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■ 2007年 あっちゃこっちゃで お話しました

◆ 今なら、どこへでも歩いていける
 2008年新春、閉塞性動脈硬化症による歩行困難から救われて2年半が経過しました。毎日元気に歩けるのも、旭川医大の心臓血管外科の笹嶋教授チームによる血行再建術のおかげです。それまでの医学的常識から判断すれば、両下肢切断は回避できないというほど悪化していたボクの足は、東京女子医大の糖尿病フットケア外来の新城先生のアドバイスと、旭川医大の笹嶋教授チームの手術により救われたのでした。
 先日、笹嶋教授からは今後5年間の歩行に太鼓判を押されたばかり。新城先生の指導で鍛えた両足は筋力を蓄え、もうどこへでも歩いていける。そういう状況ですから、2006年から2007年は求められるままに出かけていき、おしゃべりをしてきました。今後とも、よほどの事情がない限り、どこへでも歩いていくつもりです。もしも今、盲導犬のアリーナがいたならば、どこまでも一緒に歩いていけたのにと、これだけが残念でなりません。

◆ 駅が変わった
 もうひとつ、移動し易くなった理由があります。それは駅の環境変化。ホームにエスカレーターやエレベーターが増設され、上下の移動がスムースになったことです。これまで歩行弱者がどれだけの労苦を強いられていたことか、それは当事者だけが思い知らされていた事実です。その気になってやれば、とっくにできたんじゃないか。そう電鉄会社に叫びたい気分にもなります。法律や常識が前進すれば、世の中は暮らし易くなる。理想や良識は街の形をも変えてしまう。今後は上下移動ばかりでなく、ホームドアを完備させ、歩行弱者の安全をも確保していただきたいものです。
 ところで、駅のエレベーターが若い人たちで満員になることがあるのはどうしてでしょう。歩行困難者は見た目や若さだけでは推し量れません。とはいえ、問題のない人は階段を移動した方がいい。けれども、どんなに元気があろうとも、エスカレーターをどしどし歩くのだけはやめてもらいたいものです。どれだけエスカレーターの寿命が短くなり、メンテナンスの必要が生じることか。エスカレーターは階段の形状はしていても、階段のように頑丈には出来てない。問題が起きるたび、ボクはエスカレーターでの歩行を禁止すべきと主張したくなるのです。

◆ 学校あちらこちら
 このホームページでもレポートしている通り、都内各地の小学校であれやこれやとお話をしてきました。事情が許す限りボクはどこへでも現れます。小学校だけではありません。中学校や高校からの依頼にも応じますし、東京を遠く離れた学校へも出没します。ボクの話を耳にして、ホームページにメイルをいただいたときは思わず感激。ボクは考えます。その人に分かることしか分からない。たとえそれが事実であっても、10人にひとりでも100人にひとりでも伝わることがあれば、ありがたいのです。

◆ 母校に貢献できる幸せ
 2006年、慶應義塾女子高を訪問したのは、志木高校時代にパレットクラブや学園祭で訪れて以来のこと。40年以上が経過していたわけですが、懐かしい感じがしたのは、そこの何もかもが変わっていなかったせいでしょうか。ボクは慶應義塾の伝統が好きです。昔のままのスタイルを守っているところに魅かれます。新しければよい、というものでもありません。そんな女子高でお話をして、そんな高校生から感想をもらったときは単純にハッピイな気分となりました。不思議です。同じ旗に集まった者同士は、そこに数十年という時間の壁があろうとも、精神はすぐに感応してしまう。理由は明快です。慶應義塾の庭には大きな人物の見えない波動が満ちているからでしょう。でも、世間に流通している一万円札が同じ波動で震えているかは不明です。
 慶應義塾といえば、2007年には初めて幼稚舎に足を踏み入れました。私学の図書館を担当されている先生方を前にしてお話をするためです。ボクは高校時代、このすぐ近所に暮らしていましたから、建物はよく覚えています。いや、妻のコボちゃんも、幼稚舎の目の前、都立広尾病院の敷地内にある看護学校で学んでいましたから、ふたりにとって幼稚舎の建物は目に馴染みの景色。けれど、ふたりとも中に入るのは初めてだったのです。
 図書室。その入り口には様々な標本や資料が陳列してあって、妻のコボちゃんが目を見張って感動しています。いちいちの標本を説明してもらっていたら、背後から声がかかりました。詩人の矢崎節夫氏です。金子みすずを発掘したことで知られていますが、実は古い知り合い。失明当時はとてもお世話になりました。おかげで金子みすずの童謡についても、ずいぶん勉強させてもらったものです。彼も幼稚舎に講演のため訪れていたのでした。

◆ お供は愛犬アルルです
 妻のコボちゃんは運転が好き。東は福島、西は名古屋までなら、どこへでもドライブします。そして後部座席には愛犬アルル。
 アルルは中部盲導犬協会生まれのブラックラブラドールレトリバー・ショートレッグス。少しばかり足が短かったため、盲導犬になれなかったワンちゃんなのであります。けれども素質はアルル。いや、失礼。素質はある。盲導犬モドキといえなくもない。でも、本物ではありませんから、もちろんハーネスは装着できませんし、レストランにもホテルにも入れません。当然、乗り物にも乗れません。それでも、ボクが白杖片手にアルルと歩いていると、人様は勝手に盲導犬と誤解してくれるのです。けれどもアルルはお転婆で、ときどきは破目を外しますから、こういうのが盲導犬だなんてあきれられたりして、本物の盲導犬に迷惑のかからないようにしなければならないのです。
 さて、2007年、ボクらはアルルをお供にずいぶんドライブをしました。高崎市役所からの依頼で講演にいったときも、アルルは愛車マグナの車内で待機。高崎市心身障害者会館で話している間も、反省会の間も、アルルは真っ黒なボールみたいに丸くなって、不平ひとつもらさずに、じっといい子でいたのです。
 ゴールデンウィークの長野県いきのドライブにもアルルは同行。無言館の成人式に参加しました。新成人が集う中庭を見晴らすベンチの横でアルルはオスワリ。真っ黒な顔に真っ黒な瞳。ときどき白目がちらちらするのはキョロキョロしてる証拠です。陽光の下、山の空気に響くボクの声を聞いていたのかもしれません。このときの出来事は『無言館成人式レポート』に詳しくありますので、どうぞチェックしてみてください。

◆ 見ている方向に進む人生
 とても不思議なことがあります。この番組は面白いな、このパーソナリティーは素敵だな、と感じたり憧れたりすることがあるのですが、その思いをずっと抱いていると、いつかその番組に出してもらったり、またはそのパーソナリティーに会ったりしてしまうのです。夢や願いは必ず叶う。ボクが根っからそれを信じているのはアホだからではなく、経験によるものなのでした。
 ずっと注目している、いや、ラジオだから注目ではなく傾聴ですが、『土曜の夜はケータイ短歌』というラジオ番組があるのです。短歌の世界とボクは無縁ですが、何故かいきなり番組から出演依頼があったのです。驚き。でも、出演時間はあっという間に過ぎてしまいました。2006年の愉快な出来事です。
 2007年もラジオやトークショウ、スタジオやステージでしゃべりました。マイクに向かう姿勢が悪いとか、声が出ていないとか、妻のコボちゃんから厳しくチェックが入ります。ですからOKをもらうため、ボクも失敗を糧に研鑽を積むのです。人は見ている方向に進むもの。こつこつと努めていれば、いつか望みは形になる。おしゃべりの大好きな自分が人前で語るチャンスをいただく。これ以上ハッピーなことがあるでしょうか。エム ナマエ、2008年も一生懸命しゃべります。
2008/01/08



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