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■ 笑う鞍馬天狗

◆ 幼い日のヒーロー
 昔のヒーローといえば、月光仮面、スーパーマン。いやいや、それはテレビが茶の間の主人公になってからのこと。ボクらの幼き日々はラジオと雑誌と映画がそれぞれの舞台で時代に即した英雄を提供してくれていた。
 代表が鞍馬天狗。若い世代でピンとくる人は多くはないはずだ。ボクは幼稚園にもいかない年齢から父親に連れられ、映画館に出入りしていたから、この戦後の英雄に憧れるチャンスを早くから与えられていたわけだ。父親がどうしてそんな幼い子供を連れ歩いたかというと、彼は対人恐怖症だったので、どこへいくにも、幼児でもイヌでもいいから、お供を必要としていたからだ。いや、話を戻そう。
 鞍馬天狗に熱い情熱を感じる世代といえば、ボクと同世代か、より年配者であることは間違いない。さっそうと馬にまたがり現れて、ちゃんちゃんばらばら剣戟をやり、いざとなれば懐からピストルを引っ張り出し、ズドンと一発お見舞いする、勇者なのか卑怯者なのか、よく分からないヒーローで、いつも軽業師の子供の危機を新撰組から救う正義の使者なのである。そして、ボクはこの下町の映画館で暴れまくっていた覆面のおじさんに強く憧れていた。

◆ 遊びといえばチャンバラ
 当時、買ってもらいたい玩具といえば、刀。それも鞍馬天狗の刀。ところが、会津生まれの叔母にねだると、
「これは新撰組の刀ですからね」
と念押しをして買ってくれた。幕末事情なんか知るわけもないボクは、これは敵方の刀だと、わざわざ断って買ってくれる叔母の気持ちが理解できなかった。
 事情はともかくとして、鞍馬天狗の刀を入手したボクは焼け跡の野原にいき、雑草の悪役集団を相手に正義の剣を振るうのだ。斜めに真横に鞍馬天狗の刀で払い、雑草を真っ二つに切断する。
「やられたあ!」
 絶叫こそしないものの、雑草たちは次々に倒れていく。興奮したボクは家に戻っても鞍馬天狗でいることをやめられない。庭先に植えてある庭木を相手に剣戟を再開する。八手の木は掌を広げた悪役に見えるから、相手に不足はない。ばっさばっさと腕を切り落とし、丸裸にしてやった。
「どうだ、参ったか」
 すると突然、惨状を目撃した父親が激怒して、ボクから刀を取り上げた。グニャリ。大人の力で簡単に折り曲げられた鉄の刀は庭先に放り出された。参ったのは八手ではなく、鞍馬天狗の方であった。

◆ 思い出せない登場人物
 ところで、あの軽業をやる子供の名前はなんといっただろう。いや、そもそも子供には職業があった。よく知っていたはずなのに、まるで思い出せない。銀幕の姿は浮かんでくるのだが、言葉が浮かんでこないのだ。自慢の記憶力も、とうとう賞味期限を過ぎてしまったか。
 美空ひばりが演じていたと記憶してるが、松島トモ子だったような気もする。すると女の子だったろうか。よく思い出せない。林家木久蔵の戦後チャンバラ映画を題材にした新作落語で、鞍馬天狗のセリフはどのように語られていただろう。どうしたことか思い出せない。実に気持ちが悪い。喉に飴玉がつっかえた気分だ。
 こうなると、ボクはなんとしてでも思い出そうとする。音のひとつひとつを検証して、言葉を探り出すのである。いつもだったら、この方法で必ず思い出せるのだ。ところがだ、今夜はうまくいってくれない。「か」とか「く」とか「じし」とかの音が浮かんできた。けれども、どうしたって単語として音が結ばれない。口惜しいけれども降参だ。そこでネット検索をかけてみた。ところが、ボクは自分のホームページ閲覧システムをまだマスターしておらず、ネット検索の経験はほとんどないといっていい。盲人用ということであるかもしれないが、旧式のシステムであることも影響していた。モタモタ調べていたら、最近NHKテレビで鞍馬天狗がドラマになっていたことだけ、なんとか知ることができたのである。
 そうか。この話題は現在でも通用するのだ。そこでボクはこのサイトの管理人、実は大変なキャリアレディーでエム ナマエの在宅秘書の絵夢助人に救いを求めたのである。
 数分とかからず、情報が伝えられた。主演は嵐寛寿郎。おお、そうだ。あの顔の長いおじさんだ。あのモテモテのダンディーなおじさんだ。そして子供の名前は杉作。女の子ではなかった。
「杉作、おじさんはね」
 いきなり、林家木久蔵の声帯模写が聞こえてくる。そして、杉作の職業は角兵衛獅子。少年が獅子舞の形で曲芸をする、あれだ。
 情報はまだまだある。鞍馬天狗という架空の人物が誕生したのは1924年のことらしい。原作者は大佛次郎。40年以上にわたって47作を書いたとか。1973年の死去後も、その人気は衰えず、今年もNHKでテレビドラマになっているとあれば、鞍馬天狗も当サイトの話題として取り上げる価値はあったわけだ。

◆ 再び昔話です
 小学五年生の春、いきなり引っ越すことになった。高田馬場は神田川を見下ろす変電所の木造の社宅から、内幸町の帝国ホテルに隣接する変電所のコンクリートの社宅へ移動するのである。前の晩、引越しの最後の準備となった。
「捨てろ、捨てろ、どんどん捨てろ。捨てることはいいことだ!」
 背後から父親の怒声。ボクは自分の本棚を見上げて呆然としていた。どれも捨てたくない、大切な蔵書ばかりだ。けれども、東京電力勤務で、社宅から社宅へ移り住まねばならぬ定めの父親は身軽を好み、捨てることに至上の美学を感じていた。
 懐かしい漫画たちに泣く泣く別れを告げて、ボクはおもむろに本棚を移動した。住人を失った本棚は楽々と動いてくれた。そして、本棚の背中に隠されていた白壁が現れる。愕然。白壁を埋め尽くして、無数の鞍馬天狗がボクを見て笑っていたのである。

◆ 三角四角のにこにこチョン
 思い出した。三歳から絵をかくことに夢中になっていたボクは、当時のヒーローである鞍馬天狗の落書きに、無類の悦楽を感じていたのである。
 やり方は簡単だ。鞍馬天狗の覆面の頭部は烏賊の頭に似て、三角になっているから、その三角屋根を鉛筆でかくかくかくと棟上げしてやる。次は三角屋根の下に四角い壁を建設する。壁に四角い窓を開けてやり、にこにこ笑う目をふたつ。つまり、三角四角のにこにこチョンだ。これで笑う鞍馬天狗の一丁上がり。三角四角のにこにこチョンで、憧れの鞍馬天狗が現れるのだから、もうたまらない、止まらない。チラシの裏に鉛筆で、三角四角のにこにこチョン。藁半紙にも鉛筆で、三角四角のにこにこチョン。大切な画用紙にはクレヨンで、三角四角のにこにこチョン。曇りガラスにはクレパスで、三角四角のにこにこチョン。そして、ふと見上げたら目の前には漆喰の白い壁。おお、なんと創作意欲をそそる状況であることか。ボクは芸術的衝動にかられ、熱病に冒されたピカソのように、三角四角のにこにこチョンと絵筆を振るったのである。真正面からにこにこチョン。斜めからもにこにこチョン。背中を向けてにこにこチョン。西日の当たる三畳間の白壁に、ボクはいつまでもいつまでも、三角四角のにこにこチョンを続けたのである。
 やがて無数の笑う鞍馬天狗に気づいた祖母は真っ青。短気の父親に見つかったら、大変なことになる。軍隊式の体罰が当たり前だったから、慌てて本棚を移動させ、それら笑う鞍馬天狗の集団を父親の目から隠してくれたのだ。

◆ 徹夜で消しゴム
 無数の鞍馬天狗に対面した父親の肉体は、震度5で震えていた。大きな目玉は丸く見開かれている。たちまち落雷、拳骨の雨。そして徹夜の消しゴム作業。夜が明けても終わらない。ベソをかくボクの横で弟も手を動かす。祖母もはらはら見守っている。鉛筆はまだしも、クレヨンの鞍馬天狗は、消しゴムでは容易に消えてはくれない。それでも、家中の消しゴムを費やして鞍馬天狗を除去した一家は、なんとかかんとか引越しの儀式を終了したのである。この夜、ボクは心に強く誓った。二度と落書きなんかやるまいと。

◆ ウェストサイドストーリー
 中学一年生になっていた。日比谷の映画街のロードショウ。70ミリの大画面で踊るニューヨークのダウンタウンの不良たち。ビルの谷間、バスケットボールのコート、指を鳴らす軽快なリズム、そして許されぬ恋。銃弾に倒れたヒーローを抱き上げるヒロイン。ああ、ナタリー・ウッドの美しかったこと。そしてラスト。ウェストサイドの古びた壁に並んだ無数の落書き。そしてそれら文字の中にキャスティング。ジョージ・チャキリス、ラス・タンブリン、リタ・モレノ、リチャード・ベイマーの忘れられぬチョークの文字。落書きといえば、ボクはこの名作ミュージカル「ウェストサイドストーリー」の美しくもお洒落なエンドロールを思い出すのである。

◆ 道路はキャンバス
 「アメリカン・グラフィティー」という映画があった。このグラフィティーが落書きの意味であることを、ボクはずっと知らないでいた。けれども、ヨーロッパの路上でカラーチョークを駆使して、見事な落書きアートを展開しているアーティストたちを目撃したことがある。美しく彩色された画面にはコインが投げられている。落書きは彼らの生業なのであった。
 ボクの小さい頃、チョークは贅沢な画材だった。高価であるし、長持ちしない。アスファルトのキャンバスに絵をかけば、すぐにちびて使えなくなる。だから、当時のボクたちといえば、ローセキを愛用していた。安価であるし、いくら使っても減りが少ない。
 白くてすべすべしたローセキで、変電所の門から線路を引いてやる。どんどん、どんどん引いてやる。トンネルはもちろん、鉄橋もあれば、踏み切りもある。昭和30年の道路では、自動車が小さくなって走っていた。だから、ボクらは安心して鉄道敷設ができたのだ。山下君の坂ノ下を通過して、和美ちゃんの庭先まで、線路は開通した。そして、この線路の上を、みんなで長くつながり電車になって、
「信号よし、出発進行!」
と指差し確認、号令をかけながら、
「ガタガタン、ゴトゴトン」
と声をそろえて往復するのだ。先頭はもちろん運転手。最後尾の車掌のボクの胸のカバンでは、ブリキのハサミと玩具の切符が出番を待っていた。

◆ 電子の落書き
 しかし、考えてみれば、このホームページの内容だって、電子の落書きのようなものである。意味があるのかないのか、夢中になって書いてはいるが、これだって三角四角のにこにこチョンとあまり変わりはしない。でも、自分のエリアで落書きをしている間は、許されていいだろう。
 ボクはまだ他人様のサイトに、いわゆるカキコをしたことがないし、また、これからもするつもりがない。どうやらカキコはハンドルネームによるものが圧倒的らしいが、そもそも匿名の表現活動にさほどの意味があるのだろうか。音声にバイアスをかけ、画像にモザイク処理をしてする証言に報道の価値があるのだろうか。いや、話を戻す。つまり、カキコには消極的なボクではあるが、ホームページへのメールには必ず返信をさせていただく。発言の責任は個人の資格で背負いたいのだ。
 さて、落書きには不思議な側面がある。はるばる外国にまで遠征して、恥ずかしい行為を残しておきながら、自分の名前や所属団体名を明らかにしたがる傾向のあることだ。遠い外国だから許されると思うのか、それとも固有名詞を明らかにしないと、落書きをする意味がないと思うのか、そのあたりはよく分からない。けれども、正直に書くことにより、職を失う人が出てきた。これを文字通りの馬鹿正直という。落書きひとつで人生の方向が曲がってしまう。ネット世界で個人の恥ずかしい痕跡が展開される。この傾向をどう評価すればよいのだろう。厳しいのか、それとも当然なのか。
 ボクは考える。落書き衝動はあってもいい。されど、落書きがアートだったら、もっといい。
 涙にくれながら、眠れぬままに鞍馬天狗を除去した経験のあるおかげで、ボクはこれからも落書きをすることはないだろう。そして、無慈悲に体罰を加えた父親への怨念を忘れることもないだろう。だからといって、煙となって空に消えていった父親を懐かしく思わないほどの非人間でもない。 2008/07/04



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