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■ 2008年も個人の力でまた一歩

◆ 個人が国家を変える
 国家があって個人があるのではない。個人があって国家が存在するのだ。これがボクの主張である。
 参議院選挙で与党敗北。2007年、投票行動により、個人が国家を変革した。確実に何かが新しくなろうとしている。以前ならば見逃された国家のインチキや行政の失策が明らかにされ、修正が加えられようとしている。それはネジレの効果。そう、国会はネジレてよいのだ。
 日本の株価が下落しているのはネジレの影響。そんなニュースが流れている。だまされてはいけない。ネジレは国家を停滞させてはいない。むしろ、国家に好都合な立法を阻止して、国民の利益を守る役割を果たしている。ネジレがあったからこそ、薬害肝炎訴訟も軟着陸を成功させた。ネジレがあったからこそ年金問題もウヤムヤにされず、首の皮で解決につながっている。ネジレがあるからこそ首相も内閣も低姿勢を続行している。日本の株価が上昇しないのは、日本が国民からの税金を正しく使わないシステムを堅持していることに原因がある。

◆ 郵政民営化はサービスを向上させたか
 その昔、妻のコボちゃんが近所の郵便局の本局にいったときのことである。大量の郵便小包を持ち込んだら、自分で判子を押せ、と窓口の無表情な狐顔の係員がいう。それは貴方の仕事だ、と妻が抗議すると、こちらは忙しい、と係員が応ずる。妻が振り返ると、窓口には妻しかいない。要するに、その男は仕事がしたくないのだ。見かねた別の局員がやってきて、妻の判子押しを手伝ってくれたらしい。それ以来、ボクらの合言葉は
「郵便局はどげんかせんとあかん」
だった。
 さて、郵政民営化が実行され、サービスは向上しただろうか。NO。昨年暮れ、妻は同じ本局に、またまた同じような大量の郵便小包を持ち込んだ。そして無表情な窓口係員に再び判子押しを命じられたのだ。振り返ると誰もいない。要するに、人目がなければ局員は仕事をしない方針になっているらしい。民営化されたはずなのに、親方日の丸根性はまんまだった。
 誤解を恐れず、あえて書く。ほんの一部であれ、クサレ官僚もクサレ公務員も排除するしかない。それを実現するのは民営化という誤魔化しではなく、国民の利益優先の立法なのである。
 さて、郵政民営化選挙で小泉自民党は圧勝した。もちろん、今となってはその嘘は通用しない。けれども、勢いそのままの政府与党だったら、今頃政治はどこへ向かっていたことだろう。何も問題解決の糸口が見出せないまま、物価だけが上昇する地獄が展開されていたかもしれない。ネジレ国会だけがボクらに希望の光を見せてくれているのだ。

◆ 2007年の正月は
 昨年1月11日、エム ナマエは長野県松本大学を訪れ、川田龍平教室に参加した。龍平君とふたり、学生たちと時間を共有したのだ。その翌日は川田龍平氏の誕生日、そしてチーム龍平の立ち上げ集会。渦巻く熱気の中、ボクらは川田龍平氏を国会に送るべく決意したのだ。
 2008年新春、電話で龍平君の声を聞く。ますます力強く、ますます確信に満ち、そして清冽な印象を与えてくれた。国会における彼の存在が薬害問題の解決に大きく貢献していることは周知の事実である。そして、国政における彼の存在が更なる改革を実現することは明らかだ。

◆ ジョン・レノンの夢想
 メリークリスマス・アンド・ハッピーニューイヤー。貴方が本気で望むなら、戦争は今すぐに終わるだろう。イマジン。ボクを夢想家と呼んでもいい。けれど、ボクはひとりだけではないよ。いつの日か、君もそうなることを、ボクらは希望しているんだ。
 ジョンとヨーコの夢は終わっちゃいない。いつか個人の力が証明され、個人の価値が承認され、個人が国家に優先される時代がくる。それまで、この地球が青いままでいられるよう、ボクらは個人の勤めを果たしたい。そして2008年、ボクらに投票のチャンスが与えられる。    2008/01/06




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