◆ パパは世界一の腹話術師
今夜の客は酔っ払った男ばかり。香水の香りと派手なドレスの女達に囲まれて酒をあおっている。やがて煙草の霧にかすんだ舞台にパパが立つ。右腕に抱えられた道化師人形が一礼すると、アップライトピアノがホンキートークなジャズをかき鳴らす。ほうら、始まった。みんな驚くぞ。パパの舞台は最高なんだから。
パパと道化師人形の軽快な会話に酒の匂いを含んだ笑いがわき上がる。やじが飛ぶ。けれどもパパと道化師人形の軽妙な言葉のやりとりは次第に熱を帯びてくる。それまでただの道化師だった人形が叡知を秘めた皮肉屋に一変した。人形の発する言葉の嵐と悪戦苦闘するパパ。やがて、それは人間社会全体への痛烈な風刺へと拡大していった。客席の喧騒が波のように引いていく。人形のひとことひとことが聴衆の心に突き刺さる。ひとりひとりの愚かさに満ちた過去があばかれていく。その罪におびえ、その報いから一時的な快楽で逃れようとあがいている小さな自分が見えてくる。瞬間、悪酒の酔いから取り戻した遥な記憶。幼い時代。故郷の草原。夏の太陽。雑草の海。草いきれ。日の暮れも忘れて遊んだ無垢の時間。自分を包み育んだ父母と自然の無償の愛。いつか男達の頬を流れる熱い涙。
万雷の拍手に送られてパパが舞台を降りる。僕がそれを迎えにいく。
「パパ、お疲れさま。今夜もよかったよ。みんな泣いてたね」
「いやいや、ただ客を泣かせるだけじゃ駄目さ。私達に必要なのは真実の涙じゃないか」
「あれ、客席から誰かくる。あいつ、僕知ってるぞ。いかさまギャンブラーと噂の高いエム氏だよ。パパ、騙されないように気をつけて」
エム氏はパパに歩み寄ると、両手いっぱいの金色のチップを差し出した。それは最高金額のチップだった。
「あなたの芸に感動しました。遠い昔の落とし物を取り戻したような気がしますよ。あなたこそ世界一の腹話術師でしょう。さあ、これはほんの気持ちです。どうぞ受け取ってください」
パパは人形を抱いていない方の手でそれをさえぎった。するとエム氏は僕にそのチップの山を押し付けて、あっという間に客席の彼方に消えてしまった。
「パパ、どうしよう。これ、物凄いお金だよ」
パパは僕と人形の顔を交互に見ていった。
「いいだろう。楽屋に帰ろう」
パパは化粧台にそっと人形を降ろすと、その前にチップの山を置いた。
「これで私達の荷物を少しでも軽くしてもらえないだろうか」
そういってパパは人形を見つめた。と、人形が目を開く。道化の化粧をほどこした無表情な顔いっぱいに、あの皮肉屋の笑いが浮かぶ。
「さあ、それはどうかな?」
人形の口が動き、重々しい声が響いた。
「君は忘れてしまったようだね。我等、小人族の国家再建に必要なものは人間の流した真実の涙だけだということを。そんな金は何の役にも立ちはしない」
それっきり人形は沈黙してしまった。パパは僕を振り返る。その表情は許されない自由への渇望をたたえていた。
天と地がまだ分けられていない遥かな昔、僕の祖先は小人の国を滅ぼした。それ以来、僕達一族は呪いをかけられ、滅亡への道をたどる。それだけではない。小人族の国を再建するために生き残った祖先はあやつり人形となって子孫代々その一生を捧げなくてはならぬ宿命を背負った。小人族国家を築く土地は人間の流す真実の涙で清めなくてはならない。腹話術の舞台はその涙を集める手段なのだ。
パパと僕は世界を放浪する。真実の涙を集めるために。やがて僕はその務めをパパから受け継ぐだろう。そして、いつかまた僕の子孫も。自由への扉はまだ見えてはこない。
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