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◆ 連休のオフィス街   (1995年「詩とメルヘン」掲載)

 エム氏はハンドルを握ってつぶやきました。
「ああ、最低なプラチナウィークだ。ったく。二週連続のスーパーホリデイの初日に、会社に置き忘れた重要資料を取りにいくなんて」
 世間はプラチナウィークと呼ばれる巨大連休です。それなのに、エム氏は自宅で仕事をしなければなりませんでした。連休明けに始まるビッグプロジェクトの計画書が未完成だったからです。書類作製には、その重要資料が絶対に必要なのでした。
「それにしても俺はマヌケだ。ほら、上り車線を走ってるのは、このクルマだけじゃないか。下り車線の連中がジロジロ見てやがる。どうせ俺は時代遅れの企業戦士さ。笑え、笑え。みんなで腹をかかえて、その大渋滞のヒマツブシのネタにでもしていろ」
 郊外の高速道路。エム氏の乗用車は都会の中心へ一直線。それに比べて、都会を離れる反対車線は大渋滞。自動車達は身動きひとつできません。でも、不思議です。おかしいのです。イライラしている顔は、ひとつもありません。みんな幸せそうに、楽しそうにしているのです。家族でリンゴをかじったり、アベックで音楽を聴いたり、グループでカラオケなんかを歌ったり。勿論、エム氏を指さして、大笑いをしている連中もいたのです。
 エム氏の乗用車はオフィス街の一角で停車しました。見上げると古くて大きなビルディング。エム氏はマスターキーを使って裏口から入ります。守衛も、やっぱり休暇中だったのです。無人の建物で、ただエレベーターだけが真面目に働いています。いくつもの鍵を使って、いくつものドアを開いて、エム氏はやっと自分の机にたどり着きました。一番小さな鍵で引出しをあけると、ありました。置き忘れていた大切な資料があったのです。  車に戻ったエム氏はエンジンをかけました。
「クソッタレ。ガソリンがなくなった!」
 ポリタンクをかかえてガソリンスタンドにいきます。ところが、誰もいません。みんな休暇中なのでした。
 エム氏はポリタンクをかかえたまま大通りへ出ました。車をつかまえて、ガソリンをもらうためです。でも、一台も通りません。タクシーやバスさえ走っていないのです。エム氏はおそるおそるバス停の時刻表を調べました。
「連休中は運行なし」
 恐怖の文字が目に飛びこんできました。真っ青になったエム氏。歩いて帰るしかないのでしょうか。郊外の自宅までは車でも、たっぷり二時間はかかるのです。
「そうか。電車があるじゃないか。でも、待てよ。この近くに駅なんかあったろうか。俺は電車通勤なんかしたことないからなあ」
 道を尋ねようとも、人がいません。地図を見るため、車に戻ろうとしたときです。地下鉄の階段が目に入りました。
「そうそう。地下鉄、地下鉄。そんな便利な交通機関があったじゃないか。乗り継いでいけば、歩いて帰らずにすむぞ」
 都会で最も確かな交通手段、地下鉄。エム氏は資料とポリタンクを抱いて、地下鉄の薄暗い階段を一歩ずつ下っていきました。連休のせいか照明が落としてあります。エスカレーターも動いていません。
「どうして最近の地下鉄駅は、こんなに深く作るんだ。都会人の運動不足でほ解消しようって、政府の秘密計画じゃないのか」
 誰もいない地下通路。暗くて深い地下迷路。まるで都会の核シェルター。
「壁の向こうには何があるんだろう。古代人の骨や石器や土器のかけら。恐竜の化石。古墳や遺跡。それとも不発弾か埋蔵金。不運や幸運が暮らしの下で眠ってる」
 エム氏は、どこまでも続く地下通路を歩きます。角を曲がる度に、闇の影から誰かが現れるような気がします。でも、響いているのは自分の足音だけ。エム氏はモーレツに人間に会いたくなりました。恋しくなりました。話がしたくなりました。いや、こうなったらロボットでもお化けでもいいのです。誰かの声が聞きたかったのです。
「そうだ。ラジオがあるじゃないか。最近の地下鉄は電波を流していると聞くぞ」
 でも、ラジオから流れてくるのは音楽ばかり。アナウンサーもパーソナリティーも休暇中なのです。携帯電話は車の中。こうなったら、公衆電話だけが頼りです。でも、ありません。どこにも見つかりません。  いつか、エム氏は自動券売機の前に立っていました。瞬間、家族の顔が浮かびます。一刻も早く帰りたい。エム氏は切符を買うために路線図を見上げました。でも、ここが何という駅か知りません。教えてくれる人もいないのです。こうなったら、デタラメな切符を買って、後で清算するしかありません。エム氏は自動改札機に、そのデタラメな切符を挿入しました。機械の口が紙切れをペロリ。一瞬にして吸いこみます。
「また階段か…」
 階段お下ろうとしたとき、ゴオッという音がして生暖かい風が吹き上がってきました。ホームに立つと、轟音が遠くなっていきます。間に合わなかったみたいです。エム氏はホームの端からトンネルを覗きました。暗闇の彼方で赤いシグナルが一つ目怪物みたいに光っています。エム氏は思わずブルッと身震いをしました。この誰もいないホームで待つしかないのです。でも、どの方面に乗ればいいのでしょう。乗客が教えてくれるでしょうか。でも、誰も乗っていないかもしれません。もしかすると、乗務員も運転手も乗っていないかもしれないのです。果たして、エム氏の、この孤独はいつまで続くのでしょうか。  ふと、地響きがしました。闇の彼方がボーッと浮かび上がり、光は次第に強く輝きます。エム氏は大きく目を見開いて、それが近づくのを、ただ待っているしかないのでした。



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