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超個人的奇跡

  ボクにとっては素晴らしい世紀末でした。 生きている幸せを、これほど感じたこともありません。 ボクにとって50歳はないと思っていた。 勿論、新世紀を迎えることも。 でも今、ボクは新世紀にいる。 奇跡です。 十五年前、失明したとき、あと五年と医者にいわれた命が、今も燃えている。 不思議です。それとも医者が薮だったのでしょうか。 いいえ、勇気と楽観主義がボクをここまで導いてくれたのです。 そして、その教えは神によりいただいたものでした。
 
 ミレーニアムのクリスマスイヴに教会へいきました。 何年ぶりでしょうか。 その朝、天からの啓示がありました。  教会へいけ。 正直に打ち明けて、ボクは教会やキリスト教にはついていけない部分があります。 でも、メシア=イエスの存在は信じています。 そしてコボちゃんとアリーナで教会のクリスマスミサにいきました。 イエスの誕生の意味、そして復活と奇跡の真実。 ボクは命を与えられ、ミレーニアムの世紀末に存在を許され、2000回目のクリスマスを迎えることができ、そして教会という神からの波動受信アンテナにいた。 うろ覚えの讃美歌を歌っているうちに、牧師の言葉を聴いているうちに、涙がとまらなくなりました。 それは、ボクの右肩に手をおいてくださった、目には見えないだろう存在が、すぐ側におられたからです。 生きて存在を許されている。 ただそれだけで祝福です。 それなのに、クリスチャンでもなく、教会のあり方に疑問を抱くボクにさえ、具体的な祝福をくださる神の偉大さ。その慈悲と愛。 1985年正月にいただいた啓示から目覚めて、その教えを実行して、世紀末にジョン=レノンへの祈りと願いが実現して、ボクは奇跡の中に生かされている。 祝福をくださったのが、ボクの右肩に手をおかれた方が主イエスなのかそうでないのかはよくわかりません。 でも、神は実在するのです。
 
 イエスがこの地上におられる間、誰もその存在の真実を理解することはできなかった。 今、新世紀の夜明けに、三千年期の最初の年に、再び神の子の誕生を振り返り、改めてその意味を考えてもいいのではないでしょうか。
 
 仏の慈悲と神の愛に真実感謝できるのは、ボクのいただいた失明と病のおかげです。 ボクにとって失明は奇跡と祝福以外の何物でもないのです。 新世紀、ありがとう。

         2001/01/01  エム ナマエ 新世紀に合掌

 

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