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原稿用紙プライベート盲導犬アリーナ日記
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◆ アルルの訓練歩行
 「謎の虫」のエピソードでも触れたが、最近ボクとコボちゃんは1歳半のブラックラブ、アルルと朝の散歩を続けている。赤堤の住まいから遊歩道を経て、豪徳寺まで歩くのだ。
 この散歩の目的はアルルの訓練にある。盲導犬となるべく生まれてきたアルルは途中でキャリアチェンジを余儀なくされた。けれどもベテランのパピーウォーカーから正しく育てられ、音に敏感である欠点を除けば優秀な犬であることは間違いない。アルルはまた、盲導犬アリーナの訓練士だった神田豊茂氏(アリーナ ドッグスクール主催者)により2ヶ月の合宿訓練も受けている。また同時に、ボクらも神田トレーナーから訓練手法は伝授されていた。
 5月9日、その朝もアルルの訓練のため、豪徳寺まで歩いた。といっても、いくら訓練したところでアルルが盲導犬になれるわけではないから、ただ正しく歩くための訓練である。盲人の自分がコントロールするための訓練である。
 目的地に到着すると、コボちゃんが駅前のドトールコーヒーでコーヒーを買ってきた。盲導犬アリーナが元気だった頃は店内でコーヒーを楽しんだものだ。けれどもアルルが入店するわけにはいかない。気持ちのいい初夏の朝、東京の空の下でボクらはテイクアウトのドトールコーヒーを楽しむのだった。

◆ その朝の出来事
「今、何時だろう?」
 腕時計にしゃべらせる。と、いつもより時間が経過しているではないか。いけない。急いでテイクアウトのドトールコーヒーを飲むと、立ち上がり、アルルを引き寄せた。リードをホールドして歩行に備える。
 いきなり、コボちゃんがある犬の固有名詞を声にする。それは噂の犬軍団の接近を意味していた。しまった。この事態をを避けたいがため、急いでコーヒーを飲んでいたのだ。
 出会い頭である。鉢合わせといってもいい。アルルに服従訓練をする間もなく、リードをホールドする余裕もなかった。いきなり軍団の一頭がアルルに向かって吠えたのである。しかし、自分には構えができてなかった。
 反射的にアルルが応戦して吠え、ジャンプした。力を込めてリードを引く。けれども動揺で自分の体は浮いていた。
 少しではあるが、武道の心得のある自分はすり足の意味をよく知っている。体重を両足に分割することも体得している。けれども、そのどれも間に合わなかった。両足が揃って、構えが崩れてしまったのだ。
「手を放してはいけない」
 ただそれだけを考えていた。アルルは攻撃的な犬ではない。けれどもやんちゃでありお転婆でもある。遊びでも、弾みで犬や人を傷つければ責任問題にも発展する。そこでリードが手から離れないよう、指先に力をこめた。しかし、それがいけなかった。
 アルルに引っ張られ、体が回転するのが分かった。既に足は地上を離れている。ダメージのないよう、できるだけゆっくりと倒れた。
 ボクの手からコボちゃんがリードを受け取る。犬たちが吠えている。アルルも吠えている。
「やめろ」
 ボクが叫ぶ。けれども激痛で動けない。倒れたままの姿勢で、ボクの背中は路面に張り付いていた。

◆ 失明してから三度目の転倒
 失明してから20年。そしてこれが三度目の転倒である。何故たった三度の転倒なのか。それは自分が転倒を極力避けているからだ。
 慢性腎不全と人工透析の合併症として知られるのが骨粗鬆症。血液の電解質のバランスが崩れて骨からカルシウムが逃げていくのだ。当然骨折しやすくなる。そこで注意深く歩くようになる。
 11年間、アリーナとの盲導犬歩行で転倒したのはただの一度だけ。そのときのアリーナの申し訳なさそうな様子を忘れることができない。
 昨年の夏、北海道で両足の大手術を経験した。旭川医科大学付属病院の心臓血管外科、笹嶋唯博教授による両下肢の血行再建手術である。この奇跡とも思える手術で再建された血管は大切にしなければならない。おまけに骨の事情もあった。そこで不測の事態に備え、連日トレーニングを忘れたことがない。ストレッチ、筋力運動。おかげで体は以前と変わらず柔らかく、筋肉も何割かは増強した。
 今年の2月から4月まで、代々木山下医院で受けたPEIT治療の効果もあったに違いない。骨にカルシウムが再吸収されて骨折を免れたことは感謝に値する。

◆ ひどくなる痛み
 全身の苦痛で動けないでいた。けれどもここは天下の道路。人も通れば車も走る。いつまでも自分の背中を道路と仲良くさせているわけにもいかない。渾身の力で立ち上がった。
 動かせば、あちらこちらが痛い。けれども、夕方からの人工透析にはいけるだろう。執筆や制作に問題もあるまい。そう考えてコボちゃんの肩につかまり家路へ向かった。
 予測どおり、その日はなんとか外出もできた。けれど、日が立つにつれ、痛みがひどくなってくる。あの朝から五日目の本日、階段の上下は勿論、室内歩行にも苦労している。外出ともなれば、一大決心を要する現状である。

◆ 会いたくなかった犬軍団
 アルルは決して吠えない犬だった。あまり静かなので、馬鹿ではないのかと疑ったくらいだ。それがある日突然吠えるようになった。原因はあの犬軍団。一頭の無駄吠えする固体が繰り返しアルルに向かって吠えた。付和雷同して他の犬も吠える。そしてある日とうとうアルルも吠えた。群れに対抗して吠えたのだ。
 それからアルルは吠える犬になった。けれど、他の固体から吠えられない限り、自分から吠えることはまずない。盲導犬のアリーナでさえいざとなれば番犬として吠えることができたのに、である。
 そもそも事件の発端は噂の犬軍団。かなり以前から話だけは聞いていた。道路いっぱいに広がって、犬を散歩させているグループがいるとか。メンバーは固定ではないらしいが、全員が女性である。年齢やお立場は存じ上げないが、皆様女性であることは間違いない。
 また、以前はそんなに目立つ存在でもなかった。それがいつの間にかメンバーがふえ、犬の数もふえたらしい。大型犬から小型犬。ひとりで複数の犬を引き連れたマダムもいらっしゃるとか。

◆ 周囲に与える脅威と圧力
 想像しただけで困った絵柄である。老若男女が散歩する道。学童が登下校する道。そこを脅威というか圧力というか、道路いっぱいに広がってマダムと犬の集団が進んでいくのだ。
 世間にはゴキブリよりも犬が苦手。ラッキョウよりも犬が嫌い。借金取りよりも犬が恐怖。そんな犬嫌いが必ずいる町の通りを、犬の軍団が行進する。まるで犬のとおせんぼ。犬嫌いだったら思い浮かべただけで卒倒しそうな光景である。
 だいたいこの方々は犬という生き物を理解していらっしゃるのだろうか。自分が引き連れている動物が熊や豹と互角に闘えるほどの破壊力を有していることをご承知なのだろうか。

◆ 犬は集団的生き物
 1970年代、晴眼のイラストレーターだったボクは作家の畑正憲先生と何度か仕事をさせてもらった。ご存じ、動物王国のあのムツゴロー先生である。
 北海道の動物王国へも何度か入国を許された。厚岸に滞在中はフリーパス。国王や国民、動物たちの歓迎を受けた。取り分け犬たちの歓迎ぶりは豪勢だった。
「エムさんは犬の生まれ変わりですか。犬たちからこんなに歓迎される人も珍しい」
 うれしい。そう、生まれてからずっと犬とうまくやってきた。けれども、そういう自分だって犬との無意味な緊張やトラブルを回避しようと、それなりの努力はしている。
「エムさん、犬にも集団心理ってやつがあるのですよ。一頭が吠えると群れも吠える。一頭が緊張すると群れも緊張する。たとえば、群れの中には負け犬というか、ひがみっぽいやつがいましてね、そいつがやたらに吠えて群れを無意味に刺激する。で、そういうときの群れはちょっと危険ですよ」
 動物王国のムツ先生がいうんだから本当のことであろう。動物と対等に付き合うには覚悟が必要だ。
 ムツ先生によれば、動物好きの体には生傷が絶えないという。ボクだって、犬に噛まれたことだけはないが、猫に殺されそうになったことはある。その豪華絢爛なる傷を動物王国の皆様にお見せしたら、国籍取得の資格ありと認めていただいた。エム ナマエだって野生動物との恐怖の体験や、ペットとのトラブルの経験ならちょっとくらいはあるのだ。

◆ 熊と互角に闘うパワー
 神様がくれた人類の友人、犬。とはいえ、犬と付き合うにもルールがある。約束事がある。ときとして専門知識や注意が必要である。というのも、犬は噛む力において、熊に匹敵するパワーを秘めているからだ。その証拠に、マタギは犬を同行させる。それは犬が熊と互角に闘えるからだ。熊が犬を恐れるからだ。
 いや、犬族の顎の力はライオンに負けないらしい。百獣の王のライオンでさえ、ハイエナの集団と闘うことは避けると聞く。
 こういう話を聞いたことがある。ライオンに襲われたシマウマは気の毒。絶命するのに時間がかかるからだ。ライオンはシマウマの呼吸を口でふさぎ、窒息死させる。けれどもハイエナは顎と犬歯の一撃でシマウマを即死させる。同じ殺されるなら、こっちの方が楽だろう。

◆ 犬の集団心理
 オオカミはグループで狩をする。ハイエナもリカオンも集団行動だ。熊狩りや狐狩りの猟犬もチームワークで敵を追い詰める。つまり犬族は群れて行動する生き物。あえていえば社会的、もしくは家族的動物といえる。

◆ 無償の獣医、神戸俊平
 1980年、神部俊平氏とケニアの大草原をサファリしたことがある。ボクにとっては二度目の東アフリカだった。
 ケニアで最も古い日本人、神部俊平氏。それは今でも変わらない。彼は獣医として長く現地に暮らし、マサイの家畜や野生動物の保護に努めている。ツエツエ蝿のトラップを設置しての風土病予防運動はよく知られている。ケニアだけではなく、アフリカ諸国に大いなる貢献をする無償の人である。
 予断になるが、俊平氏のお父上は高名なる児童文学者、神部淳吉氏であり、1974年、エム ナマエの最初の絵本「ざっくり ぶうぶう がたがた ごろろ」の原作者でもある。ちなみに、神部俊平氏が絵本作家としてデビューした作品「チンパンジーのキキ」でイラストレーションを担当したのもエム ナマエである。
 1977年、絵本「チンパンジーのキキ」の取材のためケニアを訪れた。そこで俊平氏と親しくなったことはいうまでもない。ボクらを結びつけたのは童話の王様、寺村輝夫先生。スポンサーは小学館。この旅について語り始めると大変長くなるし、ボクと東君平さんが兄弟の契りを交わしたエピソードなどにも触れたくなるので、もうやめる。
 さて、俊平氏の話題に戻るのだ。当時から彼は長くナイロビに滞在し、獣医としてケニアに貢献し、日本に戻ることもなかった。そこで1980年、ボクはおせっかいにも俊平氏のご両親をケニアにお連れする旅を企画したのである。
 そんないきさつでケニア博士の俊平氏の貴重なガイドによる、スペシャルで贅沢なサファリを続けていた。

◆ 暗闇のジャッカル
 ところが自然公園をドライブしているうちに日が暮れた。あたりは真っ暗。サバンナで最も危険とされるバファローの群れも近くにいる。ハンドルを握る俊平氏の緊張がナビゲーターシートのボクにも伝わってきた。
「やばいなあ。レンジャーに見つかるとうるさいことになるぞ。自然公園じゃ、夜のドライブは禁止されてるんだ」
「じゃあ、早くロッジに着かなくては」
「この道で間違いないと思うんだけど…」
 そのときだ。いきなりヘッドライトに何かが飛び込んできた。
「あっ、ジャッカル!」
 俊平氏は瞬間に動物を見分ける。それは昼でも夜でも変わらない。
「車と一緒に走ってる…」
 ジャッカルは明らかにこちらの存在を意識していた。我々を誘うように、もしくはからかうように、先へ先へとひたすら走る。ボクはその後姿に目を奪われていた。
「あのジャッカル、ボクらを案内しているんでしょうか?」
「さあ、どうだろう」
 犬の起源については様々な説がある。オオカミ説、ジャッカル説、犬説。犬説というのは畑正憲氏が唱える論で、そもそも犬という種が確立していて、その犬族と人類が接近することにより、家畜としての犬が完成したという考え方である。で、自分はそのどれが真実でもかまわない。要するに、犬は犬。犬は犬以上でも犬以下でもない。祖先はどうであれ、あの小さなチワワも、あの大きなグレートピレネーやグレートデンでも、犬であることになんらの相違もないからだ。
 けれども、この夜のサバンナでの経験はボクにジャッカルという生き物を強く印象づけた。もしかしたら、犬の祖先はやっぱりジャッカルかもしれない。ヘッドライトの光の中を道案内する後姿を見ているうちに、ジャッカルにたまらない親しさを感じていた。

◆ 盲導犬学校の卒業試験
 1992年、中部盲導犬協会で3ヶ月の訓練を受けた。そして盲導犬アリーナとの暮らしが実現したのである。
 人工透析を受けながらの共同訓練だったから、それほどの時間を要したのだが、無駄な3ヶ月ではなかった。おかげで犬について充分に勉強ができた。貴重な体験もさせてもらった。厳しい訓練だったが、楽しい出来事も経験した。
 そのひとつが卒業歩行である。隊列を組んでの盲導犬パレードだ。ハーネスを装着した犬が盲導犬訓練士と行列になって歩くのだ。一列になって、一定のリズムで、どこまでも規則正しく歩くのだ。
 拙著、盲導犬アリーナ物語の「はじめましてアリーナ」では、この共同訓練の様子を克明に描いている。読んでいただければ分かってもらえるのだが、これが実に楽しい。
 ボク以外は全員プロの訓練士である。盲導犬使用者、ユーザーとしてはまだビギナーのボクとアリーナは、この集団から誘惑され、試される。
「まっすぐ!」
 号令をかけてもアリーナは直進しない。何かを避けて迂回する。
「こんにちわ」
 いきなり耳元で声がした。訓練士さんが犬と一緒にボクとアリーナの進路妨害をしているのだ。歩道に寝そべって邪魔をしている犬もいる。アリーナはそれを巧みに避ける。犬と犬の間をスラロームする。うまく出来れば笑いが起こる。声がかかる。
 これがボクとアリーナの卒業歩行となった。とうとう盲導犬歩行のパスポートを手に入れたのである。この瞬間から、ボクはアリーナのユーザーとして、トレーナーとして社会へ踏み出したのだ。

◆ 犬のいる風景
 犬と人間が集団で歩くのは楽しい。勢ぞろいして、一定のリズムで、規則正しく歩くのは実に気持ちがいい。けれども、それは犬を熟知した人間と、充分に訓練を受けた犬だけが許される行為である。
 いつだってマナーとルールが最優先される。もしも盲導犬使用者が、もしも盲導犬が他者に迷惑をかけ、事故でも起こしたら取り返しはつかない。日本全国、いや、全世界の盲導犬とユーザーと協会に迷惑をかけることになるのだ。
 だが、この道理は一般の犬と飼い主にも適用される。糞の不始末。非常識な飼い主。悲惨な事故。犬にまつわる不幸な出来事は犬の福祉を阻害する。犬嫌いの雰囲気を助長させる。ひとつの不心得は全世界の犬と飼い主に迷惑をかけることになるのだ。
 ボクは数ヶ月の欧州滞在で、犬のいる暮らしを目撃してきた。犬と一緒に食事ができるレストラン。犬と一緒に旅する鉄道。ボクは日本が、いつか欧州のような国になってもらいたいと祈り、願ってきた。けれども、人生は皮肉である。人生半ばで盲目となった自分が、盲導犬アリーナと共にレストランで食事をし、公共交通機関で旅をすることになったのである。
 それはそれとして、日本が欧米で見るような、犬のいる健全な風景を手に入れる日は果たしてやってくるのだろうか。
 最後にひとつだけ。欧州で人に危害を与える犬は存在しない。いや、できない。事故を起こした犬は問答無用で抹殺されるからだ。
 犬に寛容と見える欧米社会。個人の権利と自由が確立した都市社会。バランスのとれた民主主義。それらはすべて、犠牲と闘争による革命の歴史の上に築かれている。
2006.05.15

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