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原稿用紙プライベート盲導犬アリーナ日記
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■ アリーナが星になってから一年目の夜明け    2005/10/10
 ついさっき日付が新しくなった。10月10日。そうだ。ちょうど1年前の今、アリーナは旅立ったのだ。家内の胸に抱かれつつ、たった独りで異次元の世界へ旅立ったのだ。
 それまでの10月10日といえば、真っ先に思いつくのは家内のコボちゃんとの最初のデートだった。その事実をアリーナとの別れで、すっかり忘れていた。それほどにアリーナの旅立ちは大きな出来事だったのだ。
 昨年の9月27日、ボクはアリーナと最後の散歩をした。遊歩道には枯葉が舞い、ボクとアリーナの足元で乾いた音をたてていた。ふたりの歩みはのろい。ボクは閉塞性動脈硬化症。アリーナは老齢による多臓器不全。10年間、一緒に歩いた盲導犬アリーナとボクの足は同時に衰えていたのだ。アリーナはもうすぐ15歳。3歳から13歳まで、アリーナは盲導犬としての職務を真面目に務めた。ボクの目となり、我が家の家族として生きてくれたのだ。そしてボクと家内は退役盲導犬となったアリーナの暮らしを見守っていた。
 10月になってから、アリーナの体力は目に見えて落ちていった。3階までの階段は既に自力ではあがれなくなっている。それをコボちゃんが抱きかかえて連れてあがる。もちろん外へ出るときもコボちゃんが抱える。アリーナが独立して歩けるのは平地だけとなっていた。だが、食欲を失ってからのアリーナは平地さえ歩けなくなっていく。
「盲導犬を退役したら、分厚いステーキをあげようね」
 悲しいことに、その約束はアリーナが食欲を失ってから実現された。ボクらにとって、健康で元気だったアリーナの食欲が衰退するとは想像もつかない事態だったのだ。ドッグフードによってアリーナの健康は維持されている。ボクらはそう確信していた。10年も現役でいた盲導犬。14歳になっても、可愛いといわれたアリーナ。その理由は人間の食べ物を与えなかったから。ボクらにとって、その考えは一種の宗教となっていたのかもしれない。
 なんとか元気で生きていてほしい。食欲を呼び戻すため、ボクらはアリーナの好物と思えるものを鼻先に持っていった。けれどもアリーナはそっぽを向いてしまう。それが拒食訓練と誤解してなのか、それとも食欲減退のためなのか、本当のことがボクらには分からない。けれども時間の経過と共に現実が正体を現していく。アリーナは本当に食べられなくなっていたのだ。
 生命維持のための点滴を開始した。毎日8時間を点滴に費やすのだ。4時間の人工透析でさえ人間のボクにつらいのに、アリーナにとって8時間の点滴はどれだけ苦痛だったことだろう。けれどもアリーナは静かに耐えていた。獣医から帰宅したアリーナの前足には、点滴のためのチューブが挿入されている。人間が自分にとって悪いことをするはずがない。アリーナの従順さはそう語っていた。
 15歳になろうとしていたアリーナの歯は白く健康だった。それは家内のコボちゃんが日常的に歯磨きをしていたせいだ。犬にとって歯磨きに何の意味があるだろう。ただ痛くつらいだけ。しかしアリーナは静かに横になり、じっと耐えていた。歯垢を削るときでさえ、アリーナは悲鳴ひとつあげなかった。人間が自分に悪いことをするはずがない。人間はいつだって自分を助けてくれる。家内にはそう伝えているアリーナの瞳が見えていた。
 そのアリーナの瞳が家内に訴えた。
「あたしはもういいの。このまま家で、みんなと一緒にいたいの」
 点滴を開始してから一週間、アリーナの食欲も体力も改善されないままでいる。もしもこのまま、アリーナとの別れがあるのなら、最後の時を共に過ごしたい。家内に相談されてボクは決心した。その日、アリーナはボクらと共に過ごしたのだ。
 深夜、アリーナが突然立ち上がり、窓の外を見つめている。息が激しく、呼吸が荒い。ボクはアリーナを抱きしめ、家内を呼んだ。
「アリーナが危ない」
「大丈夫よ。悪い夢でも見たんだわ」
「いや、この息は違う。覚悟した方がいい」
 家内は毛布を準備し、アリーナを抱きしめて横になった。すると荒かったアリーナの呼吸が落ち着いていった。
「ほうら、もう大丈夫」
 アリーナの苦しい呼吸が寝息に変わっていた。静かで安定した息だった。家内に抱かれ、いつものように満足して眠るアリーナ。ボクはそう信じたかった。
 ベッドでうとうとしていたら、いきなり胸騒ぎで目が覚めた。家内に抱かれたアリーナに近寄り、その鼻腔に手を置く。息がない。ボクは静かに家内に声をかけた。
「アリーナはいったよ」
 家内がアリーナの息を確かめた。
「死んでる」
 それは、あってはならぬこと。ボクら夫婦にとって、永遠に訪れてはならない出来事だった。
 家内が静かにアリーナを離れた。入れ替わりにボクがアリーナを抱きしめる。まだ暖かい。ほんの数分か、数十秒前まで、アリーナの魂は肉体にあった。最後の息を看取ってやれなかった。後悔と謝罪の気持ちが一気に胸に突き上げて、ボクは叫んだ。
「アリーナ、ごめん。アリーナ、ありがとう」
 知らないうちにボクは絶叫していた。この別れは絶対にあってはならないことだったのだ。いくら予測していたとはいえ、覚悟ができていたとはいえ、どんなことをしても避けて通りたい出来事だったのだ。
 本能的に時間を確かめる。10月9日から10月10日に日付が改まっていた。
 アリーナと共に失ったものは数え切れなく、また大きい。それらを取り戻そうとボクは「ありがとう盲導犬アリーナ」という展覧会を準備した。朗読画集『銀河鉄道の夜』の原画展は中止だ。けれどもアリーナの絵がかけない。そばにいてくれたときは、あれほど楽しく自由に描けたのに。アリーナの存在しない空気。その気配を感じて、ネコのキロンも遠吠えをする。長く悲しく尾を引く鳴き声。猫とは思えない遠吠えである。遊歩道でアリーナが発見し、育てた野良猫、片目のキロンは、自分を猫だと思ってはいないのかもしれない。キロンはアリーナの忘れ形見となった。
 ボクは約束の「アリーナの本」をまだ書けないでいる。感情の起伏に耐えられる自信がないのかもしれない。事実に直面する勇気がないのかもしれない。この短い一文を記すために、どれだけの自制心を必要としたことだろう。実際に本を書くとなれば、連続的でさらに大きな自制心を要求される。ただ、この一年目の区切りがボクに新しい勇気を与えてくれることを祈るだけだ。
 この宇宙の正体は回転だ。月も地球も回っている。太陽系も回っている。銀河だって回っている。いや、時間でさえ回転しているのだ。現在は過去となり、未来は現在となる。その直線の上にあると思える変化も、実は回転する円の運動ではないかと、ボクは密かに信じているのだ。やがてボクも肉体を離れ、この宇宙と融合する。時間の経過を意識しない、永遠の回転の一部となるのだ。やがて無限の時が経過して、ボクらは再び出会う。同じステージで、同じ命として。果たしてお互いがお互いであると分かるだろうか。いやいや、分からなくてもいい。ボクらがここに存在すること。ボクらがここで出会ったこと。そのすべてが回転する時空間のなせる結果なのだ。ボクが君と出会う。ボクと君が別れる。それは遠い昔から決まっていたこと。そして別れは永遠ではなく、生きることも死ぬことも、会って別れることも、すべては回っているのだ。
 つまらない信仰かもしれない。ただ、別れが準備されているからこそ、お互いの存在に意味が与えられている。ボクらはいつか別れていく。すべての存在と別れていく。見送り、見送られ、別れていく。その先の出会いを保証するものはない。ただ稚拙であれ、単純であれ、再会を信じる信仰があっていいのだと思う。


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