アルルがやってきた・その2 2006/01/19
◆キャリアチェンジしたワンちゃん
2005年10月15日、ボクらはコボちゃんのドライブで中部盲導犬協会へ急ぐ。
「キャリアチェンジした子がいるんですけれど、お会いになりますか?」
「ええっ、すぐいきます」
キャリアチェンジってことは、盲導犬になろうとしていたワンちゃんが生き方を変えるってこと。つまり、人生、いや、犬生の方向転換。
すぐにボクらは名古屋に飛ぶ。といっても、自動車でいったんだけどさ。まあ、それだけ期待が大きかったってこと。
エンジンの音を聞きながら、ボクは思い出す。1年前の10月10日、アリーナは星になった。そのとき、アリーナはずいぶん年老いていた。けれども、ボクらの大切な子どもであったことに変わりはない。
「アリーナのような賢いワンちゃんとは二度と会えないだろうね」
「ええ…」
ボクらの心にはポッカリと大きな穴があいていた。その穴を埋めるものは何もない。
「アリーナは二度と帰ってはこない。このさびしさも消えることはない。でも、慰めてもらうことはできると思う」
「誰に?」
コボちゃんの振り返る気配がした。
「新しいワンちゃんに…」
ボクは静かにつぶやいた。
◆ 悲しい知らせ
アリーナが星になるおよそ半年前、中部盲導犬協会育ての親、河西光所長が亡くなった。2004年4月30日のことだ。
一瞬、ボクは声を失う。信じられない、あまりに悲しい知らせ。
突然のことだった。盲導犬についても、福祉についても貴重なアドバイスをいろいろとくださった、大恩人の河西所長。心より尊敬していた河西所長。その所長にもう二度と会うことができないのだ。
◆ 所長との約束
盲導犬アリーナと暮らして以来、ボクは一度も河西所長との約束を破ったことがない。だからアリーナは盲導犬として立派に仕事ができたのだ。ボクはそう信じている。
2003年5月25日、アリーナは引退した。盲導犬であることから卒業したんだ。そのときのアリーナは13歳。人間でいえば95歳。
アリーナは3歳から13歳になるまでの10年間、現役の盲導犬として活躍した。健康に恵まれ、みんなに愛され、輝いて暮らした。そのことはボクにとっても、家内のコボちゃんにとっても、何よりの喜びだった。けれどもアリーナは年老いた。駅の階段がつらくなるほど年老いた。
「アリーナは立派に仕事をしてきました。もう休ませてあげてもいいでしょう」
長く仕事をしてきたアリーナへの言葉。これが厳しく優しい所長の思いやりなのだ。そして、最後までアリーナはボクらと一緒にいていい。河西所長は特別に認めてくださったのだ。その代わり、いくつかの約束があった。
盲導犬でなくなったアリーナに、二度とハーネスをつけてはならない。最後まで責任をもってアリーナの世話をすること。
ボクもコボちゃんもアリーナを天上へ見送るまで、それらの約束を守り通した。
◆ 普通のワンちゃんになりたい
「普通の女の子になりたい」
そういってやめていった三人組がいた。
「普通のワンちゃんになりたい」
アリーナがそう思っていたかどうかは分からない。それはアリーナが盲導犬であることの特権を楽しんでいたからだ。
大好きなご主人と、いつも一緒。それはワンちゃんたちにとって最大の喜び。その喜びをアリーナは保証されていたんだ。
けれども、退役盲導犬となったアリーナに、もうその特権はない。ホテル、レストラン、劇場、喫茶店、公共の建築物。アリーナにとって、それらは二度と立ち入ることのできない場所となった。
「ごめんね。アリーナはお留守番なんだ」
すると聞こえる悲しいため息。
働けなくなること。仕事がなくなること。人間でもそれは悲しいこと。けれども、趣味や娯楽のないワンちゃんにとっては、もっともっとつらいことに違いない。
ワンちゃんたちが、どれほど人間を慕っているか、想像したことがあるだろうか。街で出会っても、浜辺で出会っても、公園で出会っても、ワンちゃんたちはボクらを見つめている。優しく呼べば、喜んで、または静かに、もしくはおそるおそると近づいてくる。どうして犬族と人間の間に、これほどの強くて深い絆があるのだろう。ボクは信じている。犬族は神様が人類に与えた最高の友人たちなのだと。
ボクとコボちゃんは長く外出することがある。それでもアリーナは気がいい。どんなに長く待たされても、喜んでボクらを迎える。尻尾をちぎれるほど振って迎える。
「アリーナは幸せなんだろうか…」
アリーナと別れたくない。そう考えてボクは中部盲導犬協会から無償貸与されていたアリーナを引き取った。けれども、それは本当にアリーナの幸せにつながったのだろうか。
◆ アリーナの旅立ち
アリーナは15歳になろうとしている秋の夜、新しい世界へ旅立った。
15歳といえば、人間なら110歳を超える高齢だ。アリーナは盲導犬だったから長生きできたのかもしれない。また、ボクらが中部盲導犬協会との約束を守ったから、いつまでも元気でいてくれたのかもしれない。
与えられた使命に喜びを感じて生きていたアリーナ。そのアリーナを宝石のように思っていたボクとコボちゃん。今もアリーナとの暮らしはボクたちの心で輝いている。
続く。
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