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ハタチの境界線

 成人式の思い出を書く。その朝、ぼくはアルバイトで買ったコンチのベージュのスーツに身を包み、家を出た。親が買ってくれた晴れ着でも何でもない、ただの通学服である。式場は渋谷公会堂。ガードをくぐれば、すぐそこの場所。当時、ぼくは渋谷の街に暮らしていた。父親の務める巨大企業の社宅で、両親と一緒にである。まだイラストレーターデビュー前。ぼくには学生意外に決まった職業はなく、収入源は真夜中のバーテンダー稼業だった。
 さて、ガードをくぐる。公園通りの坂道をのぼりながら、ぼくは内ポケットの封筒に触れてみた。玄関を出るとき、母親から渡された正体不明の封筒である。

 式場には友人も知人もなく、ぼくは適当な座席に座った。そして、それからのことは何も覚えていない。ただ、壇上のダークスーツのオヤジたちが、胸に造花をくっつけて、もっともらしい顔つきで居並んでいたことだけは記憶にある。そして彼等の目的が何であるかはハタチのぼくにも明白だった。
 会場で何かをもらったような気がする。無論、覚えてはいない。学生運動全盛期の頃だったが、騒ぎは一切なかった。当たり前だ。運動家たちには興味のないはずの場所である。式典が終ると、ぼくは真っ先に外へ出た。くるんじゃなかった。そう思っていた。

 すぐ近くの「時間割り」という店に入る。馴染みの喫茶店だ。コーヒーがくるとすぐ、ぼくは封筒を手に取った。表には「母より」と書いてある。達筆だった。手紙の文面に母親らしい気持ちが並んでいて、ぼくは泣いた。これが成人式の思い出のすべてである。
 成人式の継続が議論されている。やめればいい。貴重な税金を投じて続行するようなもんじゃない。祝いたい者は、祝い合いたい者同志集まって、祝うべき人間と喜びを共有すればよい。造花の男たちよ、忘れるな。雇い主になろうとしている者たちが、使用人になるべき人間を壇上に見上げるような式典が、どこの世界に通用するものか。
 ハタチは共通の境界線ではない。親のスネをかじって振袖の晴れ着で現れる、中身は七五三の女子大生。中学を出て働きながら学んできた若者たち。高校を出てから既に納税者である会社員。ハタチの若者、ハタチの老人。ハタチのリンカーン、ハタチのアインシュタイン。ハタチのピノキオ、ハタチのドラキュラ。みんな集まれ、よい子は一緒。そんなわけにはいかないのだ。たとえいったにせよ、ハタチの赤頭巾ちゃんたちを待ち受けるのが、選挙権に群がる狼たちなのは、もうとっくの昔からバレバレなのだ。

 いろいろな会場に呼ばれる。あんたの講演だからしゃべれ、といわれる。で、いってみると、ぼくの講演には沢山の前座が待機している。まるでぼくはビートルズだな。そう思ってはいけない。順序が逆なだけで、ぼくこそ前座なのだ。居並ぶ前座であるはずの人間たちは、いいとこどりをして、さっさと消えていく。残されるのは真打であるはずのぼくと、式典を餌に集められた聴衆たち。ぼくが徹夜で考えてきた講演が始まると、主催者たちは居眠りをしている。きっと、昨夜のお偉いさんたちの接待にお疲れなのでしょう。
 当たり前のことをいう。子供の小遣い銭からも税金を搾取するくせに、主役と脇役、雇い主と使用人の区別もつかない馬鹿者共に、税金の使い方がわかってたまるもんか。

※ 2001年 社会新報掲載
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