エムナマエのロゴ
原稿用紙プライベート盲導犬アリーナ日記
ギャラリー新着情報サイトマップホーム英語
 
  

■ ボクは飛べるんだ

◆ 複数の足音
 小学五年生の夏休みの出来事である。
「あいつがやってくる!」
 ボクは戦慄した。ここは鉄筋アパートの四階。その階段を複数の足音があがってくるのだ。足音が複数なのは、人数のせいではない。いや、足音の主は人ではなかった。
「ぞろり」
 はいずる音は階段をあがり切り、廊下を曲がると、玄関のあちら側で停止した。
「かちゃり」
 ドアノブが静かに回る。もちろん鍵はかけてある。
「がちゃり、がちゃがちゃ」
 扉を隔てて、いらいらとした気分が伝わってくる。
「ずしん」
 いきなり鉄の扉がきしんだ。巨大な重量がのしかかったのである。
「みりり」
 金属がゆっくりと変形していく。
「ぴしり!」
 吹き飛んだネジが壁に激突すると、めくれあがった鉄の板から、ギラギラと輝く複眼が部屋の中をのぞいた。
「がしゃあん!」
 鉄の扉が玄関の壁に叩きつけられると、モンスターが正体を現した。いくつもの間接と鋭い鉤爪のある無数の足。ムカデの化け物は低く頭を垂れると、ボクに向かって床をスローモーションで滑り始めた。

◆ 最後の秘密兵器
 ダイニングキッチンを走って六畳間に飛び込む。後ろ手で襖を閉める。もちろん意味などない。ボクを支配しているのは純粋なる恐怖心だけだった。
「ぞろり、かさかさ」
 唐紙を硬い何かが探っている。
「ぷつり」
 小さな音がして、襖から爪の先端が現れた。それは唐紙を押し広げ、見る見る大きくなっていく。
「ぷつり、ぷつぷつ」
 襖が穴だらけになっていく。そして、その数だけの金属光沢のある鉤爪が、自分に向かって迫ってくる。ボクはカーテンを引きちぎるように開くと、アルミサッシの鍵を回した。後は見ない。逃げられる場所は、もうベランダしか残っていないのだ。
「からからから!」
 アルミサッシをスライドさせると、ベランダに飛び出した。素足にコンクリートがざらつく。反射的に振り返ると、襖が紙くずに替わっていくのが見えた。
「助けて」
 けれども、家族は旅行中で誰もいない。夏休みも残り少なく、ボクはひとり家に残って宿題をやっていたのだ。
「助けて!」
 でも、声にならない。ボクは手すりをしっかりとつかむと、それを跨いだ。ベランダの鉄柵は都会の排気ガスで真っ黒だけど、パジャマなんか汚れたってかまうもんか。
 目の前に夜景が広がっている。新橋駅の明かりが遠い。終電の時刻はとっくに過ぎて、ただ貨物列車の赤い尾灯だけが小さくなっていく。
「そうだ。このときのために、ボクは夏休みを毎日、プールで練習してきたんじゃないか」
 練習は充分だ。自分を励ましてやると、ボクはプールでしたように、手すりを後ろ手で握り直し、勢いよく両足で鉄柵を蹴った。身体が空中へ飛び出す。都会の照明が自分の真下を水平に移動していく。
 最初はバタ足。ベランダから充分の距離になった所で、平泳ぎになって、鉄筋アパートを振り返ってやる。ムカデの化け物は夏休みにプールをサボっていたから、飛ぶことができないでいる。ただ怒りに身を震わせ、無数の足をバタフライで動かして、ボクを睨みつけていた。

◆ 飛ぶ夢
 いつの頃から空を飛ぶ夢を見るようになったのだろう。とにかく、最初はうまく飛べなかった。とある少年雑誌に「ロケットボーイ」とかなんとかいう読み物の連載があった。鋼鉄製のロケットスーツを着用した子供が空中を自在に飛び回り、悪漢をこらしめる、といった内容の物語だったが、この作品はあまりリアリティーがなくて、夢の中のボクを飛行少年に成長させてはくれなかった。
 ボクを飛行可能にしてくれたのは鉄腕アトムだ。手塚先生の手の平で、ボクの夢は無限に広がった。
 あるとき夢を見た。小学校低学年のボクが、玄関からやってきたガイコツ怪人に追いかけられ、庭先まで走り出て、空へ逃げようとしたという、よくあるパターンの夢である。けれども、うまく飛べないのだ。アトムの真似をして、両足の先端からロケット噴射をして空中高く飛び上がろうとするのだが、どうにも推力が足りないらしい。5センチ飛び上がっては落下。10センチ浮かび上がっては落下。もたもたしていたら、ガイコツ怪人に食われそうになってしまった。けれども、そこでボクは思い出した。そう、ボクは夢の中でも冷静なのである。
「アトムのロケット噴射は両足だけではなかった。両手の先端からもロケット噴射をしているではないか」
 そこでボクは両手をガイコツ怪人に向けると、ゲンコツからロケットをぶっ放した。化け物はのけぞる。それを見たボクは、両手両足のロケットを地面に向けて全開で噴射。空高く脱出したのである。我が家の庭が、見る見る小さくなっていく。もうこれで、どんな化け物が現れても大丈夫。この夢をきっかけに、ボクは夢の中で自由に飛べるようになったのだ。

◆ いろいろな飛び方
 漫画にせよ、映画にせよ、空を飛びたいという子供の願望を、いろいろな作品がそれぞれの方法で満たしてくれた。
 映画館の大きなスクリーンで、耳をはばたいて飛ぶ子ゾウのダンボ。ところが、どう考えても、ボクの耳で空を飛べないことは明らかである。けれども、ピーターパンの飛行にはリアリティーがあった。ティンカーベルの鱗粉の魔力で空を飛ぶ子供たちの姿もボクの飛行願望を大いに刺激した。空気の流れでそよぐウェンディーのスカート。次第に上達していく子供たちの飛行。診ているだけで、自分も飛べるような気がしたものだった。
 お茶の間にテレビが現れた瞬間から、スーパーマンは絶対のヒーローとしてボクに君臨した。スーパーマンになれたら、どんなにいいだろう。悪者をやっつけられたら、どんなにスッキリするだろう。けれども、テレビのスーパーマンの飛行には、どこか無理があって、あの時代のヒーローは、子供時代の空想力や妥協力に甘えている傾向があった。ただし、1978年に公開されたスーパーマンのリメイクバージョンでは、特撮の技術革新によって、これら問題は解決され、グロウンナップしたボクは実に自然でリアリティーのある浮遊感を体験させてもらったものである。あのスクリーンで最初のスーパーマン体験をした世代にとっては、ビルの窓から水泳選手よろしく眼科にダイビングしていくテレビ画面の超人は、間違いなく笑いのネタにされることだろう。

◆ 泳げるようになったなら
 小学校高学年になってから、やっと泳げるようになった。最初はバタ足である。
 五年生のとき転校、それから夏休みの熱中プール通いが始まった。帝国ホテルとジャパンタイムスにはさまれた鉄筋コンクリートの社宅から、新橋駅まで歩いていく。階段を降りると、地下鉄の匂い。銀座線の運転席は小さな小部屋で、その隣は開放されていて、ガラス窓を開けられるようになっていた。電車が走り出すと、地下世界の風が汗をかいた肌を刺激する。目の前に銀色に輝く鉄の道がくねくねと形を変えながら踊っている。赤坂見附駅からは坂道だ。ボクは水泳パンツの入ったナップザックを背負い直すと、両手のロケットを噴射した。こうすれば坂道もらくちん。と思っただけである。
 永田町小学校の庭は小さい。その藤棚のある一画が無理やりに25メートルのプールにされていた。けれども、そんなことはどうでもいいのだ。ボクはプールサイドに立つと、視線を走らせた。どきり。あの美しい少女がいる。夏の妖精がいる。その瞳をボクは生涯忘れることはないだろう。そんな予感を胸に抱きながら、ボクは水に入り、熱くなった頭を冷やすのであった。バタ足の練習はそれからでいい。
 水泳をマスターしてから、夢のボクはますます飛べるようになっていく。現実のボクはクロールだったが、夢のボクは平泳ぎで空を飛んだ。高校生になってシュノーケルダイビングを覚えると、夢の飛行はさらに進化する。水中の無重力感や水面下の映像が空想力を広げてくれたに違いない。

◆ おもちゃの世界を飛び回る
 円谷英二が生んだ最大のヒーローがウルトラマンであることには、誰にも異論がないはずだ。では、ウルトラマンが空を飛ぶのは何故だろう。理由は明白。円谷英二は空を飛びたい人であったのだ。
 「ハワイ・マレー沖海戦」で円谷英二の本領は発揮された。太平洋戦争真っ只中の出来事である。ミニチュアの真珠湾を襲撃する雷撃機とゼロ戦。この特撮の手腕が認められ、やがて円谷英二は世界の特撮監督としてその名を轟かすことになる。CG以前の特撮マニアなら周知のことであるが、スピルバーグの映像には、明らかに円谷英二による影響が見て取れる。
 太平洋戦争の末期、連日のB29による爆撃の中で、円谷英二は密かに考えたらしい。いつか、恐ろしい怪物がニューヨークの都会を襲撃する映画を作ってやろうと。怪物は、巨大なクジラに無数の手足がついていて、摩天楼を滅茶苦茶にするのである。終戦から10年、円谷英二の夢はひとつの形を取る。けれども、怪物はクジラにはならず、ゴジラとなった。襲撃する都会もニューヨークではなく、東京である。まだ進駐軍がうろうろしていたご時勢であるから、そうなったのは無理もない。
 1961年夏、有楽町は日劇上空に怪物が現れた。モスラ。巨大な複眼、丸い腹、広げた翼。その美しい蛾は真夏の太陽を浴びて、青空の下で浮かんでいた。
 四階のボクの部屋は日劇に面していたのだ。ボクは今でもそのユニークなアドバルーンの浮かんだ日のことを忘れられないでいる。日劇といえば、ウェスタンカーニバルを思い出す人が圧倒的だろう。けれども、ボクにとっての日劇は東芝のネオンサインの冠をかぶせられた円形の建物だった。夜ともなると、その東洋一の明るさで、ボクの部屋は明滅したものである。
 その夏、円谷英二は米軍機による爆撃の下で暖めた企みをとうとう形にしたのであった。モスラの出現。クジラに無数の手足の形は、巨大な芋虫として完成した。襲撃する摩天楼はアメリカならず、ロシリカという、ロシアとアメリカのハーフみたいな国の首都である。東京タワーで羽化した巨大な蛾は太平洋を渡り、摩天楼を破壊しまくる。その光景は、誰の目にもニューヨークを襲撃する巨大爆撃機に見えたに違いない。そう考えると、そんな映画作りに抗議しないアメリカも、それなりに懐の深い国である。

◆ ゼロ戦とセイバー
 ゼロ戦を知らない人がいるだろうか。いや、いるだろうな。日本がアメリカに負けたことを知らない大学生がいる昨今であるから、充分に考えられる。ならば紫電改はどうだ。やっぱり知らないだろうな。そうなると、F86Fセイバーなんか、最近の若者にとっては、旧石器時代のブランドくらいにしか思えないのかもしれない。
 このジェット戦闘機セイバーはアメリカ産でああるが、長く日本国航空自衛隊の主力戦闘機として活躍した。1964年の10月10日、東京オリンピックの開会式を眼下にして、セイバー戦闘機で構成された航空自衛隊の精鋭部隊、ブルーインパルスは、雲ひとつない東京の青空に、美しい巨大な五輪を描いたのであった。高校一年生のボクは開会式のテレビ中継もそのままに外に飛び出すと、この光景を大口を開けて見上げた。この経験があるから、ボクらにはオリンピックを全面的に否定する気分になれないのだ。とはいえ、石原東京都知事を応援する気は毛頭もない。
 話を元に戻そう。このF86Fセイバー戦闘機は円谷作品で大活躍をする。ゴジラにロケット弾をお見舞いしたのもこのジェット機だし、空の大怪獣ラドンと空中戦を展開したのもセイバー戦闘機だった。敵は怪獣ばかりではない。失われた惑星、ミステロイドからやってきた謎の宇宙人、ミステリアンの富士山麓基地だって制圧しなければならないから、猛烈に多忙なのであった。もちろん、幼虫時代のモスラ相手にも蝶のように舞、蜂のように攻撃した。
 太平洋を北上して、モスラは日本に向かう。目的はただひとつ。ざ・ピーナッツを救うためである。何故かいきなり、モスラは東京近郊のダム湖に出現する。ダムを破壊し、渋谷の街をぶち壊し、千駄ヶ谷方面を東京タワーに向かって直進するのだ。
 この東京を俯瞰するミニチュアが実によく出来ていた。つまり、セイバー戦闘機からの視点なのである。小さな建物を破壊しながら直進する巨大な芋虫。その標的に対してロケット弾を浴びせるパイロット。自分はその光景と一体になる。ミニチュアと分かっていても夢中にさせられてしまう、この浮遊感が円谷マジックの真骨頂なのだ。

◆ ナウシカと風になる
 テレビ画面で無意識で宮崎アニメを体験してきた。しかし、その手腕を意識させられたのは『風の谷のナウシカ』を目撃してからである。残念なことに、そのとき既にボクの視力は絶滅寸前であった。とはいえ、映画鑑賞に不足はない。VTRを入手すると、ボクは繰り返しその映像を観察した。
 オウムという巨大タマムシや、複数のプロペラを回転させて重々しく空をいく超重量航空機など、かなり省エネの撮影技術も多用していたが、圧巻はナウシカの飛行であった。流れる雲、そよぐ風。見えない空気を形に変える技術は省エネからは生まれない。一枚一枚を手作業で動かしていくプリミティブなアニメ作法だけが可能なのだ。自分の描き出す一枚一枚のコマが、ひとつの流れとなって動いていく。これを体験したいがため、アニメーターは力を尽くすのである。
 情報によれば、新しい宮崎アニメが公開されるとか。主題歌が耳について離れなくてコマっている。さて、海からやってきた妖精みたいな生き物が活躍する作品らしいのだが、勝手な空想をさせていただければ、今回の宮崎監督は空気ではなく、液体の流体力学を観客に見せたくて、海を舞台に選んだのに違いないのだ。

◆ 赤い風船が復活した
 高田馬場駅から早稲田通りを大学と反対側に歩いていく。すると、「いせや」という和菓子屋に遭遇する。その昔、「いせや」の隣は本屋であり、その隣はパール座という映画館だった。
 脱線になるが、この「いせや」の餡子は絶品である。国産の小豆を吟味して、すべての工程を手作りで念入りに仕上げていく。この餡子を体験すると、やばいことになる、とは地球と餡子を等価値に語る妻のコボちゃんの言い分だ。
 さて、話を元に戻す。小学生低学年のとき、ボクはこの「いせや」の隣にあった安普請の映画館で不朽の名作「赤い風船」を体験したのであった。
 三歳以前の記憶である。大好きな伯父が遊びにきてくれた。けれども遅い時間だったので、ボクは寝ぼけている。そのボクの枕元に伯父は赤い風船をくくりつけて帰っていった。目覚めると、天井に赤い風船が頭をくっつけて浮かんでいる。枕から逃げ出していったのだ。しばらくすると、風船から水素ガスが抜け出して、風船は浮力を失った。表面には縮緬皺。力なく、畳すれすれに浮かんでいる赤い風船をボクは泣きながら眺めていた。
 映画の中で風船は少年に熱い友情を示す。パリの空の下、赤い風船は愛する少年のために信じられない奇跡を起こすのである。
 この作品は権利関係のトラブルで長く公開されていなかったと聞いた。けれどもラッキーなことに、ボクは子供時代ばかりではなく、大人になってからも、この名作を小さなイベントで鑑賞している。幼児時代の記憶と重なり、パリの空をいく赤い風船の天然色の映像に、ボクはどれだけ影響を受けたことだろう。
 さて、この夏、「赤い風船」が美しくリメイクされ、公開される。空撮による古きパリの街は、21世紀の観客の新しい目を魅了するに違いない。ちなみに、この監督、アルベール・ラモリスはヘリコプター事故で亡くなっている。空を自由に飛びたい。この願望のためなら、人はいくらでも命がけになれるのだ。2008/07/27

  Copyright © emunamae