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子供ができても親になれないお馬鹿さんたち

 レストランでもうるさい。コンサートでも騒がしい。最近では有名寿司店にも出没している。あいつらは飲食店にとって、ゴキブリよりも悩ましく、ネズミよりもやっかいな存在に違いない。
「うるさい、黙れ!」
 席をけって叫びたい衝動を押さえるのに苦労する。いや、我慢の限界がきて、本当に叫んだこともある。だが、静かになるのはほんの一時。すぐに騒害が復活する。

 もうお分かりとは思うが、これらは子供連れの家族の話である。父親の権威は既に失墜した。今や騒害の主役は母親と子供だ。父親は騒ぎまくる子供たちと夢中でおしゃべりするお母さん連中を横目で恨めしく見ながら、ただひたすらに沈黙を守っているだけのお飾りになり果てた。

 ここで、この騒害をポルターガキストとでも呼んでみようか。騒音の発生源は主に子供ではあるが、それを阻止すべき母親たちは仲間とのおしゃべりに夢中で子供たちの騒音には気がつかない。もしくは、そのフリをしている。もしくはポルターガキストが環境になってしまっているため、全く気にならない。

 そのため、ポルターガキストはどんどんエスカレートするばかり。おしゃべりに飽きると「せっせっせ」とか「あっち向いてホイ」とか始める。保育園で習ったばかりの童謡を全員で合唱し、店内で飲食している大人たちに披露する。アカの他人の大人たちが喝采するとでも思ってんのか。このバカガキどもめが。そんなもんで喜んだり褒めたりするのは、お前らのバカで非社会的な親だけなのだ。おい、バカガキども。よく覚えておけ。世間は弱肉強食なのだ。ひ弱なヒヨッコなど、ペロリと一口で食われてしまうぞ。

 店の従業員も出す手がない。売り上げと店の評判と他の客の迷惑を天秤にかける。結局、客は客同志で注意し合わねばならぬ。しかし、このご時勢である。ヘタをすれば刺される。そこまではいかずとも
「あのオジサンがうるさいから…」
とか
「何よ。私にもレストランで食事をする権利があります」
とか凄まれるに決まっている。
「はい、申し訳ありませんでした」
などと素直で可愛いい反応など期待すべくもない。ああ無情である。

 ま、あまりクダクダと書くのもおとな気ない。このあたりでやめておこう。とにかく大人になっていない人間が子供を育てているのだ。親子の自転車行列を見れば一目瞭然である。親が交通ルールを守らない。それを子供が真似る。従って児童の自転車事故が増加する。しかし、この場合の責任は現場の加害者だけに追求される。子供を馬鹿に育てあげた母親は何の責任も取らず、ただ被害者として涙にくれるのである。

 ボクのガールフレンドのひとりがこう語った。
「アタシ、いってやりたかったわ。『あんたの子供を可愛いいと思ってるのは、あんただけなのよ』ってね」
 彼女によれば、女は子供ができた瞬間から馬鹿になるそうだ。で、ボクもそう思うことがある。自分の子供しか見えない母親は哀れだと思う。まず社会が見えなくなる。自分の子供、自分の家庭だけが幸せであればいいと思うようになる。つまり急激に世界が小さく狭くなるのだ。これは人間として哀れである。

 もうひとつ感じることがある。子供を育てる自分は偉いと勘違いをしている母親がいることである。だから少しの迷惑など我慢しろとばかりに傍若無人に振る舞う。これも許されることではない。その昔、幼い子供を連れている母親は、どこか世間に恐縮している風情があった。だが、現在は皆無といっていい。アタシ、偉いのよ。そういうように闊歩している。もしくは堂々と子供の自慢をしている。アタシは日本の未来を育てているのよ。この子がいなければ、日本は沈没してしまうのよ。そういいたげだ。アホか。アンタの育てた子供のおかげで日本は沈没するかもしれないのだ。社会のルールもマナーも守らない母親に育てられた子供である。自分たちさえ良ければいい家庭の子供たちである。仕事だってロクにはできゃしない。ヘタをすれば犯罪者にもなりかねない。そんな子供を育てるため、現在の大人たちは税金を支払っているのだ。むしろ感謝すべきは未来のお荷物になりかねない子供たちを育てている母親ではないのか。

 少しラジカルに過ぎたかもしれない。とにかく、すべては子供の責任ではないのだ。子供が利口になるのも馬鹿になるのも親次第。赤ちゃんを産んだ家庭に褒賞金を出そう。こういう提案もあるらしいが、考えものだなあ。それよりも、現在の大人たちにもう一度、人生や仕事の意味、与えられた命についての哲学や独立した個人としての理念について考え直してもらいたい。それが子供たちへの最大のプレゼントになるだろう。
2001/07/12


 
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