、確かなことがひとつだけある。主権在民の日本国において、選挙によらない人たちの匙加減で、主権者による血税の最終目的地が左右されていることだ。

◆ 使い捨てのチルドレン
 だが、選ばれた頂点にあっても、どでかい嘘の片棒をかついだりチャランポランな答弁をして、謝りもしなければ責任も取らない方もおられた。
 既にそのお方は歴史の功労者でもあったかの鼻息で現役に終止符を打ち、次なる人間にポストを譲った。おまけに、最近は自分の子分たちに
「政治家は使い捨てを覚悟せよ」
なんて宣言をしているらしい。いい気なもんである。

社会新法掲載分に加筆

 



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