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◆ ファンタジー

 ぼくは自分を「メクラ」と呼んでいる。この単語が好きなのは、目が見えないという事実をストレートに伝えるからだ。つまり、わかりやすい。メクラはメクラであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 英語では盲人をブラインドという。ブラインドタッチ、ブラインドフライト、ブラインドコーナー。もしも、この言葉を使ってはいけないことになると、語彙の浪費が生まれる。ひとつの言葉を殺すと、ひとつの事実の周辺が窮屈になってしまうのだ。ところが、我国ではブラインドに相当する「メクラ」を自由に使うことができない。そのために失われた言語や表現がどれだけあるだろうか。今、本質的議論からの逃避によって優れた話芸や文芸作品が闇に葬られつつある。

 さて、本題はこれからだ。まず、ファンタジーワールドは単なる夢の世界ではない。そこで主人公は未知の現実に正面から挑むことになる。異形の存在との闘い。魔法の習得。呪縛からの解放。果てしのない旅。それらをクリアーして初めてヒーローとしての資格をもらえるのだ。

 ぼくはふたつの側面を体験してきた。見える世界と見えない世界。どちらも現実の世界である。あちら側とこちら側。ファンタジーでは主人公が境界線をいったりきたりするが、ぼくはこちら側にきたっきり。元の世界へは戻れない。視力は二度と回復しないからだ。

 これまで、ぼくは数々の魔法を習得してきた。見えない文字。魔法の犬を操り、一寸先は千尋の谷底かも知れない都会の荒野を歩く術。決して姿を見せない住人たちと暮らす術。そして見えない色の魔法の絵の具で絵を描く術。おかげで、ぼくはアメリカンドリームランドのヒーローになるかもしれない。

 現実から逃げず、それ以上でも以下でもない事実だけを受け入れる。そうやって、ぼくは新しい世界を開いてきた。見えなくなったのは肉の目であって、ぼくの思考が盲目になったわけではない。そう、目で見るだけが見ることではないのだ。

 技術が秒速で進化し、情報が洪水のように流れていく現在。事件が次々に発生し、いろいろな人がいろいろなことをいう。そして、それでいい。新世紀を目前にした現在であろうと、人間と世界の本質はこれっぽっちも変わってはいないのだから。奇跡的にも生命を与えられたこの世界を主人公として生きるために必要なのは、本質を見抜く力なのだ。

2000年 朝日新聞夏期保育大学講演のための特別寄稿  エム ナマエ





 
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