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原稿用紙プライベート盲導犬アリーナ日記
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アルルがやってきた・その3  2006/01/23

◆ 新しい訓練所
 コボちゃんは初めての道をドライブしている。というのも、中部盲導犬協会は施設を新しくして、場所が変わったからなんだ。
「カーナビなんて必要ないわ」
 そういってコボちゃんは笑う。ちょっと無理をしてね。
 ボクたちの乗っているのはとっても古い車種。アリーナのために買ってから、ずっと愛用している思い出たっぷりのクルマ。1991年には既に中古だったから、今はクルマとして何歳になるのか、考えるのもおそろしいくらい。でも、元気で走っていてくれるからボクたち、安心してはいる。
「アリーナとの思い出たっぷりのクルマ。だから別れたくないの…」
 たとえカーナビがなくて、道に迷おうとも、ボクたちはこのクルマで満足してるんだ。
「クルマなんて、走ってくれればいいの。そう。ピカピカでなくってもね」
 コボちゃんはそういうけれど、ああ、ボクがもっとお金持ちだったらなあ。そんなことを考えていたら、中部盲導犬協会に到着していた。

◆ にぎやかな初対面
 新築したばかりの新しい訓練施設。これが河西所長の残してくれたものだった。あの方が長年求め理想としたものが、ここでひとつの形になっている。
 長屋の小さな部屋から始まった中部盲導犬協会。暗くなるまでワンちゃんの訓練をし、夜になると駅前に立って募金をつのる。ワンちゃんは生き物だ。餌がなくなれば死ぬ。河西所長は必死だった。毎日、孤独な闘いが続いた。盲人に自由になってほしい。ただそれだけを願っての孤独な闘いだ。
 やがて河西所長の純粋な祈りがみんなに伝わった。だんだん、だんだん、人とお金が集まってくる。そうして次第に中部盲導犬協会は成長していったんだ。
 エレベーター、ワンちゃんのトイレ、快適な個室、生活シュミレーションのための広い居室。すべては河西所長が理想としていたものだ。訓練所はワンちゃんを訓練するだけでなく、人が集まり、福祉を学び実践するセンターでもある。そのためにも訓練所は魅力的な施設でなければならないのだ。
「いらっしゃい」
 河西宏枝さんと水谷訓練師が笑って迎えてくれる。その広いフロアでボクらはワンちゃんを待った。
「どんなワンちゃんだろう。なんて名前なのかな?」
 アリーナと初めて会ったときのことを思い出す。そのときボクはアリーナの毛の色も名前も知らなかったのだ。
「ちゃかちゃか…」
 入り口から足跡が聞こえてくる。おお、きたぞ。
 突然、ボクに向かって何かが飛びついてきた。
「どっしーん」
「むぐ」
 ボクの胸を太い足がどつく。おいおい、相撲じゃないんだぜ。そんなに驚かすなよ。
「なんて名前ですか?」
 ボクは水谷訓練師にたずねた。
「アルルです」
「まあ、かわいい名前」
 コボちゃんの声。すると、足音がそちらへダッシュする。
「きゃあ、あはは」
 コボちゃんがはしゃぐ。これがアルルとボクらとの出会いだった。全身で緊張していたアリーナのときとは、まるで違う初対面。そう、アルルは盲導犬でなく、ボクらの子どもとしてやってきたんだ。

◆ 盲導犬協会との約束
 ワンちゃんのプロフェッショナル、水谷訓練師がボクらとアルルの様子をじっと見詰めている。きっとボクらとアルルがうまくやっていけるかどうか観察してるんだ。
 ボクの心に不安がよぎる。もしも駄目だったら、どうしよう。どんな結果になろうと、ボクらにとって水谷さんの言葉は絶対だった。
「明日からアルルはエムさんの家族です」
 やったぞ。水谷訓練師から正式の許可がおりた。これでアルルは本当にボクらの子どもになったんだ。
「アルルは盲導犬としての血液が流れています。そして、それは守られなくてはなりません。ですから、時期がきたらアルルに避妊処置をしてください」
「はい、約束いたします」
 ボクは河西所長としたように、水谷訓練師ともしっかりと約束をした。

◆ 東名高速道路
 翌朝、アルルはクルマに飛び乗った。ボクらの愛車はファイブドア。だから、後ろの扉がアルルの入り口。そこから運転席までアルルは自由に動くことができる。アリーナのためにこのクルマを選んだのも、そういう理由だったんだ。
 クルマが走り出す。
「アルル、こっちへおいで」
 けれども、いくら呼んでもアルルはこない。ただ後ろのドアにはりついて、遠くなる訓練所をじっと見つめているだけ。
「さびしいのかしら…」
「そうかもしれないね」
 心配だけれど仕方がない。ボクたちはアルルをそっとしておいた。
 さあ、いくぞ。一路東京へ、ボクらの家へ。エンジンがうなる。タイヤがすべる。ドライブを楽しんでいたら、ボクの背中に気配を感じた。
「あれ、アルルだ」
 アルルが運転席と助手席の間から顔を出している。盲導犬協会とのお別れがやっと済んだらしい。
「さあ、新しい家が待ってるよ」
 いつの間にかアルルは寝息をたてていた。安心して寝ているのか、それともあきらめて寝ているのか、ボクらには分からない。けれども落ち着いてくれて、ありがとう。
「これで気がかりがなくなったわ」
 コボちゃんがハンドルを握り直す。ノンストップで東名高速をひた走るつもりなのだ。
「今、どのあたり?」
「御殿場よ」
「そうか、もうすぐ東京だね」
「ええ」
 東名高速をおりれば、ボクらの家はもう近い。

◆ 約束の手術
 それからずっと、アルルと暮らしていた。最初は借り手きたネコみたいにおとなしかったアルルも、今やお転婆まるだし。御殿場じゃないよ、お転婆。どうもお転婆と御殿場は間違いやすい。要するに、女の子のくせに、男の子顔負けのいたずらってこと。
 そんなアルルが入院してた。約束の手術のためにね。
「アルル、獣医さんで大丈夫だった?」
「ええ。堂々としてたわよ」
「ふうん。やっぱりお転婆だけじゃあないんだ」
「そりゃあそうよ。アルルは盲導犬候補生だったんだもん」
 アルルの入院は一晩だけ。目が覚めたアルルは昼間、コボちゃんのクルマで帰ってきた。そして自分のベッドでコボちゃんに抱かれたまんま、静かに寝てる。
「心配だわ、あたし…」
「心配すること、ないよ。アルルはたちまち元気になるさ」
「だから、それが心配なのよ」
「ええっ。それってさ、どういうこと?」
 続く     2006/01/23




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