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■ やっと日常が戻ってくる

◆ 炎暑の日本列島
 連日の炎暑である。街をゴジラの火炎放射の吐息が通り抜けていく。とうとう40.9度の最高気温日本新記録も観測された。レールが曲がり、電車も止まった。東の武蔵野でもこうなのだから、西の甲子園のグランドはもっと煮えているに違いない。そんな熱帯地獄で高校球児の夏が今を盛りと燃えている。
 今年は、なんだか延長戦が多いようだ。実力が接近しているせいだろう。以前は西強東弱だった。けれども最近では、北海道は苫小牧の高校が3年連続で決勝戦に臨んでいる。北国のハンディキャップは過去の伝説になった。マシーン導入、情報革新、人材交流、室内練習場、筋力強化、様々な根拠が考えられる。いずれにせよ、故郷の人と信じて応援しても、生まれはどこだか分からない。要するに、どこが日本一になろうと、そこが唯一一度も敗北を味わったことのないチームであることだけは間違いない。高校野球がスリリングなのは、一度でも負ければ、そこにはおられないという、鉄のルールがあるからだ。

◆ 桑田投手に拍手喝采
 そんなことを考えていたら、桑田投手のメジャーリーグ戦力外通告のニュースが流れた。残念ではあるが、仕方がない。そして、惜しくはあるが、拍手を送る。甲子園からメジャーリーグのマウンドまで、桑田投手の存在は野球狂にファンタジーを見せてくれた。タマゴヤキと肩を並べる人気チームを捨ててのメジャーへの挑戦は、勇気の価値を教えてくれた。19回の登板回数が問題なのではなく、桑田投手がメジャーリーグのマウンドに立ったという出来事が偉大なのだ。桑田投手の夢は叶った。そしてボクらは感動をもらった。
 それにしても、桑田のいなくなったチームは猛暑の夏に、カクシダマにやられる、というようなマヌケなゲームを続けている。おそらく、目立ちたがり屋の監督に魅力がないのだろう。彼のために働こうという意欲が生まれてこないのだろう。そもそも、あのチームが、あんなになってしまったのは、いつの頃からだろう。ボクが命と応援していたあのチームは、燃える夕日が沈み去る彼岸の彼方へと消えてしまった。だから炎暑の高校野球に熱い視線を送るのだ。今は見えないボクの、この視線を送るのだ。

◆ それにしても暑苦しい
 それにしても、なんでこんなに暑いのだ。そう考えていたら、親切なラジオが語る。
「それはね、チベット高気圧がいるからさ」
 ただでさえ太平洋高気圧がいるおかげで暑苦しいのに、その上空1万メートルからチベット高気圧の重しがのしかかり、その重たい空気が日本列島から低気圧を排除してる。だから暑いのだと、親切なラジオから説明された。
 ああ、そうか。重たい空気は熱いのか。じゃあ、軽い空気は冷たいのか。いやあ、それも違うなあ。だって、温められた空気が軽くなって低気圧に化けて、そいつのデカいのが台風だって聞いたことあるよ。でも、上空にあがった水蒸気は冷されて、そんで氷になるんだよね。というと、やっぱり低気圧は冷たいってわけ。なんか、よく分かんないなあ。ねえ、モリタ君、お天気オジサン、もっと理解できるように話をしてくれや。

◆ またまた敗戦記念日がやってきた
 アベちゃんが不戦の誓いをたてている。白木の柱にたてている。その柱は310万の魂のシンボルなのだ。敗戦から62年。今年も武道館で全国戦没者追悼式が開かれた。戦後レジウムからの脱却、憲法改悪を唱えるアベちゃんが、参院選で敗北した途端、不戦の誓いなどと口を動かす。それを同じ自民党の衆議院議長がいさめる。憲法第9条こそが国民の選んだ戦後レジウムなのだと。
 あれから62年経過するのに、未だ東京大空襲による犠牲者のための慰霊碑さえ建立されてはいない。戦争を許すのか、否か。未来を動かすのはボクらひとりひとりの決断だ。もしも戦いを回避できないのであれば、責任はボクらの肉体と命であがなうことになる。その責任と罪の重さに個人は耐えることができるのか。
 白木の柱に、天皇陛下がお言葉を述べられる。ボクはひたすら頭をたれる。大切なのは、本当の悲しみが、どこの空に浮かんでいるかだ。

◆ 頭が悪くて目も見えない
 と、ヤットコサットコ、ここまで古いコンピューターで書いてきた。新しいシステムと手順に慣れてしまったボクの指は、記憶の地層を発掘しながら作業を進める。思うように生まれない言葉。流れない文章。遅い反応。そのどれもが失ってしまった感覚なのだ。そのどれもが書きたい意欲の壁となるのだ。
 けれどもボクは忘れてならない。このシステムがあったおかげで、これまで仕事ができてきたことを。500枚のエッセイ『夢宙船コペル号』も、長編ノンフィクション『失明地平線』も、このシステムから生まれたのだ。
 そもそもボクは頭が悪い。そのボクの目が見えなくなって、ここまで生きてこられたのは、ここまで仕事をしてこられたのは、コンピューターの存在と、家内のサポートがあったからだ。たとえ旧式のコンピューターの反応が遅いからとて、仕事のできない理由にしてはならない。

◆ 日常が戻ってくる
 そんなことを考えていたら電話が鳴った。S急便からである。
「コンピューターが届いています。これからお持ちしてもよいですか。4万9千円でお引換えです」
 万歳。コンピューターの修理が終わったのだ。それにしても、ちょ、ちょいと待っておくんなせえ。今は夜ですぜ。明日にしていただくわけにゃあ、いかんのですかい。
 というわけで、翌日コンピューターは戻ってきた。でも、メーカーさんも不親切。コンピューターの存在が、現代社会に暮らすボクらにとって、どれだけ大切かは、メーカーさんなら、誰よりも知っているはず。そりゃあ予定よりは早く仕上がったとはいえ、やっぱり事前の連絡は欲しかったよね。だからコンピューター関連事業は特殊だと感じるのだ。そこでは世間の常識や慣習が通用しない。
 さて、機械があっても中身がない。ここにあるのは魂のない仏像。その魂をいれるのがエンジニア。ところがだ、盲人用の特殊なシステムのため、エンジニアも不足している。インストールがいつになるか分からないといわれた。さあ、困った。あの日常が戻ってくると感激したのはヌカヨロコビ。ガッカリと肩を落としていたら、R社のTさんから電話があった。親切にも、明日きてくれるという。ご多忙なのは百も承知だ。猛暑なのは千も承知だ。それなのに朝の9時からきてくれる。これぞ天の助け。今のボクにとってはどんなニュースよりも嬉しい知らせなのである。
 予定だと、明日の午後には10日前に失った日常が戻ってくる。インターネットも帰ってくる。そうして、時間をかけながら、失った記憶やアドレスを取り戻す毎日が開かれるのだ。    16/08/2007




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