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◆ 国民とか市民とか呼ばれる前に「個人」でありたい 2004/07/16

 7月11日。いつもは午前中にいく投票だが、この日は午後になって、かなりの時間が経過してから出かけていった。点字投票を申し出ると、サポートの係員がボクの横についた。以前にもお願いしたことのある人らしい。
「こちらの肩でいいんでしたよね?」
「はい、お願いいたします」
 ボクは一般の盲人がするように、サポートする人の肘に触れながらガイドを受ける、という方法をとらない。相手が大きい人でも小さい人でも、その人の左肩にボクの右手をそっと置いて、その後をついていく、という我流でガイドをお願いしている。長い時間のサポートだと、これはガイドする人の負担が大きくなるようだが、迷惑を承知でいつもお願いしている。本日、投票所でボクをガイドしてくれる係員は、このことをご存知なのだ。
 候補者の名前を記入する机の前にリードされていくと、わざわざ椅子が用意されている。これは初めてのことだった。過去の投票で、ボクはずいぶん不平不満をいってきた。その反映だろうか。それとも純粋なる配慮のためだろうか。ボクにはどちらでもよかったが、とにかく椅子があるのはありがたい。
「点字板ですが、大きいのと小さいのと、どちらがいいですか?」
 こんなことを聞かれたのも初めてなような気がする。
「どちらでも構いませんが、やはり大きい方をお願いします」
 するとボクの知る限り最も高級な点字板が出てきた。これはかなり高価な代物だ。おまけに、ほとんど使われたことがないらしく、まだピカピカツルツルしている。
「ええと、この金属の部分は、どこに装着するんでしたっけ」
「あのう、ここだと思いますが」
「ああ、そう。そうですよね」
 ボクはその金属の美しい滑りを確かめながら紙を挿入できるように部品を外してみた。こんな高級な代物はボクもあまり扱ったことがないので、ちょっと慌てたりもした。
 投票用紙を渡される。けれど左右上下がまるで分からない。じゃあ、どの方向でもよいかと、いい加減に挿入すると、違うといわれた。どうやら記入する部分が線で区切られているらしい。盲人にとってその線に何の意味があるだろうか。
「そんな線、意味ないですよ。誰がこんな投票用紙を考えたんでしょうねえ」
 ボクには見えない線が印刷されているため、投票用紙の装着は係員にお願いするしかない。ガチャガチャ。慣れていないらしいその人がかなり苦労して紙をはさんでいる。さあ、できた。いざ記入しようとすると、紙が縦方向に装着されている。
「あのう…、点字は横方向に記入するんですけれど…」
「あ、そうでしたっけ」
 投票用紙が横に直される。
「これ、ほら、点字を打つやつ…」
「それ、点筆というのです」
 点筆を受け取ると、点字を記入する窓を確認した。すると、紙の頭が左側にセットされている。点字というものは盛り上がっている部分が表になるため、裏側から打ち込んでいく。つまり、点字は紙の裏側に書いていくものなのだ。だから墨字と違って右から左へ記入していかなければならない。
「これ、右を頭にしてくださいませんか」
「あ、あ。そ、そうですか」
 ボクも普段はコンピューターばかり使って文字を書いているため、点字を書くことにあまり慣れていない。けれども、投票所関係者の不慣れな対応には驚いた。午前中、ひとりの視覚障害者もきていないのか。でなければ、ボク以外の視覚障害者は自己責任でなんでも自分でやってしまうのか。
「この投票、大丈夫ですか。まさか無効にはならないでしょうねえ?」
「さあ、大丈夫だと思いますけど」
 思います、じゃあ困るんだよね。貴重な投票のチャンスなんだから。ボクは頭の中で不平不満をいいながら慎重に点字を刻み込んだ。それを金具から外すと裏返し、点字が正確かどうか確認する。
「できましたか?。じゃ、投票しましょう」
「投票用紙を間違えないでくださいね。どれが個人で、どれが比例代表だか」
 こうなると、どちらがサポートしているのか分からなくなってくる。
 さて、投票は終了した。
「お疲れ様でした。どうもありがとうございます」
 ボクは嫌味でなくサポートしてくれた係員にお礼をいう。それにしても不勉強だ。障害者に接するときには、ただ闇雲に優しく丁寧に。これが精一杯じゃあスマートでないよね。公の立場で仕事をするんなら、もっと勉強せい。不勉強なやつは全員リストラ。ハローワークにいってらっしゃい。なんて悪口のひとつもいいたくなってしまう。そんな気持ちが通じたのか、前をいく係員がいきなり話しかけてきた。
「すいません、慣れていなくて」
「仕方ないですよ。ボクらはマイノリティーですから」
 この場合、そう応える他にボクにも言葉が思いつかなかった。

 さあ、開票速報が始まった。その直後に当選確実がアナウンスされる。嘘だろう。え、本当なの。だって、まだ開票ゼロ%じゃないの?。なんだって!。出口調査。それで分かっちゃうの。そんなのつまんないよ。選挙って、そんな単純なものだったの?。じゃ、ボクの友人の当確もすぐに発表されるねえ。え、まだ出ないの?。おかしいなあ。まだ?。心配だなあ。あんなに一生懸命やってたのに。そりゃあボクの支持してない政党から出馬はしてるけど、友人のこととなると別になっちゃうよねえ。そいつが人情。でも、民主主義に人情は災いするんじゃないの。けれど、情に訴える候補者はいくらでもいるなあ。仇討ちだとか、弔い合戦だとか。縁故関係もあるだろうし、仕事での上下関係、組合や村社会の義理人情。嘘でも貴方にいれます、とあしらうには、かなりの勇気が必要だし、知らん顔して他の人に投票するなんてクールさは日本人に似合わないし。それに人気で投票したりされたりするのも変といえば、変。人気と民主主義は関係ないと思う。必要なのはバランス感覚。未来のために現状を分析する能力。これをマスターしてないと民主主義は難しいかもしれないなあ。だけど、そう思う自分が友人の当落を気にして、ずっとラジオを聴いている。これも民主主義じゃないかもしれない。それにしても、あいつの当落、まだ出ない。これじゃあ真夜中になっちゃうよ。困ったなあ。もう眠いのに…。
「新しい当確候補者が出ました」
 友人の名前がアナウンスされる。う、うーん。やっぱりジインとくるなあ。ホッとするなあ。友だちを思う気持ちってやつは不思議だよ。さあ、これで眠れる。いや、まだ当選の言葉ってやつを聞いてない。こいつを聞かないと眠れないぞ。
 翌朝、寝ぼけた頭でニュースを聴いた。ずらり並んだ政党の代表者たちがやたらに国民という言葉を発している。数で読まれる国民という概念。数の多い側の意見が採用される。これが民主主義だ。マジョリティーがマイノリティーを駆逐する。これが民主主義だ。米国が金科玉条としている民主主義だ。けれど、本当にそれが最良の道なのだろうか。障害者のボクの立場はマイノリティー。意見や意志が採用される可能性はあまりない。だったらボクは国民でなくてもいい。国民じゃなくて個人でいい。国民という袋をかぶせられた無数の個人。数として数えられない個人。これら個人を生かす道はないのだろうか。数で訴える民主主義に代わる道はないのだろうか。強行採決を阻む数の論理に負けない論理はないのだろうか。でなければ、いつまでたっても組織が政治を牛耳るままとなる。そうだ。袋の底に身を潜めている個人たちよ、立ち上がれ。そして次の選挙では投票所にいこう。数にならない者たちの、数としての力を、主権者としての意志を発揮しよう。現状で民主主義をうまく乗りこなすには、個人という鍵を数という鍵束に集約するしか他に方策がないのかもしれない。やっぱり投票率56%はやばいよ。



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